第六話 妹、人気俳優と兄を比較してみる
「お兄ちゃん。来たよ、郵便屋さん!」
HMDからチャイムの音が鳴り響くと共に、優美のアバターは元気に跳ね起きると、玄関を開け家の門にあるポストに向けて飛び出して行った。
優美と俺の「ペアで生活オンライン」のプレイももう何日目かになり、実生活の方でも5月に入ってGWも残りが少なくなってきた。俺は昨日の『槍技レベル1』の訓練でまた1時間近く両手を前後に振っていたせいで、両腕のかなりの筋肉痛に悩まされながら、ベッドの上でHMDを被り、『ホーム』のリビングでいつものごとく優美の相手をして過ごしていた。
今日は王宮に行かなくても良い日ということで、俺は朝から『王宮掲示板~男性プレイヤー用~』に張り付いて最新情報をチェックしていた。「ペアで生活オンライン」はまがりなりにもソーシャルメディアと頭に名前のつくコンテンツなのだから情報発信が出来るはずだよなと思っていた俺の疑問は、訓練から帰ってきたら『王宮掲示板』の利用が可能になっていたことで一部氷解した。要するにキャラクターのレベルのようなものが上がるにつれ使用できるサービスが増えるということだ。
俺がアクセスできるようになったのは『王宮掲示板 一般兵士板』で当然のように、そこにいるのは俺のような王宮兵士に成りたてのヤツばかりだ。スレのタイトルも「ブラック王宮に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない88」「訓練中に馬鹿なヤツを見つけたら報告するスレ13」「ゴッサムをPKする方法をみんなで話し合うスレ57」「王宮騎士になったら彼女から貰える約束のご褒美を書き込むスレ4」「1000まで書き込んだらゴッサムが突然死するスレ」など予想どおりの物が並んでいた。
中身は当然のごとく、俺たちをなめているとしか思えないゲーム内容への罵詈雑言で埋まっていたが、何を書いてもレスがBANされることはなく、掲示板は元気に平常運転を続けている。「ゴッサムが突然死するスレ」に至っては、他のスレが順調に数字を伸ばしているにも関わらず、いくら書き込んでも、レス番号は999が増えるばかりでスレが終了せず、絶対、運営側に馬鹿にされているとしか思えない有様だ。ちなみに俺が初日に見かけたゴッサムにぶん殴られた19番も当然のように夜に「馬鹿なヤツ」スレで晒されていた。
優美に聞いてみたところ、当然『王宮掲示板~女性プレイヤー用~』というのが存在していて「王宮に行きたがらないカレを優しく励ますスレ」「訓練で苛められるカレが可哀相です」「カレが王宮騎士になったらプレゼントする物を考えるスレ」という心温まるものから「今日見つけてしまったカレの悪い点を書き込むスレ」「カレがDQNで飯が不味い」更には「カレとのペアを解消しようと考えている女性のスレ」というのまで、色々なスレが立っているらしい。ちなみに優美のお気に入りは「お兄ちゃんとペアを組んで一緒に頑張る妹のスレ」だそうだ。
「早く開けようよ、お兄ちゃん」
ポストから郵便を取り出しバタバタと帰ってきた優美が俺に封筒を差し出した。予想の通り『王宮からのお知らせ』だったが、一応、宛て先が俺になっているので、優美には開けられないらしい。
『重要:王国政府からのお知らせ』
この度、ハートランド王国民
・田伏和治
・キリット
・ラインハルト
・鈴村大輝
・アンドレ
以上、5名が新たにハートランド王国騎士として叙任されます。
ハートランド王国軍兵士たくみには式典参列の栄誉が与えられました。騎士叙任式は、*の月*の日、午後1時より王宮・黒真珠の間にて行われます。
「やったね。お兄ちゃん、偉い!」
俺から騎士叙任式の式典参加通知を受けとった優美は、通知を両手に持ってくるくる回って喜びを表している。倍率5倍くらいはあったはずの抽選に当たったということなので、優美の喜び具合を見て俺も、どうせ駄目だろうと思いながらも応募しておいて良かったと密かに胸を撫で下ろしていた。
