依頼
放課後、すべての授業が終わるまで、僕と多輪島は一言も会話をしなかった。
そのまま帰りのホームルームが終わると、多輪島は静かに僕の後ろに歩み寄り、
「喫茶 明けの明星で」
と、一言だけ言って、そのままそそくさと教室を出て行ってしまった。
喫茶 明けの明星とは、学校から徒歩五分ほどの裏路地にある、喫茶店のことである。
見つけにくい上に小さな店で、一見すると喫茶店というより、西洋アンティークショップや骨董屋に見える奇妙な店だ。
ほとんど趣味でやっているような店で、二十台半ばの、久ねえ(正確には久埜という名らしいが、それが名字なのか名前なのかはわからない)と呼ばれる若い女性が店長をやっている。
食べたことは無いが、「黒ごまプリンアラモード」が絶品なのだそうだ。
僕は日向の友人というコネで、コーヒーを格安で飲める。万年金欠の僕にとってはありがたい店だった。
しかし、この店を指定すると言うことは、僕の動向を以前から知っていた、ということか。
さきほども言ったとおり、学校から五分といっても、えらくわかりづらい場所に建っている。
僕がこの店を知っている、ということはあらかじめ僕のことを多少なりとも調べていたのだろうか?
事実、七竈高校の生徒のほとんどは、この店の存在を知らないと思う。
今では、常連の一人になっているが、この喫茶店を同じ七竈高校の生徒が利用しているのをほとんど見たことが無い。
僕自身も、日向に教えて貰い始めて知ったほどだった。
仮に生徒がこの店の存在を知っていたとしても、このあからさまに「一見さんお断り」といった雰囲気は、高校生にとっては入りづらいだろう。
僕は久ねえにコーヒーを注文し、しばらく店内に流れる聞いたことがあるような無いようなよくわからないジャズレコードを聞きながら、多輪島の到着を待った。
待つこと十分ほど、
からん、という、入り口のドアベルの音とともに、マフラーで深く口元を隠した女生徒――多輪島 春が現れた。
多輪島は僕のことを一瞥すると、カウンター奥の久ねえにむかい
「黒ごまプリンアラモード、特大、チョコシロップ多め、トッピングでチョコフレークとコーヒーゼリー」
……と、聞いただけで胸焼けのするようなものを注文し、僕の席の目の前の椅子に腰掛ける。
「おまたせ、……待った?」
「いや――」
僕は首を横に振り、
「それより、さっきのはどういうことだ? ……始めに言っとくけど、僕には日向のようなことなんか出来ないから、変な期待をされてもこまる、日向とは友人なだけで、僕にはなんの取り柄もないんだから」
そう言った。
「――べつに、期待はしてない、もともとあきらめてた話だから」
……奇妙なことを言う。依頼をしておいてあきらめているとはとういうことか。
「……とにかく、話は聞くよ。 こっちからは連絡出来ないけど、日向からは連絡が来ることがあるからね」
――よく考えれば随分と勝手な話である。
日向らしいといえば、日向らしいのだが……
――しかし、連絡をするのはいいとしても、これだけははっきりとしておかなければなるまい。
「――知ってると思うけど、日向に依頼するにしても――報酬はどうするつもりだったんだ?」
そう、依頼をすることだけは、簡単なのだ、日向に遇い「依頼」をするだけだからである。
しかし、問題は、依頼に対する報酬だ。依頼が困難であればあるほど、無理難題を押しつけられる。
「うん、これ」
どす、と分厚い封筒を僕の前に差し出す。
手に取ろうとすると、
「――百万円、入ってるわ」
ぽつり、多輪島はそう言った。
「百…っ!?」
思わず手を引く、
確かに――封筒の厚さからすれば、それくらいは入っていそうである。
依頼に対しては法外な金額だ。
しかし――問題はほかにある。
「……日向は、金じゃ動かないぞ」
「知ってる、だから、九島君に依頼」
「ん?」
話が見えない。
「百万もあれば、よっぽどの物じゃないかぎり、手に入るでしょう」
「――まぁ……あいつは高価なものは要求しないからな」
――それよりも、手に入れること事態が困難な物を要求されることの方が多い。
物自体よりも、行動に使うための交通費やその他諸々の出費の方がかさむほどである。それでも、さすがに百万を超えることは無いだろう。
「だからね九島君、私は――
そのお金で「日向先輩に依頼すること」と
「その報酬の調達」をしてほしいの」
――ああ、
なるほど。
合点がいった
つまり、多輪島は
「日向に依頼を連絡」をすること
そして
その「報酬」を用意すること
その二つを、僕に「依頼」したのだ
「――それで、僕に依頼か」
しかし、それでも問題はある。
先ほども言った通り、僕には日向に連絡する手段がない。普通の人間ならまだしも、相手は日向なのだ――生半可なことでは、見つけること出来ないだろう。探すためためにはそれこそ世界中を飛び回らなければなるまい。
僕が、そう言うと、多輪島は、
「ええ、だから連絡が来たときでいいわ」
そう、言った。
「――連絡が来なかった場合は?」
「その場合は、九島君が解決してくれてもいい」
僕が、解決?
