第八話 妹、兄を予期せぬ戦いへと誘う
「あ、お兄さん。お邪魔してます」
5月も中旬。優美を送り迎えする際に感じる視線も、少しは緩くなって来たんじゃないかと希望含みで思う今日この頃。風呂から上がって「ペアで生活オンライン」にログインした俺が『ホーム』で見つけたのは、リビングの仮想TVを見ている二人の女の子の姿だった。
「もしかして、加奈ちゃん?」
「はい、ちょっとご無沙汰でした」
勿論、優美が分裂したなどというわけもなく、向き直って挨拶してきた女の子のアバターは、俺も知っている妹の友達、観月加奈ちゃんにうり二つの姿だった。加奈ちゃんは小学校の高学年と、中学の一年生のときに優美と同じクラスで今でも仲の良い友達だ。優美より長めの黒髪に大きな瞳、顔立ちも整っていて年齢相応のスタイルの良さを持つ、優美とはタイプの違う美少女系統の女の子だ。俺としては近頃かなり大人びてきた中学3年生の女の子を、加奈ちゃん呼ばわりも無いのではと思うのだが、小学生以来の呼び方なのでなかなか直す機会がない。
性格的には少しおませなお姉さん肌の子で、学校で俺の代わりに優美の面倒を見て貰っていた感じになっていた。今回の優美の欠席騒ぎのときにも、クラスは違っててもこの子に先に事情を知らないか聞いてみようかと思ったくらいだ。まあ、聞いてみるまでもなく、
「優美が四月にそんなにさぼり呆けてたなんて知りませんでした」
とのお言葉で、俺も含めて家族みんなでおろおろしてしまったと言ったら、
「私が知ってたら毎日優美のえり首をつかんで登校させてました」
そう、この子だったら、学校を挟んで家は逆方向なのにきっちりやってくれそうな雰囲気の子なのである。
「近頃の自転車通学、みんなの話題になってますよ。お兄さん、優美を甘やかし過ぎです」
「俺も、そう思うんだけどなあ……」
こうして、優美に釘を刺してくれるのも兄貴としては有難い。
一方、言われっぱなしの優美の方は、、
「加奈ちゃん厳しすぎ。優美、全然そうは思わないもん」
どうみても正しそうな指摘なのだが、都合が悪いことには素知らぬ顔で困ったものだったりする。長い付き合いで加奈ちゃんが怒らないことを知ってるから怖いものなしだ。
「そう言えば、加奈ちゃんはどうして『ペアで生活オンライン』に?」
「このゲーム優美に勧めたの私なんです」
優美への小言は効果無さそうということで、何故、加奈ちゃんが俺たち『ホーム』のリビングに登場したのかを尋ねてみたら、いかにも納得できそうな答えが返ってきた。確かに優美が自分でこんなゲーム見つけてこれるはずないんだよな、普通に考えれば。
「私もお兄ちゃんと『ペアで生活オンライン』やってますから。今はちょっとバイトが忙しいみたいであまりログインしてくれないですけど」
ああ、確かに加奈ちゃんにも少し上、今大学生くらいの兄貴がいたような気がする。またしてもイケメンで確か良い大学行ってるんだよな。その人と一緒にやってるのか。
「その後、全然連絡が無いからやってないのかなと思ったら、この間、突然フレンド申請が来てびっくりしちゃいました。阿倍留寛と仲町由紀恵って、いかにもお兄さんがつけちゃいそうな名前ですよね」
俺と優美のアバターの名前を評して加奈ちゃんが言う。優美が選んできた他人向けアバターは、優美の願望を現したものか、スタイルが良い長い黒髪で秀でた額を持つ理知的な雰囲気の大人の女性のものだったので、俺の阿倍留寛と対になる名前ということで、俺が一緒に名付けたのだった。
「ああ、お兄さんの『阿倍留寛』も、今週話題の人になってますよ。専用スレも立ってますし」
「え、何それ?」
突然の加奈ちゃんの言葉に、俺は一瞬の空白の後、慌てて彼女に問い返した。
俺の名前の専用スレってどう見ても良い話であるはずが無い。なんで唐突にそんなことになるんだ。
「優美が投稿した、お兄さんのアバターの写真が、『今週のスナップショット』でランキング入りしたんです」
本当になんだそれは?
