アラモードと憂鬱
「とにかく、詳しい話を聞こう、姉さんについてなにか――」
と、そう言いかけたそのとき、久ねえが「あいよ、お待ちどお」と言って、テーブルの上に黒々とした物体を置いた。
これが黒ごまプリンアラモードというものだろう。
プリンの下の部分が灰色なので、かろうじてそれが『プリン』とわかるが、それ以外は真っ黒である。もはやかかっている液体がカラメルなのかシロップなのかもわからない……どうみても潤いを与えた消し炭かなにかだった。
こんなものを好んで食べる者の気が知れないと思ったが、多輪島は
「――ふひひ♪」
……と、今までの表情からは想像も出来ない満面の笑みをみせていた。
僕はこほんと咳払いをして、
「それで、詳しい話を聞きた――
「待って、アラモードが冷める……! 話は食べ終わってからにして!」
「アラモードが冷める!?」
多輪島は僕を無視して、ひたすらアラモードを口に運んでいる。
――とりあえずアラモードを食べている間は、話を聞いてくれそうに無さそうだ。
しかたなく、僕は窓の外を眺めるふりをして、多輪島の素顔を横目で見ていた。
思えば……多輪島の素顔を見るのは初めてである。
いつもはマフラーで口元を隠しているが、さすがの多輪島もマフラーしながら物はたべられない。
今は首元までマフラーを下げて、カラメルをこぼさぬよう、小さな口へ丁寧にアラモードを運んでいた。
うん、こう見ると、なかなかかわいい顔をしている。
いわゆる美人とかでは無いのだが、小動物を思わせるような幼さの残る顔立ちだった。
口元を隠していたせいで、クラスメイトからは窓際の姫君などと(冗談半分に)言われていたが、素顔を見た後では、窓際の姫君というより縁側の子猫だ。
にこにこと満面の笑みでアラモードをほおばるこの顔を見せられると、先ほどまで僕に交渉していた彼女が、急に無理して大人びた言葉を使う幼子のような気がしてきて思わず笑みがこぼれてしまう。
「……なに?」
僕の顔を見て、一気に不機嫌そうな顔にもどり、僕を非難するようにそう言う。
「なんでもない、気にせず食べてくれ、何ならおかわりしてもいい」
「……へんなの」
そう言って、またうれしそうに食べるのを再開する。
案外、この幼さを気にして、常にマフラーをつけているのかもしれない。
そうなると、――実にもったいない。
窓際の姫君など呼んでいる連中に見せてやりたいくらいだ。
……まぁ、とにかく、本人が気にしているかもしれないことをとやかく言うつもりも無いので、僕は再び、多輪島から視線をはずし、窓の外を眺めた。
11月18日の午後。先週辺りから急に冷え込み始め、紅葉した葉は、ここ二三日の風雨でかなり落ちてしまっていた。今も木枯らしの中を銀杏や楓の葉が、行き場を無くした蝶のように舞い、風が無くなると力なく地に落ちてゆく。
この分では十二月前に、すべての葉が落ち、やがて雪の下に埋もれてしまうだろう。
――そんな時期を見計らったように、日向彰はこの町を旅立った。
日向が旅立ったのは、先週のことだ。
「九島も行くか?」
いつものように、冗談を含んだ声でそう言って、僕に右手を差し出してきた。
いつもの、ことだ。
日向はいつも、旅に出る前に、僕のことを試すように、手を差し出して、そう言うのだ。
僕にはそれが
『非日常を手にするために、おまえは、日常を捨てられるか』
そう尋ねられているようにしか思えなかった。
非日常
そんな道楽のような物を手にするために
家族も、
友達も
高校も、
仕事も、
人生も
そして
自分も
捨てられるか、と、そう問うているようにしか思えなかった。
もちろん、日向にとっては、ただ僕を旅に誘いたかっただけなのかもしれない。
でも、僕には――そうとしか思えなかったのだ。
僕には、それを捨てるだけの覚悟が無かった。
だから、いつも力なく首を振り、作り笑顔で
「また、今度にするよ」
そう言うことしか、出来なかった。
日向も、僕が決してその手を取らないことくらい分かっているだろう。
それでも
――そう分かっていながら、日向は、毎年、僕を旅に誘う。
残酷なのか、
それとも
僕がいつしか手を取る覚悟があると、信じているのか――
「――九島君?」
多輪島のその声で、唐突に我に返った。