23・調子にのるなよ
あれから三日後。
八重樫さんに叔母さんが重要事項説明を読み上げてくれて。
無事に契約書に署名・捺印を終え――僕が営業マンとなってから、初めてファミーユコノエに入居者を入れることに成功したのだ。
「ふう……これで一仕事終わりだね」
八重樫さんが店から出て行ったのを見て、椅子に座ってほっと一息。
といっても、僕がしたのは写真を撮って、部屋の内覧に付き合っただけのこと。
契約書等は叔母さんに作ってもったので、ほとんど苦労していないと言えば否定出来ない。
だけどここまで緊張の連続だったのだ。
もし契約日に八重樫さんがドタキャンをしたら?
もう一度、始めから。
営業マンが一番嫌がることは、「契約直前のキャンセル」だと聞いたことがあるけど、その意味が少し分かった気がした。
「ふふん♪ もしかしたら僕は天才かもしれないな」
契約書に押された『八重樫』のハンコの文字を見て鼻歌。
そんな僕を叔母さんが後ろから見ていて、
「ふん。たまたまだ。調子に乗るな」
「またまた叔母さん。もしかしたら嫉妬しているんじゃいの?」
「だ、誰がアンタなんかに嫉妬してるのよ! 勘違いしないでよね! アンタのことなんて好きじゃないんだからっ!」
「何で唐突にツンデレキャラ?」
「しかし――今回は偶然に過ぎない。八重樫凪というあのおっぱい妖怪がバカだったに過ぎない。おっぱいが大きいヤツに賢いヤツはいない」
「それ叔母さんがおっぱい小さいの僻んでいるからだよね。でも――ファミーユコノエの入居者をバカ、って言うのは流石の叔母さんでも言い過ぎだと思うよ」
叔母さんを睨み付ける。
すると叔母さんはファイティングポーズを取って、
「ふん。一丁前に怒ったか。良かろう。殴り合おうか」
「いつの間にか装着しているボクシングのグローブを外してくれるかな」
「暴力的なのはいけないな。さあ、キャッチボールをしようか」
「今度は野球のグローブ?」
ボケをかます叔母さんは、グローブをはめたまま腕を組む。
そして、一転して真剣な声音になり、
「だが――油断するな。あんなすぐに決めてくれるお客さんばかりではない。野球で言うとど真ん中スローボール。一番打ち頃の球をポテンヒットしただけで良い気になるな」
多分、左手にはめているグローブに引きずられているのだろう。
曲がりなりにも、不動産屋の社長をしている叔母さんの言葉は説得力があった。
だけどその真意は――未熟な僕にはまだ分からなかった。
少年マンガの師匠みたいなことを言ってから、叔母さんは慌てて腕時計を見て。
「むっ! もうこんな時間か。出かけなければ」
「何か用事でもあるの?」
「仕事だ。近くの居酒屋で一杯引っ掛けてくる」
「それって、ただお酒飲みに行くだけだよね!」
ツッコミを入れるものの、「さらばだ!」と言って店を飛び出してしまった叔母さん。
そしてお店で一人になる僕。
――心に残る達成感。
一人前にやれるという自信。
喉を通り抜ける爽快感。
心地良い一切のものが僕の体を包んでいた。
こうしてお店を眺めていると、自分が社長になったみたいに――。
「やっと一人決められたか。よくやった。褒美に頭をナデナデしてやろう」
一人しかいないはずの店内に響く聞き覚えのある声。
気付くと、頭を撫でられる感覚。
ビックリして肩を震わせてから、後ろを振り返ると、
「守り神……」
「上手く行き過ぎなような気もしたが、まずは及第点だ。残り三週間。残り三つの部屋もこの調子で埋めていけ」
何だか久しぶりに見る守り神のキレイな顔がそこにはあった。
前に見た時よりも、顔の血色が良くなっているような気がする。
心なしか一段階テンションが高いような声。
「どう? 守り神。僕の実力は。だから言ったでしょ。僕だったら、すぐにファミーユコノエを満室に出来るって」
「そなたは記憶喪失なのか? 『ふぇ〜ん。ボロアパートを満室になんて出来ないよぉ、ぉにいちゃん』と泣いていたのは誰だったかな」
「いつの間に僕、妹キャラになったの!」
「まあしかし――自信を持つのは良いことだろう」
我こそが自信の化身、とでも言うような守り神が偉そうに言った。
僕は手をヒラヒラとさせて、
「まあ僕に任せていてよ。一ヶ月と言わず、残り一週間でファミーユコノエを満室にしてあげるよ」
「……ふむ」
……あれ?
守り神にとって、一部屋埋まることは良いことなのに。
釈然としていないような守り神の表情。
「自信を持つことは良いことなのだ……しかし、だな。慢心はいけない。これで調子に乗って努力を怠ってはいけないぞ」
と子供を窘めるように言う守り神。
僕はそんな言葉にムッときて、
「何さ。守り神は何にもしてないのに。今までだってどうしたのさ。僕は何度もここに来ていたんだから、顔くらい見せればよかったのに」
「近くを通りかかった親戚のようなことを言うのだな――見せたくても見せられなかったのだ。こうやって、この世界に姿を現すのもエネルギーを必要として、な」
そういえば、そんなことを言っていた気もする。
ファミーユコノエのある土地がエネルギーの源泉。
そこからエネルギーを得て、守り神は浮口市を守っていると。
「だけど、一部屋埋まって少しは体が楽になったでしょ?」
「ふむ。その通りだ。それは素直に感謝を述べよう」
「うん。腰に手を当てながら、言ってはいけない言葉だよねそれ」
「少しだけだが、八重樫凪が入居することによって、エネルギーを得ることが出来た。例えるなら、夜に普段より十分だけ多く寝たような感覚だ」
「それってほとんど変わっていないよね?」
なら、今から頑張ってファミーユコノエを満室にすればいい。
そうすることによって、守り神の体に充分なエネルギーを与える。
浮口市の消滅なんていう、バカげた事態を回避出来るのだ。
「――楽しそうになってきたな」
「ん? 何か言った?」
訊ねると守り神はプイッと視線を逸らしてしまった。
だけど僕は見逃さなかった。
守り神が一瞬寂しげな表情を見せたのを。僕はその意味が分からなかった。
「まあ、とにかく慢心をするなよ」
それは僕より長くファミーユコノエを見てきた守り神だからこそ、言える言葉だったのかもしれない。
少しずつ彼女の体が薄くなっていき、
「後三部屋だ。一週間で一部屋。浮口市の未来はそなたにかかっておる――」
と――そこまでがエネルギーの限界だったのか、煙のように目の前からいなくなった。
一週間で一部屋――うん。良いペースなんだ。何も焦る必要はない。
普段ならこのままネットメンテをしたり、業者回りに出かけたりするだろう。
だけど……仕事に一段落を付けて、体は電源をオフにしかかっている。
「今日くらいは休んでもいいだろう」
自分に言い聞かせるように呟く。
近くの机に置いていた荷物を持って、椅子から立ち上がる。
そう……今日くらいは休んでもいい。戦士にも休息が必要だ。
そんなことを思いながら、店の戸締まりをして、ファミーユコノエの自分の部屋に向かうのであった。




