2.空と砂浜と海の色は、絵の具のように美しい。と、その青年は言った。
僕は骨が好きだ。
どれくらい骨が好きかというと、例えばフライドチキンから鶏の首なし骨格標本を組み立てることができるほどに、骨の形・位置に至るまで構造を把握しているのだ。
僕は骨が好きだ。
それだけは、どこにいても変わらない。骨が好きであることが僕が僕であることなのだから。
たとえ何が起ころうとも、僕の優雅で平和な骨生活は変わらない、変わらないはずであった――
空には真っ赤に燃える太陽が輝いている。目の前に広がるのは、白く染まる空、青い砂浜、そして美しく輝く群青の海。遠くの山は油の混じったような暗い虹模様。足元に生える草花は鮮血のように紅葉し、紫や黄の花をつけていた。
その景色は、頭がくらくらしそうなほど鮮やかである。南国だったとしても、もう少し目にはやさしい色をしているだろう。
何を言っているかというと、はい、ここは地球ではない、知らない世界だったのです!
「うわぁ、色が気色悪い」
闇をまとった帳が降りた路地裏から、この明るく輝く場所へ迷いこんだ弊害だろうか。景色のあまりの変貌ぶりと、ありえない色彩に脳の処理能力は限界を超えそうになっている。
僕は発狂しそうだった。狂ったように混みあげる不安が今にも飛び出しそうだった。
しかし、その声を発することは、できなかった。
一体何が起こったのか、それすら考える余裕はなかった。なぜならば、呼吸がうまくできないのだ。気が動転して、過呼吸になっているというわけではない。空気が僕を拒絶していたのだ。
ここは地球ではない。ならば環境が地球と同じである可能性は低い。仮に酸素が十分に存在しなかったら、呼吸を阻害するような猛毒のガスが含まれる大気だったら、僕は生きることができない。
呼吸をしようとするたび、僕は溺れていく。この世のものとは思えない色鮮やかな世界の中に。
――太陽が燃えている。空が遠い、僕はここで死ぬのだろうか。訳の分からない場所で。
朦朧とする夢の様な霞の中、苦しんでいるはずの僕はどこか他人事のように、遠くに遠くに感じはじめた。死にゆく僕の精神を守るために、脳が情報を遮断したのだ。
僕はこの極彩色の環境に耐えられず、命が尽きる前に気を失ったのだ。
――走馬灯のようにくるくると移りゆく、不思議な夢を見た。
黒に染みた意識の中、赤が溶けていく夢を。
それは闇のような黒い温もり。
それは血のような赤い流れ。
何かが体内に満たされる感覚がする。
黒と赤の色が、死に、そして、生まれ来る生命を見守る何かの気配。
それは真っ黒、それは真っ赤。
くるりくるりと、交わって。ひらりひらりと、交じりゆく。
満たされる液体の色が、まどろむように、黒い意識に染み込んだ。
黒、
赤、
黒、
赤。
飛沫は宇の原から、ひらひら、舞い散る。
それは赤、それは黒。
満ちる夢の色は、鮮やかに。
赤、
黒、
赤、
黒、
交互に舞い散る色は、大地に染み込んで、ひたひた、飛び散った。
黒と赤。単なる色。
黒、 赤、
赤、黒、
赤、
黒、赤
赤、 黒と。
交わる色は、混ざらない。交ざる色は、混じらない。
の は。 の 。
黒と赤は、いつしかひとつになって、息を吹き返す。
に迷う赤子は、命を得た。
生まれいでたばかりの に、生きるための祝福を。生きていくための祝福を。
黒と赤が司る命の総てを――
僕は目が醒めた。
先ほどの苦しさは嘘のように、夢だったかのように、生まれ変わったかのように、気分は清々しいものであった。
あれからどれくらい時間が経っただろうか。燃えていた光源は消え、燃えかすのようにくすぶる黒い月が世界を赤く照らしている。
すべてが宵の色に覆われて、色を失いくすんで見える。とはいえ、そのものが持つ色がなくなったわけではない。足元には青の砂浜と赤の草が広がっていた。ここは昼間見た、あの極彩の風景のままであった。
「なんか妙な夢を見たような気もするが……やっぱり、現実だったか。……もともと夜行性気味だったのに、ますます昼間、起きているのがつらくなるじゃないか」
いっそのこと、日が昇っているうちは身をひそめていようかというくらい、昼の世界はまぶしすぎた。
「ここは危険な動物の気配もなさそうだし……人や動物はいるのか?」
長い時間砂浜で気を失っていたにもかかわらず、動物の1匹も寄ってこないとは、運がいいのか悪いのか。
もしも、生物がいないとなると食糧調達が難しそうである。と言うよりも、それらが食欲がわく色形をしているのかどうかが心配である。その生き物が毒を持っているかもしれないという懸念よりも、それだった。
「ひとまずは状況把握だな」
といっても、あたりを見回したところで、目に入るのは受け入れがたい現実。茫然としてしまうだけであった。
とにかくと、僕は荷物の確認を行うことにした。
最後の記憶が正しければ、背負った鞄には夕食と「趣味」の道具が入っているはずなのだ。
僕は頭蓋骨が刻印された引手をつまみ、鞄のチャックを開いた。中にはすっかり冷めてしまったフライドチキンと、愛用の刃物一式と手入れの道具が確かに入っていた。これらが鞄に入っていたのは救いだった。フライドチキンは早めに消費しなくてはならないが、刃物は色々と便利である。このような場所でそれがあるのとないのでは、大きく変わってくる。
「どことも知れぬ世界で、サバイバルか……」
しかし、とにかく腹が減っては、戦はできない。僕はフライドチキンの箱を開ける。
「1つだけ食べよう」
この先食糧が手に入るとは限らない。さすがに3日4日は持たないと思うが、少なくとも明日、食べるものがあると思うだけでも、安心できる。
僕はほんのり湿気た箱から肉を1つ取り出した。
「これは胸骨かな」
僕はすっかり冷めてしまった鶏肉にかぶりついた。
ところでフライドチキンで1匹分の骨を集めるとしたら、最低で何ピース必要か、ご存じだろうか。
答えは、左右の手羽で2ピース、胸も同じく2、腰も2、ももも2、そして胸骨が1の計9ピースだ。これらの部位がそろえば1匹分の鳥にすることができるのだ。
うちキールと呼ばれる部分は1匹から1つしか取れないので、入っていたらある意味で運がいい。
骨を傷つけないように気をつけながらフライドチキンを頬張る。
一息ついて、再び見上げた空。赤や青や黄、チュウリップ畑もびっくりな規模の色彩の、大小様々な月の群れが浮かんでいる。チキンはおいしかったが、その鮮やかな夜空に僕の顔は歪んでいたに違いない。