21・八重樫凪
◆
――あれから三日後。
「万葉ちゃん! 万葉ちゃん!」
就寝中の札がドアノブにかけられている万葉ちゃんの部屋のドア。
僕はスマホを片手に叩いていた。
「うーん、どうしたの。雄斗君。私の朝ご飯を食べに来たの?」
「実は朝ご飯アレルギーで、食べたら死ぬかもしれないんだ! そんなことより万葉ちゃん、これを見て!」
さり気なく死亡フラグを回避しながら、スマホの画面を万葉ちゃんに見せる。
眠そうに瞼を擦っている万葉ちゃんは、目を画面に近付けて、
「――今日の昼。ファミーユコノエを見たい、っていう人がいるから案内よろしく?」
「そうなんだ! 朝起きたら、叔母さんからメールが来ていて……やったね、初めての案内だよ!」
息巻いて言う僕。
「案内――っていうことは、ファミーユコノエに入居したい、って言ってくれている人がいる、ってことだよね」
朝は低血圧なのか。
簡単なこともすんなりと理解出来ず、問いかけてくる万葉ちゃん。
賃貸営業において、入居者が決まるまでの段階は――大分、大雑把だけど――三つに分けられる。
それが『反響』→『案内』→『契約』である。
今までしていたように、インターネットに物件情報を掲載して、お客さんが現れるのを待つ。これが最初の段階である『反響』だ。
最後の段階である契約は言わずもがな。重要事項説明を読み上げ、契約書に名前とハンコを貰い、家賃や敷金等の初期費用を払ってもらう。これが最後の『契約』。これで初めて入居者が決まった、ということになる。
そして間の段階である『案内』とは、言葉の通り『反響』で現れたお客さんがその部屋を見に来ることを意味する。
難しそうだけど、要は入居したい部屋の中身を見せてあげて、「ここはお風呂とトイレが別なんですよ」「駅から近いマンションです」といった具合でセールストークをしたり、お客さんからの質問に答えたりすることである。
勿論、『案内』せずに契約まで至るパターンもあるけれど――それは例外。
不動産屋にとっては試合当日。
最もアドレナリンが放出される瞬間である。
「万葉ちゃん……! 頑張ろうね。前にも言った通り、案内には万葉ちゃんも付き添ってもらうつもりだから!」
万葉ちゃんの手を握って、目をしっかりと見て言う。
すると彼女は少し困ったような表情をして、
「でも大丈夫かな。変な人だったらどうしよう」
「その場合は入居してもらうのを断れば良いんだよ。そのための案内だよ」
案内とは、基本的に初めてお客さんと顔を合わせることになるので、不動産屋・大家さんサイドにとっても、入居者審査といいう側面を持つ。
といっても浮口市消滅の危機にあるのに、そんな余裕があるのか――と守り神に言われそうだけど、これだけは譲れない。
もしダメダメな入居者さんであって、万葉ちゃんを困らせるようなヤツは、すぐに出て行ってもらうことになるかもしれないからだ。
万葉ちゃんはようやく事態を飲み込めたのか、嬉しさ半分緊張半分、といったところ。
僕は大家さんを元気づけるようにして、力強くこう訴える。
「大丈夫。僕に任せて万葉ちゃん。万葉ちゃんは隣にいてくれるだけでも言いからさ」
その言葉で気持ちが軽くなってくれたら嬉しいのだけれども。
万葉ちゃんの表情に可愛らしい笑顔が戻り、
「うん……! 雄斗君だったら大丈夫だよ。頼りにしているからね。私だけの不動産屋さん」
「ま、任せてよ」
私だけの――。
そんな語感に脳がクラクラとしてしまう。
絶対に決めてやる。
言葉には出さないけど、脳内で拳を固く握りしめるのであった。
「でも、さ。雄斗君。そのお客さんの名前は?」
「うん。えーっと……ちょっと待ってね、確か」
スマホの画面をもう一度見て、同じ叔母さんから二通目に来ていたメールを見る。
「八重樫凪――グラビアアイドルをしている女の子みたい」
時刻はお昼の三時。
快晴の青空で心地良い風が流れている。
「本当に来るのかな」
「大丈夫。ちゃんと来るよ」
ドタキャンされることを心配しているのだろう。
隣に立つ万葉ちゃんは不安なのか、それとも緊張しているのか、何となくそわそわしていた。
それは僕も同じこと――。
初めて着る黒いスーツに身を包んでいる。
流石にお客さんの前だ。
これくらいの正装は必要だと思い、叔母さんが持っていたおじいちゃんの形見を着させてもらった。
