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36・最善を尽くす

「では、お入り下さい」

「うん……」


 一〇一号室のドアを引いてあげる。

 一番先に部屋へと入る十香さん。

 玄関には薄緑色のスリッパをあらかじめ置いておいた。十香さんは靴を脱いで、スリッパを履いて恐る恐るといった歩調で部屋の奥へと進んでいく。


「良い香り――ずーっといたくなるような」


 廊下の途中で立ち止まり、鼻を上に向けてそう呟く十香さん。

 十香さんがここに来る前、万葉ちゃんと協力して部屋の中にアロマを焚いておいた。

 長く人が入らなかった部屋は独特の匂いがする。排水溝から上がってきたような匂い。どちらにせよあまり良い気分にはならない。

 匂いに敏感な人はそれだけで気分が悪くなって、「今すぐここから出て行きたい!」という気持ちになるだろう。


 これが――お客さんのことを考える――という意味なのか分からない。

 だけど少なくても、十香さんは不快な気分になっていないみたい。


「小さいですけど、ここに調理スペースがあってまな板を置くことが出来ます」

「だから料理を作ることも出来るんですよ!」


 万葉ちゃん、君が作っていたのは薬品に似た何かだと思うけどね。

 僕達の説明を「ふーん」と興味なさげに聞く十香さん。

 まるでネコみたいだな、と思った。

 こちらが何を言っても、ネコのように聞き流す気紛れ娘。


「……そういえば十香さんは、どうして引っ越ししてこようと思ったんですか? あ、言いたくなかったら言わなくても良いんですけど」

「親が」


 お風呂場を覗きながら、僕達と視線を合わせずに、


「親が一人暮らしくらいしておけ、ってさ。このままじゃ、私は自立出来ない大人になってしまう。だから今の内に一人暮らしをさせておいて、自立心を養おう、って。失礼しちゃうよね。私が自立出来ないなんて、そんなことないのに」


