第七話 妹、無防備に掲示板デビューする
「……あ、当たらねえ」
剣を取り落として、俺は呆然としたまま周りを見渡した。
俺の目に映るのは、王宮郊外に広がる田舎ののどかな田園風景。足元には一匹のうさぎがいて、口に人参を咥えながらつぶらな瞳で俺を見つめている。少し目を凝らせば、あちこちで地面を掘っている大勢の仲間のうさぎたちも確認できる。
『今日は俺様から貴様らにふさわしい任務を与えてやる。勿論、肥溜めの糞に過ぎない貴様たちが、ひ弱なモンスター相手でもまともに戦えないのはわかり切ってる。今からやるのは王国の大切な食料産地を守ることだ。害獣のうさぎ野郎を斬って斬って斬りまくれ! まさか、畑の見張りすらやり遂げることが出来ない間抜けな奴はいないだろうな!』
出発前、整列した俺たちの前を横切りながら、ねちねちと喋ったゴッサムの姿が頭をよぎった。
俺がここについたとき1000本とカウントされていた畑の人参は、直後に現れたうさぎの群れに蹂躙されて15分経過した現在、既に837本にまで減らされていて、今この瞬間も順調に減少中だ。700本を切った時点で、今日の『害獣退治レベル1~にんじん畑を守りぬけ~』は大失敗で、ゴッサムが待つ楽しい再訓練イベント送りになってしまう。
俺が今までに倒したうさぎは2匹。まだ18匹も残ったうさぎたちは元気に畑で食事中だ。うさぎに近付くこと自体は結構簡単なのに、剣技レベルが低いせいでゆっくりとしか剣が振れず、殆どの場合に退治しようと斬りかかった瞬間、ぴょんと跳んで逃げられてしまう。
前回訓練達成時に手にした栄冠、喜び、感動、そして何より安心できる優美の笑顔……それを今日の人参畑で再現することは殆ど不可能と言ってよかった。
「どうすりゃいいんだ……」
いかん、言葉遊びで現実逃避をしている場合じゃない。
剣との距離でセンサーが働くんじゃないかと予想して、死角を探して前から後ろか横から、そして今、振りかぶって上からも切りかかってみたが、あっさり逃げられて全然だめ。よほどタイミングが合わないと剣が当たらないようじゃ、もう打つ手が残されて……手が残されて??
俺は、ずかずかとうさぎに近付くと、左手で無造作に耳をつかんで捕まえてみた。じたばた暴れるのを地面に押し付け、剣でさくっと突き刺すと、うさぎはあっさりポリゴン片になって消滅した。
結局、うさぎには剣に対するセンサーはあっても手に対するセンサーはないというのが今日のオチだった。残りのうさぎを総て退治するには数分もあれば充分で、俺は実に7割近くが落第となった今日の訓練で、合格者上位1/3くらいの成績で、『害獣退治レベル1』をクリアした。
「お兄ちゃん、すごいね。優美、全然気付かなかったよ」
「すごかねえよ。ゴッサムが斬って斬って斬りまくれとか言ってるのに、何か変だと思わなかった俺の方がアホだっただけだ」
『ホーム』に戻ったときに出迎えた優美の言葉は、俺の僻みか、あまり褒め言葉には聞こえなかった。
ちなみにその後に確認した王宮掲示板では、昨日は見た覚えのない「今日は馬鹿うさぎを殺ってきたスレ17」というスレが存在していた。もしやと思って、昨日、俺が書き込みをしたスレでうさぎの話題を出してみたら、レスがあったのは全員訓練体験済みのやつだった。
なんてこった。この掲示板、アクセスする奴のレベルによって開示されるスレが制限されてるだけじゃない。スレ中のレスの内容が閲覧者のレベルに対してネタバレになる場合、関連レスごと省いて問題なく見えるように、レス番号も各人ごとに再構成して動的に生成されてるみたいだぞ。ゴッサムスレの無限999レス番くらい朝飯前だな、こりゃ。
「この掲示板、かなり怪しそうだから、優美も変に書き込んだりしちゃ駄目だぞ」
「う、うん。優美も分かってるよ、お兄ちゃん」
