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12・銀行

 前屈みになっていた守り神が、背筋をピンと伸ばし。左手は腰に、右手で扇子を広げて、


「これで分かっただろ。そなたが普通の高校生活を送りたいならファミーユコノエを満室にして、浮口市の救世主となるしかない」

「…………」

「大丈夫。今は三月初め。進学や就職によって、一番不動産が動く時期だ。そなたの力があれば、ファミーユコノエを満室にすることくらい容易いはずだ」


 自信を付けさせるため、力強い言葉を贈ってくれる守り神。

 だけど高校生活が一瞬にして消滅し、自暴自棄になっている僕には、心許ない、鳥の羽一枚分の重さしか持たない言葉であった。


「無理だよ……僕なんかには……」


 顔を上げて、守り神を見ながら言う。


「僕、普通の高校生だよ?」

「今は中卒だろう」

「普通の高校生なんかに、空き部屋ばかりのアパートの部屋を満室にすることなんて出来ないよ」


 稼働率約三十%。


 新築マンションなら、一ヶ月で残り四部屋埋まるかもしれないけど、ファミーユコノエは築三十年のボロアパートだ。


 階段の手すりが壊れる程の――。

 凄腕の営業マンならともかく、僕みたいな普通の高校生がボロアパートを満室にする? 冷静に考えて出来るわけがない。


 昔、叔母さんの仕事を遊びがてら手伝っていたから分かる。

 いくらシーズンとはいえ、残り一ヶ月でボロアパートの四部屋を埋めて、満室にするという意味を。

 だからこそ、僕の目の前には絶望しかなかったのだ。


「何を言っておる! このままでは浮口市は消滅するぞ! 最悪、そなたという存在自体も『世界の自己修復能力』によって消滅するかもしれない!」


 慌てるような守り神の声。

 へっ、と自嘲めいた笑いが僕の口から溢れ、


「それも良いかもしれないね。どうせ楽しい高校生活を送れない、と決まった僕の人生なんてお先真っ暗だ。浮口市と一緒に消滅するのも悪くない未来かもね」

「言い忘れていたが、ファミーユコノエを満室にしてエネルギーが充分になれば、今まで消滅していた街並みを復活させることが出来る! つまり浮口高校も再生するのだ。そうなれば、そなたは胸を張って高校に通うことが出来るだろう!」