「田伏和治だよ、田伏和治。里香ちゃんも式には一緒に出るんだよね」
「ああ、叙任される奴のペアは式典に出席できるって書いてあったから来るはずだぞ」
「すぐ近くで見れるのかな。楽しみだよね」
優美がかなりのテンションではしゃいでいるが、要は世間で大人気のイケメン俳優と美少女アイドルが出るイベントに俺たちもほんの端役ながら参加できるということである。
田伏 和治、里香の兄妹は二人で、前回のリオ五輪に体操選手として出場したことから、国民的人気を博すようになった。兄貴の和治は25歳、妹の里香は17歳と少し年の離れた兄妹だが、和治はリオ五輪の団体で銀メダルを、里香は個人の段違い平行棒で同じく銀のメダルを獲得した後、競技生活を引退して芸能界へ活躍の場を移していた。
兄の和治の方は前々回のオリンピックにも出場していてイケメン体操選手として人気だったが、前回のリオ五輪の銀で完全燃焼したとのコメントを出して引退した。その後、請われて芸能界入りして押し出しの良い風体と優れた身体能力を生かしたアクションものや時代劇などのドラマ出演で人気俳優の仲間入りを果たしていた。ちなみに俺の母さんも年甲斐も無くこいつのファンだ。
妹の里香の方は中学3年で出場したリオ五輪で、兄の和治との兄妹出場で話題を集めたというだけではなく、里香自身の整った容貌と演技する姿の美しさで多くの日本人をTVの前で釘付けにした。切れ長の目と綺麗に通った鼻筋を合わせ持つ彼女がポニーテールに纏めた黒髪を揺らして演技する姿は、今思い返しても清楚さと可憐さを兼ね備えた印象的なものだった。その上性格的にも、彼女自身が公言するように負けず嫌いで人一倍の頑張り家というのだから、人気が出ないはずはない。
特にメダルがかかった個人種目別の決勝で、段違い平行棒のF難度の大技、通称、里香スペシャルの途中で空中のバランスを崩し右手がバーにかからないハプニングが起きたとき、総ての者が彼女の無残な落下を覚悟した中で、僅かに顔をしかめたかと思うと残る左手に力を込め、片手車輪の形で無理やり身体を持ち上げ演技を継続して着地技に繋げるという離れ業を決めて見せた演技は今でも伝説になっている。彼女が綺麗な着地を決めて僅かに左肩の下がった決めポーズを見せた時には、俺も揮えが止まらなかった。銀メダルを首に下げ肩を固めた姿でカメラの前に現れた彼女が、競技生活の引退を発表したのは、帰国時の記者会見の席だった。
この怪我による引退というアクシデントを越えて、里香は新たに芸能界に自身の場所を見出していた。今ではTVで顔を見ない日の方が少ない人気アイドルの一人となっている。
「TVで予告やってたけど、里香ちゃんのドレス姿、綺麗だったよ。和治くんの鎧は、みんなと一緒であんまり豪華じゃなかった」
「単なる騎士の叙任式だからだろ。それより、ゲームの中の話なのに、本番で失敗しないように、練習やってるってのがすごいよな」
優美は年頃の女の子らしく、このカリスマ的な輝きを放つ二人に憧れを持っているようで、勝手に里香ちゃんと和治くんと名付けて呼ぶくらいに気に入ってる。兄貴の俺としては近くで二人を近くで見るだけでも妹孝行ということで、まあ連れていってやろうかという感じだ。
「どのくらい近くで見れるのかなあ」
「俺の立つ場所が絨毯にすぐの所だったら、目の前を通ることになるけど、奥の方だったら近くで見るのは難しいかもな」
ちなみに式での俺の役目は合図があったら剣を身体の前にかざして、叙任される騎士が目の前の赤絨毯を過ぎ去るのを見送ることだ。俺が参列する場所は、式典の部屋に入ったらカーソルで指定されるはずで、そこからは動けないだろうから、本番まではわかんないよな。優美は俺の背後霊みたいな感じで王宮についてくるから、多少、奥の方にされても俺より視界が良い分、式を楽しめるに違いない。訓練観察のときとは違って、式典のときには優美もHMDのフルスクリーンモードで見れるらしい。