考え事をしていた俺は、優美の言葉をそのまま聞き流した。優美は嘘が下手くそで、都合が悪いことを聞かれるとすぐ目が泳いでしまうので、見ていてとても分かり易い。後から思うと、この質問を仮想空間の優美のアバター相手にしていた俺はどうみても注意力散漫だった。
「あそこにいる嬢ちゃんは兄ちゃんの妹か?」
がたいの良いおっさんや兄ちゃんたちのグループの中で、一番俺に近いところにいた兄ちゃんが俺に質問してきた。
『すいません、あそこの廃材置き場にある鉄パイプってもらえたりしませんか?』
工事現場の脇で昼飯休憩中の彼らに、意を決して両手を握りしめながら声をかけた俺への返事がこれだった。
連休の最終日、あまりにゲームばかりで家に篭りきりの俺たちに切れた母さんに、家からたたき出されて優美と俺は外出中だった。連休中も仕事漬けでどこにもつれてってくれない、そっちも悪くないか? と思ったのは一応内緒だ。
どうせ外に出るならということで、重たい物を握りながら振ると剣技の成功確率があがるらしいという掲示板の噂を聞いて、何か調達しようと思い立った結果だった。汚れるだけだから止めとけばと言ったのだが、優美もついてくると言って聞かなかったので二人一緒だ。
「はい、そうですけど」
何故、鉄パイプくれという質問への答えが、妹か?という質問になるのか訝しみながら俺は答えた。俺の少し後ろでは、汚れないように俺のパーカーを上着の上に被って小学校以来愛用している赤い長靴を履いた優美が不安そうに様子を窺っていた。優美と二人で外出してカップルと間違えられたのが一度もないのは、一体、どういうことだろう。
「悪いことは言わねえから鉄パイプは止めときな。加減が分からずに相手を大怪我させちまうこともあるし、取り上げられたら、兄ちゃんの方が酷くやられちまう。得物を使うには慣れが必要だぜ」
「あ、あの……」
「何があったかは知らねえが、まずは大人に相談した方が良い。まずは親だ。見た感じ兄ちゃんたち普通に親はいるんだろ。妹になにかされて我慢できない心意気は買うがやけは駄目だ」
兄ちゃん実は良い人でした。そして全然間違ってるし。よく見ると、休憩してたグループの全員が心配そうな顔で俺と兄ちゃんとの会話に注目してるぞ。
「ち、違います……」
妹と一緒に遊ぶ体感ゲームで、少し重さのある棒が欲しくて……と言ったら、一瞬、きょとんとして
「あほが、心配させるなよ。深刻そうな顔して鉄パイプが欲しいなんて言ってくるから何かと思ったじゃねえか」
背中を叩かれた後、好きなだけ持っていって良いという了解を得たのは有難かった。
『なんなら俺が素手のけんかのやり方を教えてやるかと思ったのに……』
流石にそれはご遠慮しておくということで……
「これなら、いけそうだな」
優美のかばんから二人分のゴム手袋を取り出して廃材の山を探すこと5分。ちょうど良い感じの重さとグリップの太さを兼ね備えた、鉄パイプの調達に俺は成功したのだった。
「良さそうなのが見つかってよかったよね。見てるだけだと退屈なときもあるし、優美もこれでお兄ちゃんと一緒に練習しようかな」
優美は優美で手にとって振り回すのにちょうど良い小太刀くらいの長さの角材を自分用に確保したらしい。どうでも良いけど、優美、そんなもの元気に振り回してると、ちょっと変な子にしか見えないから、家の近くになったらちゃんとしまうんだぞ。
「じゃあ、何か買って帰るか」
俺たちの今の格好だと駅前みたいな人出があるところには行けないので、コンビニに寄って優美とスイーツを選んで我が家に撤収ということに。勿論、注意していたから、鉄パイプを片手にコンビニ店内へ突入などというイベントは起こさなかったので大丈夫だ。
「田伏和治め、やはり許せん!」
「お兄ちゃん、僻みはカッコ良くないよ」
