第二話 水深5センチメートル
【前回までのお話】
特殊部隊が川に流されました。
第二話 水深5センチメートル
滝壺に落ちてからどれぐらいの時が流れただろうか。
そして俺たちはどれくらいの距離を流されただろうか。
「ジョージ! おい起きろジョージ!」
遠くでボブの声が聞こえる。
「おいリチャード! こっちだ! ジョージがいたぞ!」
どうやらリチャードも一緒らしい。
良かった。隊員はみんな無事のようだ。
俺のほうは――だいぶ水を飲んじまったらしいが、何とか大丈夫そうだ。
心配そうに見守るボブとリチャードに両手を上げて合図する。
「よしボブ、こうなったら人口呼吸だ」
「えっ、なんでだよリチャード? 意識あんだろ。手ぇ上げてるし」
「マウストゥーマウスで元気になるかもしれない。俺が」
「この緊急事態に何言ってんだお前」
「緊急事態だからこそガス抜きが必要なんだろうが。冷静になれ」
「抜いてどうすんだバカ! お前が冷静になれこの腐ったマンダリンオレンジが!」
「なんだとこの脳筋ヒゲ野郎が!」
「お前だってヒゲ面じゃねーか!」
まったく騒がしい奴らだ。俺がいないとまとまらねぇ。
取っ組み合いのケンカをしているバカ二人を止めるため、俺は体を起こして状況を確認する。
「おお、起きたかジョージ」
ちくしょう、体中のあちこちが傷む。腰と背中を強く打ったようだ。
それに、息を大きく吸うと胸がぴょんぴょんする。さっき飲み込んだ鮮魚のせいか。
「ジョージ、よかった。起きられるんだな」
「ああ、もう少し寝ていたかったが、お前らがやかましくてな」
「そりゃよかった。ケガは?」
「最高だよ。そこら中バッキバキに痛ぇが骨は折れてない」
「チッ、目が覚めたか」
「おいリチャード、なんで舌打ちすんだよ」
「別に。全員無事で安心したんだよ隊長」
「そりゃどーも」
さて、いよいよ行動開始だ。
体に異常がないことを確かめると、次は装備の確認だ。
今回の任務はあくまで偵察であり、テロリストを撃滅するなんて過激なバトルは予定していなかった。中隊規模の大軍に待ち伏せされ戦車を相手に戦うだなんて映画でもなきゃ無理だ。スティンガーミサイルやジャベリンでも携行してればまだ分からんが、それでも航空支援なしに二百人相手はキツいものがある。
だが、いくら急流を流れてきたとはいえ、あいつらを完全に撒いたとは思えない。
そう、ここから先に待つものは――地獄だ。追っ手の数が二百とは限らないからな。
「俺は大丈夫そうだ。二人は?」
「俺はオーケー。弾薬も十分だ」
「俺もだ。さっきは大して撃ってねぇからな」
「ははは、しこたま撃ってたのはパーカスだったからな。あいつまるでラ○ボーだったぜ」
と、ボブが軽やかに笑ったところで俺は大事なことを思い出した。
「パーカスは?」
そういえば、パーカスがいない。
「なんてこった。クソッタレが」
「全く気づかなかったぜ」
ボブもリチャードも、パーカスのことは忘れていたようだ。
なんて白状なヤツらだ。それでも仲間か。俺も忘れていたけど。
「マズいことになったな……リチャード、現在位置は?」
「わからない」
「わからない? そんなわけあるか。地図も読めないヤツがSEALsにいてたまるかよ」
「バカにするな。俺はパーカスとは違う。地図くらい読めるさ」
「あいつ地図読めねぇのかよ」
「ジョージ、これを見てくれ」
「なんだリチャード、指をケガしてるじゃないか」
「指じゃない。地図を見ろバカ」
部下であり年下でもあるリチャードに「バカ」と言われながらも、俺はリチャードに指し示された場所を見る。
しかし。
「どこだここは」
俺も地図が読めなかった。
「いいか、よく聞けよバカ。俺たちが敵とドンパチやってたのがココ、そんでどっかのバカが脱出ルートと間違えて飛び込んだ川がここだ。分かるか?」