「――しかし、それだったら春まで待った方がよくないか? 春になれば日向が帰ってくるからな……」
「うん、その場合は、改めて日向先輩にお願いする、そして、提示された報酬を探すことを九島君にお願いするわ――その場合は九島君にあげる報酬の値段は二人で話し合って決めましょう」
……ふむ
実にちゃっかりとしている
というよりも、
正直、ほんの少し関心してしまった。
――そんな方法もあるのか、と
つまり、春まで――日向が帰ってくるまでにに僕が依頼を解決する、あるいは――日向に連絡をし、日向に対する報酬を用意できれば――この多輪島の報酬は僕のものになる、ということか。
正直かなり心がぐらつく
僕は、親戚の家に預かって貰っているため、アルバイトをしながら家にわずかに生活費入れている。つまり万年金欠状態なのだ。
日向への報酬次第ではあるのだが、正直この金額はかなり大きい。
「――ふむ」
悪い話では無い。
「――ひきうけるよ」
僕は、そう言った。
「本当?」
「ああ、ただし、僕も素人だ。結果は期待しないでくれよ」
「――うん、それでいい。――あと、もう一つだけ条件」
「なんだ?」
「調べるときは、私も一緒に行動するわ」
……?
「……なぜ?」
「笑わないで聞いてくれる?」
多輪島が、少し口ごもりながら、そう言う。
「ああ、笑わない」
僕がそう言うと、多輪島ははにかむような顔をして
「私も――日向先輩が体験している、お話みたいな非日常を経験してみたいから」
そう、言った。
「……」
ああ
何となく――、何となくではあるが多輪島の真の目的は「姉の自殺の理由を知ること」よりもそこにあるのではないだろうか―― と、そう思った。
そう思わせるほどに――日向 彰という男は、「非日常」だったのだ。
周りの者が、その非日常にあやかりたいと思うほどに――
そしてそれは、僕も例外では無い。
以前、日向にそう言うと―
「甘えるなよ、九島。 非日常を味わいたければ自分の力で見つけてみろ、ただ待っていても、物語みたいに空から女の子が降ってきたりはしない、そんなのはお語の中だけだ」
に、と笑いながら、冗談とも本気ともとれぬ顔で、そう言われた。
――そのとおりである、返す言葉も無い。
だが――
僕にはそれを見つける才能が圧倒的に欠けていた。
ただの凡人、愚かな凡夫だったのである。
それは、日向と行動することで、痛いほどにわかった。
でも、
心のどこかで、
やはり僕は、非日常を求めていたのだ。
「わかった」
交渉成立である。
そうなれば、より詳しい情報が必要だ。
今回は――日向ではなく、僕への依頼なのだから。
所詮、僕は日向の代理ではある、が、依頼されたのであれば――気を引き締めてかからねばなるまい。
僕はがたりと、椅子に座り直し姿勢を正し、ちょうど空になったコーヒーカップを右手に掲げ、カウンター奥からアラモードを運んできた久ねえに向かって、
「久ねえ、コーヒーおかわり」
颯爽と、そう言い放った。
「二杯目からは、通常料金ね」
「……」
――僕は潔くコーヒーのおかわりをあきらめた。