「ふふふ。それにしても雄斗君。そんなきっちりしている姿、あんまり見ないから何だか変」
僕を見てクスクスと笑う。
そうかな……? まあ確かにネクタイも慣れていなくて、微妙な長さになってしまったし、今は髪も普段使わないワックスで固めているけれども――。
「いつも寝癖が付いているのに」
「まあ寝癖付いていて、『何てだらしない人だ!』って思われるのも嫌だしね。これくらいは最低限のマナーというヤツで」
「いつもアホ毛がぴょんと跳ねていて、『遅刻遅刻〜』って家を飛び出していく天然キャラだったのに」
「僕はどこぞの萌えキャラかな?」
「今日はツッパリマンガみたいなリーゼントじゃない」
「万葉ちゃんはどこを見ているんだ! リーゼントじゃないよね!」
ツッコミを入れている内に、少しずつ心が落ち着いていく。
もしかして万葉ちゃんなりにリラックスさせてくれたのかな。
「……緊張している? 雄斗君」
万葉ちゃんが手を回して、顔を近付けてきた。
「まあ緊張……はしているかもしれないね」
何せ案内なんて初めてだから。
昔、叔母さんにお客さんの案内に同行させてもらったことはあるけども。
ただでさえ人見知りなのに、その上でファミーユコノエに決めてもらうという任務――そわそわしているのは僕の方かもしれなかった。
「大丈夫だよ。雄斗君なら――大丈夫」
僕の胸に手を当てて、万葉ちゃんはおまじないのように言った。
手の体温が心臓にまで浸透し、少しずつ鼓動が正常になっていくようであった。
「ありがとう。万葉ちゃん。もう大丈夫」
「……うん! 頑張ってね!」
僕の胸から手を離して、万葉ちゃんがニコッと微笑む。
そうだ。僕はこの笑顔を守るために、こんな真似をしているのだ。
ファミーユコノエを満室にする――まずはその一歩目。
という感じでファミーユコノエの前で待っていると、
「あの――すみません。えーっと『ファミーユコノエ』はここですか?」
前から女性が近付いてきて、こう話しかけてきた。
清廉とした風が流れるようであった。黒髪ロングで、柔らかい顔付きをしているけれど、意志の強さを示しているかのように瞳の色は力強い。
服も清楚なワンピースで麦わら帽子をかぶっている。少し垢抜けない印象も抱いたけれど、万葉ちゃんに負けず劣らない美人さんだった。
「は、はい! そうです」
「間違ってなくて良かった」
ほっと胸を撫で下ろす女性。
その時に自然と胸へと視線がいってしまう――。
暴力的なまでの胸の膨らみであった。薄緑色のワンピースからも、膨らみを隠し切れていない二つの山頂。
女性が少し動くだけで、ブルルンと胸が揺れるようであった。
「あっ、すみません。申し遅れましたが、八重樫凪と申します! 今日は御社の物件を見に来ました! どうかよろしくお願いします!」
もの凄い勢いで九十度のお辞儀をする女性。
「えっ、じゃあ君が八重樫さん――」
何となく、イメージとしては二十代後半くらいをイメージしていたけど、目の前の八重樫さんはもっと若い。
おそらく僕達と同じくらいの年齢ではないだろうか。
「八重樫さん。今、何歳なんですか?」
「御歳十五歳になります!」
背筋をピンと伸ばして答える八重樫さん。
この受け答えだけでも、バカが付く程真面目な人格が見えるようであった。
「じゃ、じゃあ――僕と万葉ちゃん……いや、大家さんと同じ歳なんですね」
「え? そうなんですか?」
八重樫さんの視線が万葉ちゃんと向く。
その視線を感じたのか、すぐにちょこんと頭を下げて、
「近衛万葉です。一応、このファミーユコノエの大家をやっています」
「私と同じ歳ということは、十五歳ということですか」
「はい。まだ若いものには負けない気概はあるつもりです」
君も若いでしょ。万葉ちゃん。
「十五歳で大家さん――お金持ちなんですね」
「い、いや……ここの大家の近衛さんは、両親を亡くしてね。それでこのアパートを相続しているんだ」
「え……? そうなんですか。そ、それはすみませんでした!」
無駄に恐縮し一歩下がって、頭を何度も下げる八重樫さん。
首が取れてしまいそうな程の勢いだった。
僕達と同じように、八重樫さんも緊張しているのだろうか。
「頭を上げてください。八重樫さん」