 ――成る程、両親の心配も分かる。

 おそらく家の中でもワガママ放題していたのだろう。

 なら、一人暮らしは無理矢理にその性格を矯正するための治療といったところか。


「十香さんは何歳くらいなんですか?」


 万葉ちゃんが僕の肩越しに顔を出して、そう質問をした。


「十五」

「じゃあ、私達と同じ歳なんですね」

「ふーん。そうなんだー」


 本気で興味がなさそうにそう返す十香さん。

 何というか……つかみ所のない女の子だ。


 その後、十香さんは流し台やトイレといったスペースを細かく観察していた。

 四月一日までに入居したいのに、まだ決まっていないということは、相当部屋を選ぶハードルが高いのだろう。


 基本的に喋らずに十香さんのペースに合わせてあげる。

 たまに「このトイレの電球って、点かなくなったら私が代えないといけないの?」という質問が飛んできて、それに答えてあげる。

 あまり口を挟みすぎるのも、お客さんが落ち着いて部屋を見れない、と思うからだ。

 四つん這いになって、流し台の下の引き出しを見ていた十香さんは「うん……まあ合格、かな」と立ち上がる。


 そしてお待ちかね。次は部屋を見ていく。

 ……といってもワンルームなのですぐに終わるけど。


「意外に日当たり良いんだねー。ここだったら気持ちよくお昼寝出来そ――」


 ワンルームの八畳の部屋。

 そこに一歩足を踏み入れて、部屋の奥に置かれているものに気付いたのか。


 窓の傍に置かれてある高い椅子。

 椅子の上に透明の花瓶が置かれてあり、そこには一輪の花がさしてある。

 十香さんは導かれるようにそこまで歩いて、花の前で立ち止まった。


「ラナンキュラス……」


 一見、造花のように見えるラナンキュラスに手を添えて、十香さんはそう呟く。

 彼女の瞳の水晶にラナンキュラスが映ってある。

 ピンク色のラナンキュラスは殺風景な部屋に一色を入れ、華やかに見せる光であった。

 万葉ちゃんが手を後ろに回し、ゆっくりと十香さんに近付く。


「……十香さん。この花、知っているんですか?」

「私、この花大好き……実家の自分の部屋にも飾ってあるんだ」


 ラナンキュラスにどんな思い出が詰まっているのか分からない。

 心奪われたように、しゃがんでじっと花を見つめる十香さん。


 やがて――花瓶の前に置かれた色紙に気付いたのか、視線を少し下にずらす。

 十香さんはその紙を取って、そこに書かれてある文字を読んでいるようであった。


 そこにはこう書かれてある。


『――ようこそファミーユコノエへ。私達はあなたを歓迎します! 万葉』

『初めまして。歌手やってます。良かったら聞いてくださいね。八重樫』

『もし良かったら闇の眷属にしてやろう フェエリシア・ニコ・インリングワース』

『エロ本だ! 君が入居した暁には秘蔵のエロ本を進呈しよう! 国別府』

『困ったことがあったらいつでも相談してね。不動』


 と――ファミーユコノエのみんなが書いた手書きの寄せ書き。

 文字の周りには、雲のようなマークを書いてある。色鉛筆を七色使い、それは虹のようであった。


 ――お客さんのことを考えろ。


 もし僕がお客さんなら、どんな部屋だったら喜ぶか。


 一つにスリッパが置かれてある等の細かな配慮。

 一つにどんな質問が飛んできてもすぐさま答えられる知識。

 一つに空き部屋であっても、長くいたいと思わせる空間作り。

 最後の仕上げに――ラナンキュラスを花瓶にさし、そこに本屋のホップなようなものを添える。


 それを見てもしかしたらこう思うかもしれない。

 ――みんなは私を歓迎してくれている。


 あくまでそう思うかもしれない、ということだ。

 だけど空き部屋というものは、普通何も置かれておらず、生活感が想像しにくい。

 そこに花を一輪添えておいたら、彩りも生まれ、そして(たまたまだけど)実家の部屋にも置かれてある同じ花だったら、今からどういう風に生活していくのか、が想像しやすくなるだろう。


 これら一つ一つは歯車みたいなものだ。

 実際、細かな配慮をお客さんは気付かないかもしれないし、花粉症か何かで鼻水が詰まっていればアロマの香りも分からないだろう。

 だけど『お客さんのことを考えろ』に、僕はもう一つ必要なことがある、と考えた。


 少しでも可能性を上げる。

 少しでもお客さんが『この部屋が良いな』と思ってくれれば。

 そのための努力は惜しまない。


 それが僕の対十香彩芽さんの対策であった。


 やがて十香さんは立ち上がり、窓を開けてベランダに出たりして、相変わらず注意深く部屋を内覧し出した。

 部屋の案内が終わったのは、始まってから三十分くらい経っただろうか。


 さあ――やるべきことはやった。

 だけどブーツを履く十香さんの背中を見ていると一抹の不安。


 これで大丈夫なのだろうか?

 何せこれを逃せば、ほぼ間違いなく浮口市は消滅してしまうのだ。

 慎重を何重にも重ね着しているため、心配になりすぎているのだ。


 ああ――十香さんがこのドアを開けてしまえば案内が終わる。

 寂しさや不安――入り交じった感情のまま、十香さんに続いて外に出ると、


「むむっ! 圧倒的じゃないか我がアパートは! 次の入居者も美少女じゃないか」

「国別府さん五月蠅いです。もう少し静かに出来ないんですか? ……でもすごいキレイ」

「ククク……良かろう。我が闇の眷属に迎入れてやろうではないか」


 八重樫さんや二タ月さん。国別府が外に出て、十香さんの前に姿を現していたのだ。


「え……」


 十香さんの戸惑ったような表情。


 ……こいつ等。あれ程、怖がらせてしまうかもしれないから、案内中は静かに部屋の中にいろって言ったじゃないか!

 慌てて十香さんのフォローをしようとすると――。


「よろしく。ボクは二〇一号室に住む国別府というものだ。訳あって探偵をしている」


 気にせず国別府が手を差し出す。

 その手を受け取らない十香さん。


「よろしくお願いします。私は八重樫凪です」

「我はフェリシア・ニコ・インリングワース。魔女である」


 ――国別府のバカ病が感染したのだろうか。

 八重樫さんも二タ月さんも続けて握手をしようとした。


「…………」


 しかし十香さんは差し伸べられる手を黙って見ているだけ。

 僕は急いで十香さんとみんなの間に割って入り、


「静かに部屋にいろって言ったじゃないか! 十香さん、すみません……この人達はこのアパートの住民です。悪い人じゃないですから」


 しどろもどろで何とか言葉を紡ぐ。

 驚いたように目を見開いている十香さんは黙ってみんなの横を通り過ぎた。

 そして叔母さんの車に乗ろうとする時――。

 僕達の方を振り向いて最後にこう言った。


「少し考えさせて」


 と十香さんは言い残して、ファミーユコノエを後にしていった。

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