処刑
これ賢、これ徳、よく人を服す。
――劉備玄徳
「幻想郷の方、今どうなっているかしらね」
紫は、"表の"博麗神社で、豊姫と二人で話していた。 これからどう転ぼうと、恐らく幻想郷は一度壊さなければいけなくなってしまった以上、幻想郷の皆に説明する義務が紫にはあった。
「貴方がいない事に、慌てふためいているんじゃないのかしら。 ……幻想郷が再び作れるまで、彼らの安全は私達月の民が保証するわ」
「優しいのね、これから幻想郷を壊そうっていう人が」
豊姫は苦い顔をしてから、「私だって本意じゃないのよ」と言った。 しかし紫は何も言わずに、鳥居に腰掛けると砂をさわり、懐かしむような笑顔を見せる。
「幻想郷は……最初は逃げる為に作ったものだったのに……今じゃ、その逃げ場の方が外の世界より好きになってしまったわ。 守る為なら、死んでしまったとしても構わないほどにね」
紫は鋭い目つきで豊姫をにらみつけて、自分の扇を突きつける。
「私の命よりも大切な物を、貴方はこれから壊すの。 ……万が一、失敗するような事があれば、私は命を賭けて月の都を攻撃するわ」
「……分かっているわ。 絶対に失敗はできない」
豊姫は扇を取り出すと、「さて、幻想郷の皆を避難させるのは貴方の役目よ」と言い、紫はすぐにスキマを開いた。 そして、すぐに行こうとするが、一羽の足に手紙を結び付けられたカラスの登場によってそれは止められた。
「これは……月からだわ」
紫がスキマを閉じて、豊姫に近づくと、豊姫は手紙を読み始めた。
「綿月豊姫、地上の調査及び幻想郷対策を中止し、月にすぐに帰還するように……」
「差出人は?」
紫が尋ねるが、豊姫は凍ったように差出人を読み上げない。 そして、「まさか……どういう事?」とうわごとのように呟き始めた。 紫はしびれを切らして手紙を奪い取ると、差出人を確認した。
「……これは」
紫は、豊姫の混乱を理解した。 この差出人は、あまりにも彼女とは地位が違いすぎるからだ。
「月夜見……ですって?」
古代中国の豪華な建築様式の広々としたホールに、今日は数千の兎と人が隊列を組んで集まっていた。 彼らは月の防衛軍で、その仲には綿月姉妹の片方、綿月依姫と、レイセンをはじめとした部下達の姿も見られた。
「依姫様、何かキナ臭くないですか……?」
レイセンが小声で依姫に尋ねると、依姫は少し考え込むような顔をしてから、少し屈んで、レイセンの耳元に口元を近づけた。
「確かに、キナ臭いのは確かよ。 私達、綿月一族以外には月には軍隊なんて存在しなかったのに、ここ数年前から上層部の方針で、私達以外にも本格的な軍隊を作る事になったの」
「うーん、お偉いさん達は穢れを嫌うのに……本格的な戦いとなると、穢れを生じさせる事に繋がると思うのですが」
「生きる事、死ぬ事……それが穢れの本質なのだから、確かに互いの存亡をかけた戦いとなれば穢れが生じてしまうわね。 ただ……」
「ただ?」
「圧倒的な……虐殺や処刑という行為ならば、穢れは生じない。 輝夜様の処刑も、穢れが処刑で生じるならばありえなかった事よ」
レイセンはそれを聞いて少し考え込んでから、ふと気づいたように顔をあげて「それって――」と声を上げたが、それは大きく響いた声によってかき消された。
「――月の諸君、姉さんの力を以って我々を攻撃する地上の民に憤りを感じないか?」
依姫とレイセンが顔を上げて前に向き直ると、ステージに黒い軍服を着た男が立っていた。
腰には軍刀を差し、大きく手を広げてよく響く声で集まっている皆に話しかけてきたのだ。
「よ、依姫様、まさか……あの方は……」
レイセンは、目の前にその男がいるという事を信じられなかった。 レイセンはその男の姿を見た事はない。 だが、溢れ出るオーラ――否、溢れ出る神気がその正体を何者か悟らせたのだ。
「……間違いないわ、あの方の正体はこの神気が証明している」
依姫はその男を一度は写真で見た事があったが、決して本物を見た事はなかった。 実際に会うにはとても地位が違いすぎて、会うことすら許されなかったのだ。
男は大きく息を吸うと、再び大きく、透き通る声を出して演説を続ける。
「私は、姉さんを深く尊敬している。 我々の住むこの月も、姉さんがなければ永遠に闇に包まれてしまうだろう。 だからこそ……私は地上の民の蛮行を許す事は決してできはしない!」
男の顔は憎しみに歪み、両の拳を大きく振り上げた。
「姉さんの力を手に入れた地上の民は、姉さんの力を以ってして我々の愛するこの月を攻撃している。 連日続く地震は、地上の民の核融合を利用した爆弾によるものだ」
その言葉を聞いた月の民達は、慌てふためく。 どういう事なのかと憶測が飛び交い、演説を聞けないほどに混乱は大きくなっていた。
鈴奈庵の賑わいは衰えることを知らずに、今日も行列を作っていたが、その列は割り込み客によって止められていた。
「れ、霊夢さん……困りますよ、ちゃんと並んでもらわないと」
「違うわよ、映画なんて興味がないわ。 私が用があるのは、アンタが雇っているバイトの事よ」
小鈴は「バ、バイト……? なんのことか分からないわ」とはぐらかすが、霊夢は「あっそう」と一言いって、映画館へと続く道を降りようとした。