「和治くんの他にも、騎士になる人いるんだよね。優美たちももう少く早く始めてたら、お兄ちゃんがこの式出れてたかもしれないね。損しちゃった」
「いや、無理だろ。話聞いたら田伏むちゃくちゃ気合い入れてやってるらしいぞ。他の奴らもかなりのはずだ」
あと興味深いのは、芸能人である田伏和治以外にも4人の人間が同時に騎士になるという点だ。和治が騎士の叙任のレベルになったという話題が出てからそれ程時間が経ってないことを思うと、この4人もかなりこのゲームをやり込んでいるはずだ。俺は、こいつらにも興味を持った。
和治に関しては、リンクを手繰っても元が芸能人だけあって、特にどうということは無い。残りの4人のうちのカタカナ名3人は当然ながら単なる擬装ネームで殆ど何の情報も得られなかった。アバターの方もキリットが少し小柄で黒服を着た女顔のイケメン、ラインハルトは金髪の美形、アンドレは筋肉質の大男と、どうみても全員作り物の体つきだった。
だが、最後に残った鈴村大輝という奴はそうではなかった。イケメンだが日本人顔、背も標準より少し高いくらい、嫌な予感がした俺はネットで検索してみたところ、リア充ご用達のSNSにアバターと同じ顔の写真入りで名前を見つけた。帝大4年になったばかりで就職が決まったお祝いに別荘で許婚の彼女とバーベキューの光景かよ。名前がわりと普通で油断していたが、間違いない。こいつリア充一般人だ。芸能人と一緒にリアルバレを躊躇しないとは、よほど自分に自信があるようだ。
「この人たち、式の後に里香ちゃんとお話しできるらしいよ。良いなー」
「えっ、そうなのか? 俺、知らなかったぞ」
俺はとりあえず、この許婚がいるにも関わらず田伏里香に顔と名前を覚えて貰えるであろうリア充、鈴村大輝を仮想敵認定することにした。いつか俺のグレードアップしたアバター阿倍留寛でこいつに決闘を申し込んでやる。
その後、叙任式までの日々は割と平穏に過ぎて行った。無論、俺が平穏だっただけで、掲示板を見ると色んな奴の運命を飲み込みながら世界はちゃんと回っていた。そのうちの幾つかは、実はその内俺にも関係してくる物だったが、この時点の俺には当然知る由も無かった。
こうして、叙任式の日がやってきた。
時間に遅れないように家を出て王宮エリアへと向かう。ちなみに式典への参加を希望して抽選にあたっておきながら、式を無断欠席あるいは式の開始に間に合わないという行動をした場合には、LQ減点100000ポイントと剣技や槍技などの技能レベルがそれぞれ1下がってしまうペナルティがついているので、間違っても遅刻するわけにはいかない。普通に考えれば、欠席した奴の場所をNPCが占めるだけだろうに、妙に厳しいんだよな、このゲーム。
『ハートランド王国軍兵士たくみには守護女神アテナにより……』
もうお馴染みとなった守護女神さまの報告を聞き流しながら、俺は王宮に脚を踏み入れた。いつものいかにも兵士その一といった感じの装備とは違い、今日の俺は首から上以外の部分が総て金属部位で覆われる、少し見栄えの良さそうな鎧を身に纏っている。
いつもとは違う王宮内部の方を指し示すカーソルに導かれ、俺は会場である『黒真珠の間』というホールに向かう。大理石みたいな雰囲気で磨き抜かれた通路はちゃんと柱一本づつに、彫刻がほどこしてある豪華さだ。確かコリント式とかいう奴だな。
「お兄ちゃん。お城、格好良いよねー」
大人しくしていると思ったら、優美はこの王宮を見て感動していたらしい。確かにいつもはTV画面の中で訓練場の様子を見ているだけだから、フルスクリーンで王宮の3DCGをじっくり見る機会はこれまで無かったんだろうな。
「優美も毎日ここに来たい」
「訓練だったら、いつでも変わってやるぞ」
「えー、訓練は嫌だよ。優美、絶対できないよ」