「だが、田伏里香のレオタード姿が……」
「もう。さっきから、お兄ちゃんそればっかり」
優美が呆れた声を出しているが、やはり言わずにはいられない。
一仕事終えて家で優美と楽しくシュークリームを味わっていた俺の目に入って来たのは、民放のトーク番組に出演中の田伏和治の姿だった。今年は放送協会の時代劇と「ペアで生活オンライン」に専念していると言ってただけあって、番組中で流れる映像やアナウンサーとの話題もこの二つに集中していた。
問題なのはその田伏和治の休日風景を撮ったという映像で、奴の自宅にある里香と兼用の練習場というのが、綺麗な床ぶきで片面鏡ばりでバーがついているという、映画とかでみるダンスの練習場もかくやという感じの代物だったのだ。そして何より、端正な剣道着姿で木刀の素振りをしている田伏和治の映像の端に、何かがちらちら映っているなと思ったら、実はレオタード姿で柔軟体操をしている里香の姿だった……という全俺がびっくりの事態が判明していた。アナウンサーも気付いて突っ込んでいたが、「お互い勝手に練習してるだけで気にもしません」とのコメントだった。
さっき部屋で試しに鉄パイプを振ってみたら、カラーBOXの側面にぶつけて穴を開けてしまい、慌てて鉄パイプを引いたら今度は壁に貼ってあった田伏里香のポスターを破ってしまって、一人悲しみに咽び泣いていた俺に対する挑戦としか思えないセレブぶりだ。まあ、確かに妹の里香の柔軟体操を熱い視線で見つめる兄の和治という映像だったら、それはそれで和治を確実に変態認定せねば、俺の気が収まらないところではあるが。
要するに何が言いたいのかというと、リア充は自分がいかに恵まれた環境にいるのかを理解していないところが許せんということだ。
里香の休日風景がレポートされているのは興味深いが、一緒に映っている兄貴は全く必要ない。TV画面に向かって兄妹仲の良さをアピールしてるんじゃないぞ。
「よし、出来た!」
田伏和治への憤りを生きる活力に変えて、俺は使い勝手を良くするために、鉄パイプに綿を巻きつけ布を被せて太い色テープで固定する作業に邁進した。
連休最終日の夜に田伏和治を倒す目的で鉄パイプ磨いてる奴なんて、全国でも俺くらい……いや、案外いるかも知れないな。俺のこの思いつきは将来生かされることになるのだが、それはもう少し後のこと。
「なあ、優美。これ、やっぱり恥ずかしくないか?」
「大丈夫。優美、全然平気だよ!」
連休明け。俺は優美を自転車の後ろに乗せて、優美の通う中学校への道を急いでいた。連休中あれだけお兄ちゃんを応援していたのだから、ご褒美が欲しいと言い出した優美に金がかからないものなら……と答えたのが大失敗だった。
何故か、俺は連休明けから優美を自転車で学校に送り届け、その後、直角に曲がって通学の駅に向かうはめに陥っていた。無論、帰りのコースが行きと逆なのは言うまでもない。本来なら反対するはずの母さんも、優美が登校する気になるならと諸手を挙げて賛成してしまったので逃げ場なしだ。
「平気って、通学する奴の3人に1人くらいはこっち見てるぞ」
「お兄ちゃん、気にし過ぎ。難しい言葉でなんて言うんだっけ? えっと、自意識過剰?」
「お前なあ……」
俺は、単なる気のせいという言葉とはどうみても違う、通学する奴らの知り合いの人間に向ける好奇の視線を浴びながら、やっとの思いで優美を校門の前に送り届けたのだった。
「じゃあね、お兄ちゃん」
「おう、また放課後な」
とりあえずの平穏な日常。だが、俺はこのとき新たな危機が自分に迫りつつあることに気付いていなかった。
優美が、女性プレイヤー向け掲示板で華麗なデビューを果たしていたなんて、このゲームに優美以外の知り合いのない俺に、当然わかるはずは無いのだった。
<<次回、「妹、兄を予期せぬバトルへと誘う」に続く>>