「へえ、そうなんだ……けど、関係ないね」


 どうせファミーユコノエなんて満室に出来ないから。

 どうして守り神が僕に期待しているのか分からない。どうして僕を浮口市の救世主に任命したのか分からない。

 放っておいてくれ――浮口市なんて消滅してしまえばいいさ。

 そこまで思い入れのある街でもなかったような気がするしね。


 フラフラと立ち上がり、おぼつかない足取りで裏口へと向かった。


「ど、どこに行く! 不動雄斗! そなたしか浮口市を救えないんだぞ」

「僕だから浮口市を救えないんだ」


 外に出て扉を閉める。

 やあやあと守り神が扉越しに騒いでいた。

 おそらく、守り神の行動範囲は店の中くらいなのだろう。そうじゃなければ追いかけてくるはずだ。理由は知らないけど。


 視界がぼやけている。天気は快晴のはずなのに、僕の目の前が霧がかかっているようであった。


  ◆


 そのままぼーっとした頭のままで、ゾンビのように浮口市を彷徨っていた。

 既に空は橙色。夕暮れ時というヤツで、昼と夜の境界線の上に時計の針は止まっていた。


 ――浮口市の消滅。


 とんでもないことだ。少なくても実害が出過ぎている。このままでは僕のイメージしていた楽しい高校生活が木っ端微塵に砕け散る。


 ――ファミーユコノエを満室にする。


 出来るわけがない。いくら僕が普通の人より、不動産の知識があるにせよ、だ。それが一体何になるんだ。


 そもそも守り神も叔母さんに頼めばよかったんだ。

 高校時代、生徒会長も務めた、とも聞いている。今では酔っぱらいの女にしか見えないけど、やる時はやる人だと、昔からの経験で知っている。


「どうして守り神は僕なんかを救世主に任命したんだ?」


 そう呟きながらトボトボと歩いている。

 擦れ違う人々は浮口市の消滅なんて知らない。

 この世に僕一人しかいないんだ、という疎外感。誰に助けを求めても無駄だという孤独感がさらに気持ちを落ち込ませる。


 そんな感じでいつの間にかファミーユコノエの前に到着。

 どれだけ明日が暗くても、僕には帰るしかないのだ。

 自分の部屋に帰ろうとすると――体が止まり、近くの電柱に身を隠す。


「――もう少し、待ってください」

「いつまで待てば気が済むんですか?」


 何故なら、一〇三号室。

 万葉ちゃんの部屋の前で、スーツを着た女の人が立っていたからだ。

 玄関前で困ったような表情で、謎の女性と話している万葉ちゃん。


「今からシーズンです。きっと、良い人も入ってくれると思いますから」

「良いですか? 近衛様。私はあなたをイジめているわけではありません」


 そうは言うものの、僕には謎の女性が万葉ちゃんを言葉でイジめているようにしか見えなかった。


「このまま空き部屋ばかりの当物件をこのままにして、何の意味があるんですか。毎年税金も払わなければなりません。どんどんと負債が増えていきますよ」

「分かっています……分かっていますから、もう少しだけ」

「今はご両親の保険金で、何とか月々のローンを払えていますが、いつかはこんな生活は破綻してしまいます。なので今の内にこの物件を取り壊して、駐車場にするなり、売りに出すなりした方が効率的なのでは?」

「だけど――私にとって、このアパートは特別なんです」

「勿論知っています。ファミーユコノエが近衛様にとって、ご両親の形見、ということもね……」


 一転、言いなだめるような優しい口調。


「だからこそ、なのです。ご両親の形見がこのままでは重荷になってしまいますよ? いつか、月々のローンが支払われず、この物件が取り上げられ競売にかけられてしまうかもしれません」

「…………」

「そうなってしまってからは遅いんです。だから――」

「三月が終わるまで――!」


 両の拳をぎゅっと強く握ったように見えた。

 万葉ちゃんは強い意志を瞳に込め、スーツの女性に一歩踏み出し、


「三月が終わるまで待ってください。三月が終わるまでに、空き部屋を全部埋めれば文句はないんでしょう?」

「三月が終わるまでに満室? そんなこと出来ると思ってい……いや、良いでしょう。分かりました。あなたの覚悟、とくと見せてもらいますよ」


 では私はこれで――とスーツの女性は深々と頭を下げて、万葉ちゃんから離れていった。

 途中、電柱に隠れている僕と擦れ違ったけど、気付いているのかいないのか涼しげな顔をして、駅の方へと向かっていった。


「……万葉ちゃん?」


 電柱からひょこっと顔を出し、万葉ちゃんに近付いて声をかける。


「雄斗君――」


 ほっとしたような万葉ちゃんの表情。

 まるで今まで海の中に潜って息を止めていたかのよう。


「一体、今の人は?」

「……恥ずかしいところを見られちゃったね。さっきのは銀行の人。ファミーユコノエを買う時に、あそこからお金を借りてるんだ」

「借りてる……って。築三十年だろ? まだ返済しきれてないの」

「バブルの時に建てたアパートだからね。それに、何回か返済が滞っているし……後十年くらいはローンが残っているよ」


 何てことだ。

 ファミーユコノエは資産であると同時に、負債の一部でもあったのか。


「じゃあ今の人は――」

「借金の取り立て……って言う程、厳しくないけどね。何とか、まだローンは支払えているし」

「そっか……」


 何となく暗い気持ちになる。

 だから、おそらく暗い顔をしていたのだろう。

 万葉ちゃんは気丈に振る舞うようにして、


「まあまあ、とにかく。こんなところで立ち話もなんだから、中に入らない? 今日は肉じゃがを作るつもりだから。一緒にご飯食べていこう」


 と僕の手を引っ張って、部屋に連れ込むのであった。

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