「ちょ、ちょっと霊夢さんだから割り込みは――」
「私もバイトするわ。 断るとは言わせないわよ」
思わぬ切り替えしに小鈴は困った顔をして、「とにかくダメなモノはダメ」というが、霊夢は一向に聞き入れない。 客の不満も高まっていき、少しずつざわめきが起こり始めた。
とうとう客の1人が怒鳴ろうとした時に、「私を探しているんでしょう?」と、映画感から黒いマントの女が出てきた。
「……やっぱりアンタだったのね、菫子」
宇佐見菫子はスマートフォンを霊夢に手渡すと、「知りたいことはそこに全て書いてある。 八雲紫が何故、いなくなっているかもね」と言ったが、霊夢は難しい顔をして、「そ、操作方法は?」と尋ねる。
菫子はため息をついた後に、霊夢の代わりにスマートフォンを操作すると、霊夢の目が変わり、「止めて!」と菫子の手を握った。
「流石博麗の巫女だね、カンが鋭い。 第三次世界大戦が始まって、外の世界はメチャクチャなんだよ」
「……写真があるわ。 アンタと戦った時、こんな町並みが見えた気がする」
霊夢が指摘した写真は、崩れたビル、むき出しになった鉄骨、抉れたアスファルトの道路……つまりは廃墟の写真であった。
「ここは京都……つまり、日本の首都。 私達が戦った所でもある」
「は……はぁ!?」
霊夢は驚きを隠せずに菫子に詰め寄るが、菫子は悲しそうな顔をして、「今、私は眠っているのではなくて、八雲紫の力を借りて本当に幻想入りしてるんだよ」と話した後に、スマートフォンを操作して、一つの写真を指さした。
「これはね、最近人間が開発した究極の爆弾。 ……確か、幻想郷では温泉を沸かす程度にしか使われていないはずだけど」
霊夢はその写真に写った、銀色の球体の爆弾を見つめるが、菫子の説明と自分の見ている物がかみ合っていない為に混乱した。
霊夢の知る核融合は、地底のカラスが筒を使って行う物だからだ。
「よ、依姫様、核融合爆弾って……」
レイセンは自分の聞いた言葉を信じられなかったが、むしろ依姫は納得した表情をしていた。
「水素爆弾……でしょうね。 それもものすごい大規模な物だと思うわ、月で実験をしなければいけないほどの規模なのだから」
依姫は最近、豊姫が「地震が多いし、地球の大気が少し色を変えている」と言っていた事を思い出す。 依姫は地球の文明の発展により、都市部が増えて、大気組成が少し変化したのだろうと予想していたが、どうやら変化したの都市の数ではなく、戦争の数らしい。
「姉さんから連絡がないのはどういう事かと思っていたけれども、もしかしたら地上では大変な事が起こっているのかもしれない」
不意に、ステージに立つ男が手をパンと叩く。 その音は大きく響き、どよめく会場の人々を静かにさせるには十分であった。
「月の諸君、核兵器を使った事による放射線はどうとでもなる。 しかし、争いという概念を持ち込んだ事により、月の一部が穢れに汚染されている上に、度重なる核実験によって地表はかすかに変質し、月の表と裏を分ける結界にも影響が出ている」
それから男は少し顔をうつむけると、少し悲しそうな声色に使う声を変える。
「地上の民の力を侮っていた。 欲望の力で、彼らはかつて我々の気づいた、世界は可能性で出来ているという事を発見した上、姉さんの力に近づきつつもある。 いくら姉さんの頼みとは言え、地上の技術発展の為に優曇華を使ったのは悪手だったといわざるを得ない。 これらの失態は全て、月の王たる私の責任だ。 本当に……本当に諸君に申し訳なく思う」
少し沈黙が続いた後に、男は顔を上げて、今度は勇ましい顔で拳を高く突き上げる。
「だから、私は地上の民に引導を渡そうと思う! 良心が痛む者、反対する者、穢れを恐れる者、いるかもしれない。 しかし、恐れるなかれ! 地上の民は、何千年の歴史の中で、争いを本質とする蛮族に他ならない! これは、生死をかけた争いではなく、姉さんの力を悪用する地上の民に対する我々月の民の誇りを守る為の戦いであり、怒りの戦いだ!」
ちらほらと、拳を上げる者、「そうだ」と声を上げる者が出てき始める。 やがて会場は少しずつ賛同者を増やしていき、すぐに会場はその男の名前を称えるコールに埋め尽くされた。
「月夜見!」「月夜見様!」「月夜見に正義はあり!」
大きな月夜見コールに、会場の熱気はどんどん高まっていくが、月夜見がひとさし指を口の近くで立てると、すぐにコールは収まった。 まるで、この会場が月夜見の意思に支配されているかのように。
「諸君、天照姉さんの力をこのような蛮行に利用する地上の民を決して許してはならない。 私は、天照姉さんの恵みは、天照姉さんを真に尊敬する者にこそ相応しいと考えている。 太陽の光は月にこそ相応しく、地上の民には不必要な物だ」
「依姫様、月夜見様は本気で地上の民を……」
レイセンが依姫を不安そうな目で見つめていうが、依姫はその不安を否定できはしない。 目の前の男の考えている事はまさにそういう事なのだ。
「諸君! 私に賛同する者は拳を掲げよ! 穢れ無き誇りをその魂に持つ者は、拳を掲げ、私についてこい!」
再び会場は異常な熱気に包まれ、月夜見コールが始まる。 月夜見は満足そうな顔をしてから、自身も両の拳を突き上げて高らかに宣言した。
「では始めよう、穢れ無き処刑を!」