35・ラストチャンス
『案内の予約が入ったぞ』
朝、起きて叔母さんからのメールを見た瞬間。
嬉しさで飛び起きて、すぐに万葉ちゃんの部屋へと向かった。
「万葉ちゃん! 万葉ちゃん! やったよ! 部屋を見たいっていう人が現れたよ!」
眠たそうに瞼を擦る万葉ちゃん。
「……それは良いことだけど、毎度毎度朝早く……まあ寝起きドッキリの良い練習になるから良いけどね」
「いつそんな機会があるんだ?」
三月が終わるまで残り三日。
最後のチャンスだった。
「この時期に部屋が見たい、って不思議な人だね」
「四月までに入りたい、って思っていたけど、なかなか納得する部屋が決まらなかったみたい。それでネットでファミーユコノエを見つけて……」
ここにきて四月一日までに入居したいという珍しいお客さん。
このお客さんもそろそろ焦っているだろう。
流石にこれで決めなければならない、と。
千載一遇のチャンス。
チャンスがやっと僕の前に停まってくれたのだ。
「今日早速案内だけど……万葉ちゃん。絶対、このお客さんで決め――」
言葉が止まる。
――お客さんのことを考える。
そう、今まで僕に足りなかった視点はこれだったんだ。
深呼吸一つ。
咳払いをして、改めてこう言い直す。
「ファミーユコノエの良さをお客さんに分かってもらえるよ。そしてお客さんも納得して、この部屋に入ってもらえるように頑張るよ」
「うん! そうだね」
嬉しそうな万葉ちゃん。
ファミーユコノエを満室にする、という目標達成が目の前にきているのだ。
そう、この笑顔を守るために。万葉ちゃんの夢を叶えるために僕は頑張っている。
情熱に燃える僕は今日という日を最善にするために、万葉ちゃんに頼み事を一つする。
「それよりもまず……万葉ちゃん。案内にあたって準備することがあるんだけど手伝ってくれるかな?」
■
「えー、無理。足が痛ーい」
叔母さんが運転する車に乗せられて。
最後のお客さんになるであろう。十香彩芽さんがやって来た。
「うんしょ、と。ふーん、写真で見ているよりもボロいアパートじゃん」
「な……!」
助手席から一国のお嬢様のように出てきた十香さん。
歳は僕と同じくらいだろうか。髪型はポニーテールで、強気そうな瞳が印象的な女の子。透き通るような白肌は、西洋の人形を思わせる。
砂糖菓子のような服装。やけにヒラヒラとしたワンピースで、触れば壊れてしまいそうな硝子。
息が止まってしまいそうなくらいの美少女。
万葉ちゃんも、八重樫さんも十分に美少女だけど、そういったものと種類が違うのだ。
美少女として硝子ケースに収められていても何ら可笑しくないような。
だけど――十香さんは出てくるなり、ファミーユコノエを見て悪態を付いた。
ファミーユコノエをバカにされることは、万葉ちゃんをバカにされること。
お客さんだということも忘れ、思わず拳を握りしめると、
「すみません。ボロいアパートで。でも! 部屋はすっごいキレイですから、是非ご覧下さいね!」
「ふーん。まあ何事も中身が大事だしねー。分かったー」
一歩前に出て、大人の対応を見せる万葉ちゃん。
張りつめるような美のせいか、わがまま放題に育てられたんだろうなー、と十香さんを見ていて思う。
「じゃあ、早速中を見ていきましょうか」
このままでは十香さんにペースを取られてしまいそうだから。
テーマパークの従業員のように両手を広げて十香さんにそう言った。
「うん。私も暇じゃないからねー。早く中を見ていきましょーう」
間延びした声で、思わず肩の力が抜けてしまう。
僕を通り過ぎ、十香さんが残り一部屋――つまり一〇一号室へと歩いていく。
おそらく最後になるであろう、僕の案内。
開戦の火蓋が脳内で切って落とされ、集中力のスイッチがオンになる。
「――と、まずはその前に」
車で十香さんをここまで送ってくれた叔母さん。
叔母さんは黒塗りの車のボンネットに腰掛け煙草を吸っていた。
酒を呑まなければ美女の一員だし、長い手足はモデルのようだ。
叔母さんは僕の視線に気付いたのか、煙草を咥えたままこちらへと視線をやる。
――そんな叔母さんに親指を立てて見せる。
叔母さんから聞かされた『お客さんのことを考えろ』という言葉。
それを胸に刻んで、今までの僕とは違う案内で十香さんのハートを射止めてみせます。
口には出さず、動作だけでそう示したのだ。
空は突き抜けるような瑠璃色。青色のキャンパスに雲が塗られている。
気持ちの良い太陽の日差しに照りつけられ、叔母さんはやる気がなさそうに親指を立てる。
――頑張れよ。
そして声に出さず、口がそう動いたのを視認する。口パクだ。
――うん! 任せといてよ。
僕も口に出さない。そんな覚悟を胸に秘め、振り返って十香さんの後へと続く。
僕の隣には万葉ちゃんが歩く。
僕は一人じゃない。何故ならこんなに可愛くて頼りがいのある仲間がいるのだから。
最後の案内の始まりは、不安なんて感じなかった。