「右手に剣を持って、左手にうさぎの耳を掴んで掲げて叫んでるポーズです。貧乏だけど頑張ってるって感じで、剣闘士映画のポスターみたいでしたよ」
褒めてるんだか、呆れてるんだかわからない調子で加奈ちゃんが言う。確かに素手でうさぎを捕まえた瞬間に、やったぜと言う感じで叫んだ記憶があるような、ないような……あの時のスナップショットかよ。優美、なんでそんなもの投稿しようなんて気になったんだ。そもそも、優美が見ると俺の姿の写真で、他人やフレンド申請前の加奈ちゃんが見ると阿倍留寛の写真って、その存在自体がホラーっぽいぞ。
「で、なんでそれが専用スレの話に繋がるんだ」
「はい、うさぎの倒し方が斬新過ぎて……らしいです」
あれ、うさぎを手で捕まえるのが正解じゃなかったのか?
「私も自分ではやってないので聞いただけですけど、普通はうさぎの前に立って、練習したとおりに剣を水平に振ると、うさぎが跳び上がって、ちょうど胴体のところに剣が当たるんだそうです」
おい、それはうさぎ退治として間違ってるだろ。
いや、剣技の復習としての実践としては正しいのか?
だとすれば、俺の苦悩は一体何だったんだ……
「俺、あれが正解だと思ってたよ……」
「それでですね」
とりあえず、これで終わりかと思えばまだ続く加奈ちゃんの言葉。
「次の訓練、『害獣退治レベル2~さつまいも畑を守りぬけ~』でお兄さんと同じことをやろうとして、野猿に手を噛まれてダメージ判定で再訓練送りになってる人が一杯出てるらしいですよ」
なんだ、その馬鹿げた事態は。猿に手を噛まれて再訓練送りってあんまりじゃね?
「加奈ちゃん、それ本当の話?」
「はい、お兄ちゃんに教えてもらいました。お兄さんもそのイベントをやった後なら、『【絶対に】そんなヒロシに騙されてスレ【許さん】』が男性プレイヤー用の掲示板で見れるようになると思います」
それって、俺が知らないうちに色んな奴に恨み買ってるってことか? いかん、どうみても死亡フラグな気がする。
「優美、お前変な書き込みしたら駄目って言っただろ」
「お兄ちゃんの写真は書き込みじゃないもん……」
まあ、確かに優美の言うこともあってるけどなあ……
真っ白に燃え尽きた俺は、優美と加奈ちゃんが始めた世間話を聞きながら、何かまずいことが起きないだろうかと、一人頭を抱えたのだった。
「1人でゴブリン一匹も倒せない実力の貴様たちは、単なる糞だ!」
その翌日、剣技訓練レベル2。整列した俺たちの前でいつものようにゴッサムの罵声が響き渡る。ハートランド王国は今日も熱く燃え上がっていた。ちなみに訓練のレベルによって、ゴッサムの罵倒に出てくるモンスターの名前が変わるはずで、これは俺が掲示板により身につけた知識の一例だ。
「いいや、糞なのはお前の方だ! 死ね、ゴッサム。今日が貴様の命日だ!」
否、今日はいつにもまして王国は熱く燃え上がっていた。
雄叫びをあげてゴッサムに斬りかかった勇者のポップされた名前は、ホーエンハイム。もしかして彼か……と俺が予想した通り、昨日「彼女と別れたので最後にゴッサム殺ってくる!」スレを作成し、訓練でゴッサムに受けた屈辱を幾つも披露して住人の少なからぬ同情を買っていたスレ主だった。
俺はまだ受けたことは無いが、再訓練送りになった奴は、ペアの彼女が見ているとしたらとても居た堪れない、男の尊厳に関わるような罵声をゴッサムから浴びせられてしまうらしい。少なくとも、このホーエンハイムは情けない男と見られて彼女と別れる理由になった原因の一つがゴッサムだと確信していた。俺としても、怖いもの見たさはあるにしても、やはり勘弁してもらいたい。
「総てを失った、俺の怒りの剣を受けてみろ!」
スレ住人で検討しただけあって、言ってる台詞は格好良い。でも、俺たちの実力じゃ剣の速度が全然遅くてダメージ殆ど無さそうだよな。ゴッサムの奴、避けようとも受けようともせずそのまま腕に当ててるし。
「あーん、効かんなあ。腕にハエでも止まったか?」
鼻をほじるポーズをしながらゴッサムが答える。なんだか、ゴッサムに精神的なダメージを追加されてるだけに思えてきた。今まで見たことのない、両手を組んでぼきぼきさせるポーズを取ってるぞ。 どうやら、ゴッサムに挑む奴が出るのは予想済で機能実装されてたようだ。変なところで作り込まれてるよな、このゲーム。
「死にたい訓練兵がいるなら、願いを叶えてやるのが俺様の流儀だ!」
