猛攻
1991年 2月26日 1635時 イラク 砂漠
イラク軍の部隊は一部を残してジリジリと後退を始めた。連合軍はイラク軍の背後からクウェート国境を北東に向かってなぞるような動きで殲滅作戦を展開した。クウェート国境から一番遠い北東部に展開していたハンムラビ機甲師団隷下の部隊の一部などは、すでにイラク領内奥深くまで逃げ出していた。
だが、最前線の部隊はそうもいかなかった。性能で劣る戦車や装甲車で猛然と連合軍に立ち向かい、そして壊滅させられた。数年後にこの事を研究した軍事関係者や歴史学者は『これら部隊は主力部隊や精鋭部隊をイラクに逃して温存するための防壁として利用され、玉砕させられたものである』と結論づけた。
クロードは敵戦車が向かってくるのを見た。しかし、他の多国籍軍部隊からは『イラク軍が逃げ出し始めている』という報告を先程受け取ったばかりなのに、だ。
「敵戦車12時方向!T-62とT-55だ!全部で8両!」
クロードが叫ぶ。
「HEAT!」
バーキンが装填完了を伝える。T-55やT-62なら装弾筒翼付安定徹甲弾を使うまでもないのは、今までの経験から完全にわかっていた。
120mmの滑腔砲から分銅型の砲弾がマッハ1.3の速度で飛び出した。棒のような信管がソ連製戦車の車体にぶつかって作動し、中の成形炸薬を点火させる。成形炸薬は爆風をすり鉢状の火薬の中心に集め、その全てのエネルギーを針状ジェットとして戦車の装甲板の破片ごと車内に送り込んだ。
HEATの針状ジェットを受けたT-55は悲惨な運命を辿った。まず、高温/高圧の気化した成形炸薬を受けて操縦士が文字通り燃やされた。更に高温の"スラグ"という金属片が燃料タンクに飛び込み、燃料を引火させ、遂には戦車自体が爆発した。乗員は痛みを感じる間もなく丸焼きにされ、最終的には炭化した。
クロードはもう何度も見た光景だった。敵のソ連製戦車が自分たちの砲撃で爆発し、炎上する。中ではイラク兵が焼け死んでいるのに、もう何も感情も浮かばない。つい、一昨日、始めて敵戦車を撃ち、始めて敵兵を殺した時は興奮が大半を占めていた。撃たなければこっちが死ぬ。かつて、特殊部隊員の隊員としてベトナムへ行った叔父は帰国した後、殺人者、赤ん坊殺しと謂れのない非難を受け、それは数年間続いた。だが、その当時、クロードは生まれて間もなかったのと、幼い頃に非難され続ける叔父の姿を見ても、何のことか全く理解出来なかった。しかし、戦場に立った今、そんな非難がどれだけ的外れで、根拠の無いものであるかわかった。クロードと仲間たちはひたすら、敵であるイラク軍の戦車や装甲車を撃ち続けた━━━━ただ生き残るために。
1991年 2月26日 1654時 サウジアラビア
ピーター・シメオン大佐はイラク、クウェート、サウジアラビアの地図を眺めた。先程まで戦況が目まぐるしく変わるような状態だったが、実際にはイラク軍がどうどんクウェートから押し出されているような状態だった。
「もうイラク軍は壊滅状態だな。奴らが降参するのは時間の問題かもな」
シメオンは言った。部下からは幾つも勝利の報告が上がってきた。イラク軍をクウェートから叩きだしたら、我らが大統領は何と言うだろうか。もっと進軍しろと言うのだろうか。それとも、戦争を止めようのするだろうか。やがて、電話が鳴った。総司令官からだった。
「はい、もしもし・・・はい。イラク軍はまだクウェートから出て行っていません。わかりました」
「どうでした?」
副官のハロルド・ディズレーリ中佐が言った。
「まだ休戦になりそうにない。前線のイラク軍は徹底抗戦しているなら、攻撃を続けろ、と」
「今、交戦しているのは下っ端部隊でしょうね。さっきまで少しづつ後退の動きを見せていた共和国防衛隊ですが、今は撤退速度を早めています。ですが、地方に駐屯していると思われる部隊は逆に南下を始めているようです」
「精鋭部隊を下がらせて、それ以外の部隊を前線に残して時間稼ぎのための防壁にしているな。イラクは我々がバグダッドまで侵攻してこないと踏んでいるから、共和国防衛隊を温存して政権の後ろ盾にするつもりだろ」
「その通りです。我々は命令が無ければバグダッドまで進軍できません。第82空挺師団と第101空挺師団、それからフランス陸軍第6軽機甲師団がバグダッドに向かう準備をしていますが、恐らく、進軍に停止命令が出るでしょう」
「だろうな。そもそもの目的が、イラク軍をクウェートから追い返すことであって、フセインを倒すことでは無いからな」
1991年 1月26日 1706時 クウェート
高速道路で隊列を作って塞いでいたイラク軍の戦車が空爆を受けた。A-10、F-15E、トーネードGR.1が対地ミサイル、通常爆弾、クラスター爆弾を投下していったのだ。夕暮れの空に黒煙が上り、金属の破片が飛び散る。燃え上がる戦車や油田の上空をF-15EとF-16Cが編隊を組んで飛んでいる。イラク軍はどうやら地方の前線部隊を防壁(という捨て駒)として使って、エリート部隊の共和国防衛隊を温存しようと画策したようだ。これは、この戦争でイラク軍が唯一成功した作戦だった。




