14・少年の決意
決意の朝は爽やかな冷気によってもたらされる。
「今日も良い天気になりそうだな」
カーテンを開け、外を眺めながら独り言。
山一つない浮口市の光景。
アパート前に道に人々が往来しだす。
「……よし!」
頬を両手で叩いて気合いを入れる。
その後、僕は服に着替えてアパートから出た。
行く前に万葉ちゃんに挨拶しておこう、と思ったけど、ドアノブに『就寝中』と書かれた札がぶら下げられていた。
おそらく起こされるのが嫌なんだろう。万葉ちゃんは昔からそうだった。寝ることが何より大好きな。一日一二時間くらい寝ている。ネコみたいな子だった。
早足で――の場所へと向かう。
たくさんの賃貸マンションが建ち並んでいた。
賃貸募集中の看板が無造作に貼られている。
目に付くだけでもこれだけ賃貸物件があるのだ。ファミーユコノエはこの中の一つでしかない。
浮口駅へと近付くと共に、人の往来も激しくなっていった。
そして歩道橋がある交差点を越えると、寂れた『不動不動産』の看板がそこにあった。
相変わらず不用心に開けっ放しになっている裏口から入る。
入ってすぐのテーブルにファミーユコノエの物件ペーパーが一枚だけ置かれていた。
僕はそれを見て、すうーっと息を吸い込んで、
「おい! 守り神。出てこい。今日は君に言いたいことがあって来た」
店内に響き渡るような大きな声を出す。
すると本棚の横くらいから、薄い煙が現れ、やがて人間の輪郭を描いた。
「朝からそんな大きな声を出さなくても、妾はいつでもここにおる」
巫女装束に身を包んだ守り神が姿を現した。
何も言い出さない僕に対して「こほん」と守り神は咳をして、
「ほら、何だ。妾も少し強引なところがあったと思う。いきなり浮口市を救え、と言われてそなたも混乱していると思う」
「…………」
「だから妾は一晩考えた。夜の十時くらいまで考えて寝させてもらった」
「規則正しい生活!」
「もし浮口市を救ってくれた暁は、最新ゲーム機『Fii』を買ってやろう」
「そんな『次のテストで一位を獲ったら』みたいなテンションで言われても!」
「無論、ダメな場合はゲーム禁止だ」
「いや浮口市が消滅するんだから、物理的にゲームは出来なくなるよね」
冗談にしか聞こえないけど、守り神の表情は真剣そのものである。
「頼む。この通りだ。浮口市を救ってくれ」
「いや腕を組んだ状態でそんなこと言われても……」
「そんなこと言わずに、頼む!」
「ブリッジをした状態で言われても余計に困るよ!」
ブリッジをして顔だけこちらに向けているシュールな守り神。
向きが反対なら、守り神のパンツを見れたかもしれないのにね……って何、僕はくだらないことを考えているんだ。
「守り神――今日は君に伝えたいことがあって来たんだ」
「……もう大体想像は付いておる」
立ち上がって、全て諦めたように溜息を一度吐く。
「ほら、何だ。浮口市が消滅しても、そなたごと消滅するとは決まっていないからな」
「え、そうなの?」
「ふむ。可能性で言うとサイコロを振って、六の目を十回連続で出すくらいの確率だ」
「〇・一%以下ってことなのっ?」
「ならば、全くのド素人が三年間で甲子園に出るようなものだ」
「野球マンガじゃあるまいし、さらに可能性は低くなると思うけど……」
何か守り神は勘違いしている。
少し迷ってから、僕は口を開き「ファ」と発音したところで、
「貴様! よく戻ってきたな! 前は私の大切な花瓶を割やがって。さあ、さっさと店内をもう一度掃除しやがれ!」
壊れたんじゃないか、と思うくらいの盛大な音を立てて。
裏口から叔母さんが登場。
千鳥足で僕の方に向かってきて、胸倉を掴み上げる。
口が酒臭い。多分、今起きたんじゃなくて、今帰ってきたところだ。
「お、叔母さん! 勿論、店はもう一度掃除するからさ! ちょっと離してよ」
「ダメだ。折角、ビール六缶パックを用意していたのによ。こんな有様だから、私が飲んだじゃないか」
「最初から叔母さんが飲む気だったよね!」
「うるさい!」
鼓膜が破れるような怒声。
叔母さんの足裏で蹴られ、背後のテーブルに体をぶつけてしまう。
「全く……一人で何をしてやがんだ。ぶつぶつ喋っているから、誰かと喋っているかと思ったけどよ。新手のオ○ニーか?」
「え? 一人――」
「妾の姿は観測者たるそなたにしか見えていない」
床に手を付いた僕のお腹に、容赦なく蹴りをくらわせてくる叔母さん。
それを近くで見る守り神は助けようとする素振りも見せなかった……。
僕にしか見えていない? まあ、そこまで引っ掛かることじゃないけども。
叔母さんの猛攻が終わったのは、「おろろろろろろ!」と幽霊が登場する時のような音が聞こえた時だ。
また叔母さん、ゴミ箱に顔を突っ込んで吐いてる……まあ、朝帰りでいきなりのキックは身体にダメージが大きいのだろう。
その隙に僕は立ち上がって、ボクサーのような心境で叔母さんと距離を取って、
「叔母さん……店は勿論、片付けます。だけど、今日は言いたいことがあって来ました」
「ああ? 何だ改まって。私は忙しい」
「何に?」
「吐くのに決まっているだろうが。おろろろろろろ!」
……もう! 真剣な話をしようとしているのに、雰囲気が壊れるな!
やがて「ぜえぜえ。暇になった。何だ? 話って」と息を荒くした叔母さんがゴミ箱から顔を上げたのを見計らって、
「――このお店で働かせてください!」
「ああ? お前、どういう風の吹き回しだ」
「ファミーユコノエを満室にしたいんだ」
そう言うと「な、何だと! そなた、その気に……!」と驚いたような守り神の声。
そんな声なんて聞こえない叔母さんは何故だか嬉しそうに見えた。
「ほほう。ファミーユコノエ。あのボロアパートか」
「うん――あそこは万葉ちゃんの大切なアパートなんだ。万葉ちゃんの笑顔を僕が守ってあげたい」
ちょっと恥ずかしい言葉のように思えたけど、これが僕の率直な気持ち。
ファミーユコノエを満室にしたい――そんな万葉ちゃんの未来を叶えてあげるために。
ここでやる気を出さなければ男がすたる、ってもんだ。
いくら料理が下手でも、美少女が悲しそうにしている顔なんて見たくないもんね。
それに――。
「そして浮口市も――守らなくちゃ、ね」
「はあ? 浮口市も守る? お前、スケールが大きくなったな。まあ街の景観を崩す、ボロアパートの存在価値を見出してやる作業は、ある意味浮口市を救うってことに繋がるかもしれないけどな」
薄暗かった店内に朝日が差し込む。
始まりの朝日であった。日差しに照らされた叔母さんは、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。
「良いだろう。お前をここで働かせてやる。惚れた女の願いくらい叶えてやれ」
どこか嬉しそうに叔母さんは僕の右肩に手を置くのであった。
そして左肩には、後ろから守り神の手が、
「よくぞ決心してくれた! そなたが浮口市の救世主となるのだ!」
飛び跳ねて喜んでいる守り神の声。
もう後戻りは出来ない。
ド素人の僕が一ヶ月後までにボロアパートを満室にしなければならない。
だけど不思議と不安はなく、未来に向けた希望が胸に満ちていた。