その後の結果は予想通り。前回俺が見た19番と同じく、力強く振られたゴッサムの右手に殴られて、ホーエンハイムは宙に高く舞い上がった後、地面に落ちて何度も跳ね回った。
「俺はここで倒れても、必ずいつか俺の意志を継ぐ誰かが……」
やられた時用の台詞はポリゴン片が消えたせいで途中止まりだった。「ペアで生活オンライン」も退会するって言ってたから、もうホーエンハイムをこの錬兵場で見かけることも無いだろう。
「貴様らごときの剣では俺の身体には傷一つ付かない。王宮騎士になってから出直してこい!」
激情に任せるだけではなくもっと用意周到にレベルを上げて、今の台詞だと王宮騎士なら傷を付けられるってことか、ヤル準備をしないことにはゴッサムには到底立ち迎えそうにないな、と俺は彼の境遇に同情しながらも一人冷静に分析した。さらば、ホーエンハイム。お前のことは忘れない。
「1人でゴブリン一匹も倒せない実力の貴様たちは、単なる糞だ!」
突発イベントが起きたせいで、直近のセーブポイントまで巻き戻ったかのように、素知らぬ顔でゴッサムは同じ台詞を最初から繰り返した。いや実際そうなんだろうな、このゲームだと。
「ゴブリンを倒すには脳天からの剣の一撃だ。剣も振り下せねえ兵士に用はない。貴様らには、これから俺が満足するまで剣の素振りをして貰う」
ゴッサムの言葉とともに、今日も素振りイベントが始まった。ちなみに今日の俺の位置は11番だ。
『剣を抜いてまっすぐ振り下ろすポーズをしてください』
HMDに現れる動作の表示。前回までの剣技と槍技の訓練のときには、かなり無様な様子を優美に見せてしまった俺だが、今日は一味違うところを見せてみせる。HMDの画面と音声の透過度を上げて、錬兵場と二重になった部屋の様子を俺は確認した。鉄パイプ準備よし。優美から借りてきたメトロノーム準備よし。天井の金具からおもりををつけてぶら下げたひも準備よし。ひもにつけた二つの洗濯ばさみ準備よし。最後に新らしく買ってきた御守り代わりの田伏里香のポスター準備よし。さあ、始めるぞ。
俺は鉄パイプを持った両手を適度に上げてから振り下ろした。
「11番、馬鹿か貴様。剣のお遊戯でもしてるつもりか。もっと大きく振りかぶらんか、糞が!」
ゴッサムが近付いてきて顔を歪めて喚いているが、ここで怒ったら相手の思うツボだ。俺の心は明鏡止水、明鏡止水と繰り返してみる。俺は目の前に垂れ下がっているひもについている上側の洗濯ばさみを少し上に移動したあと、今度は両手、大事なのは手袋のセンサーの位置だ、を視線と洗濯ばさみが交差する位置まで持ち上げてから振り下ろした。
「11番、それでゴブリンが殺れるとでも思ったか。この低脳、もっとしっかり剣を振り切らんか」
ゴッサムの野郎、うざいくらいに寄ってくるよな。まあ、実際は分身状態で他の奴らの目の前にもいるんだろうけど。俺はゴッサムの刀傷だらけの汚い顔を見ないようにしながら、ひもの下につけてあった洗濯ばさみを少し下側に移動させて、今度は両手が下の洗濯ばさみの位置にくるまで振りぬいた。
「11番、なんだなんだその剣の動きは。掃除のばばあの箒でももっと素早く動いてるぞ、この役立たずが!」
糞、本当にうっとおしいな。でも大丈夫だ。ゴッサムは次々と罵ってくるが、順調に俺は進んでいる。後はHMDに表示される失敗時の早い、遅いを見てメトロノームでタイミングを取りながら、上下の位置の間で剣を丁寧に振っていけばOKのはずだ。ゴッサムの罵声はもはや単なるBGMだ。鉄パイプを振る一個の機械と化した俺は、無我の境地で鉄パイプの上げ下げを繰り返したのだった。
結局、今日の訓練に参加したプレイヤー29名中の4番目の成績で、俺は剣技レベル2をクリアした。自宅に立派な練習場を持たなくても、このゲームを戦っていける自信を俺にくれた一日だった。よしよし、俺がお前と同じ位置にまで上り詰めるの待っていろよ、田伏和治。
と思っていたのだが、俺が良い目に会って増長したときには、必ずしっぺ返しがくることになっているのは、この「ペアで生活オンライン」のお約束らしい。田伏和治のはるか手前で俺を待ち受けていたのは、優美の投稿写真のせいで再訓練送りになってしまった運の悪い、そして俺を許すまじと意気込む連中だった。
一体、俺が何をしたというんだ……
<<次回、「妹、兄の初デュエルに衝撃を受ける」に続く>>