「お、おう」
「そこから。こう川を海のほうへ下った。そんなに流されてはいないし、他の河川と合流した様子も無かったよな?」
「そのぐらいは俺でもわかるって」
「ああよかったよ。お前さんがマトモで。で、だ」
リチャードはいつもクールだ。
「この川は地図に存在しない」
「は?」
「というより、俺たちのいるこの場所が、まるごと地図に載ってない。見たところ、ここは標高が高いだろう? 丘というより、山だ」
「確かに……」
周りを見渡すと、草木の生い茂る森に囲まれている。
風もなく、砂が混じっている感じもしない。
地面には傾斜があり、かなり下まで続いている。
それに気温も違う。さっきまでは装備を脱ぎ捨てたかったほど暑かったのに、今は少し寒いとさえ思えるほどだ。夜が来たわけでもないのに、これはおかしい。
「俺たちがいたところは沿岸部の平地。ほんのちょっと川に流されただけでこんな高い場所に?」
「そんなわけあるか。山を登る川なんて聞いたことがない」
「ああ俺もない。だがジョージ、それよりも不可解な点がある」
「なんだ?」
「俺たちが落ちたあの滝も、地図に載ってない」
「なんだと?」
「冷静に考えてみれば、沿岸部の平地、そこに流れる川にあれほど落差のある滝が?」
「あるわけないな。山岳部でもないのに、滝や崖があるのはおかしい」
「おいジョージ、リチャード!」
小便ついでに辺りを警戒していたボブが声を上げた。
「あのよ、俺すげーことに気づいちまったんだが……」
「なんだボブ、言ってみろ」
「俺たちが落ちたはずの滝は……どこだ?」
「意味がわからん。英語で頼む」
「ないんだよ。滝が。俺もリチャードも、滝壺に落下してすぐに自力で岸に上がったはずだ。百メートルも泳いでねぇし、流されてもねぇ。それなのに、この小さな川はひたすら上まで伸びている。見たところ滝なんてない」
いつもふざけてるボブの真剣な表情も相まって、その的確な所見は説得力を増す。
「それによ、なんだよこの小川は。俺たちがこんな川で溺れるか?」
ちゃぷん。と音と立てて、ボブが川に入り、水を蹴り上げる。
浅い。この川、浅いぞ。
「ご覧の通り、水深5センチだ。流れもねぇ。三歳児以上なら余裕で川遊びできるレベルだぞ?」
「マジかよ……」
「なんなら泳いでみようか?」
「クソッタレ。何かの間違いだ」
「ああ俺もそう思う。あんな高い滝の上からこんな浅くて小せぇ川に落ちたらフロッグマンだろうがなんだろうが関係ねぇ。間違い無く死ぬ」
「じゃあ俺たちは死んだのか? ここは天国だと?」
「いいや、生きてる。それだけが唯一わかってることだ」
あのとき、俺たちは確かに足も付かないような深い川に流された。
滝壺に落ちる前の話だが、あの水量を受け止める滝壺の水深が5センチなんていうバカな話があるわけがない。
「どうするジョージ?」
「本部に連絡は?」
「もうしたがダメだ。通信機器は一切使えない」
「一切って、衛星電話もダメなのか?」
「ああ、すでに試した。無許可でやってすまん」
「いやそれは構わないが……連絡が取れないのはヤバいな」
「ああヤバい」
「かなりヤバい」
俺たちは極限の状況下でも生き残り、そして戦いに勝つ手段を知っている。
だが、こいつはぁマジでヤバいことになった。
「現在地不明、隊員一人が行方不明、通信不能……どうする隊長?」
「やることは一つだ。パーカスを探す」
「それを聞いて安心したよ」
「周囲を捜索後、川に沿って下山する。パーカスは大事な仲間だ。見捨てるわけにはいかない」
たとえどんなにヤバくても、仲間を見捨てることだけは絶対にしない。
俺たちはパーカスを探して、地図にない場所を気合いだけで歩き回った。