訓練の時と同じように、見知らぬ他人相手の広域の会話はペナルティが指定されているが、ペアやフレンド登録済み相手を指定しての個人会話は禁止されていないので、優美を相手に喋りながら通路を進み『黒真珠の間』に足を踏み入れた。
『黒真珠の間』は、かなりの人いきれというかアバターの集結で賑わっていた。やはり中に人が入っているのとNPCをプログラム的に動かすのとでは感じが違ってくるのかもしれないと思いながらカーソルの指定する方向に足を進めると、やった、王様の席からは遠いけど絨毯最前列だ。
「お兄ちゃん、一番前だよ!」
優美も興奮気味にはしゃいでいる。これで兄貴の和治の方は近くで見れることは確定だ。妹の里香の方は、着席して参列する貴族席の方は大方埋まってるから、多分、もう俺たちでは見ることは……
「田伏里香だ」
どこからか、ぼそっと声が聞こえた。おい馬鹿、ペナルティだぞと一瞬思ったが、重要なのは内容の方だった。
一斉に近くにいる奴の顔が入り口の方に向き直ったせいで、俺も何が起きたのかを把握した。ドレス姿の田伏里香が『黒真珠の間』に現れたのだ。
豪華絢爛というわけではないが、CMでも見た彼女の魅力を充分に引き立てる白の清楚なドレスを纏った里香のアバターが向こうから近付いてくる。と、俺たち兵士の中の馬鹿の一人が何をとちくるったのか、合図もないのに、里香が通る直前に剣を立てた。後はもう予想のとおり、ペナルティが無いのを確認してから、皆に習って俺も剣を立ててみた。こうして式が始まってもいないのに、剣の波の中を悠々と歩いて自分用の席に向かう里香というシュールな光景が生まれてしまった。
里香の方は大人数の声援には慣れているのか、平然としたもので俺たちの方を向いて「ありがとう」と笑顔で手を振りながら通り過ぎていった。
「里香ちゃん綺麗だったけど、男の人って馬鹿だよね。お兄ちゃんも含めて……」
里香が通り過ぎた後、しみじみと優美は言ったのだった。
自分以外の男が登場する場面や褒められる場面を説明するのは、空しいので後は流そう。
式自体は滞りなく進行して終了した。俺は、荘厳な雰囲気の中5人の先頭を切って厳しい顔つきで前を見据えて大股で通り過ぎる田伏和治を剣を捧げて見送ることしかできなかった。優美も、横にいる俺たちに一瞥もせずに通りすぎた和治に対して「和治くん、格好良かったね」と一言感想を述べただけで、内心少し落胆していたようだった。優美をがっかりさせるとは、ファンに対するサービスが足りないぞ、田伏和治。
式の中で一番盛り上がったのは、叙任の儀式そのものというよりは、叙任に至るまでの功績を大臣が読み上げる場面で、5人がそれぞれ行ったモンスター討伐の映像が水晶球により、通常は建国創話の神々の戦いの巨大宗教画が飾られている場所に投影された時だった。
自分の身長の二倍程もありそうなオーガを次々となで斬りにする田伏和治は、男の俺が見てもかなり格好良いと認めるしか無い活躍ぶりだった。残りの4人の映像はスタッフが手を抜いたのか、意図的に和治との差をつけようとしたのかはわからないが、まあ頑張ってるよな、程度の出来だったが、俺が勝手に仮想敵認定した鈴村大輝が一応外面クールを装いつつ終始ドヤ顔だったのが、俺的には更なる減点対象だった。
こうして、俺にとっては70点くらいの出来で今日の騎士叙任イベントは終了した。帰り道、あまり口数が多くなかった優美だったが、
「お兄ちゃんも、そのうち騎士になれるよね?」
「まかせろ、優美。ルールのあるゲームに俺が強いことは知ってるだろ」
「そうだよね。お兄ちゃんはゲームでずるい手を使うのは、誰にも負けないもんね」
独り言のような呟きに俺が返した言葉には、明るい口調で強く同意したのだった。
なんの因果か俺の心情的には、イケメン俳優とリア充一般人という倒すべき強敵が二人も出来てしまった。客観的に見れば、彼らには一切非が無い気がするけど、きっと世の中の大多数の若者は俺の味方のはずだから問題ないはずだ。
とりあえず、高すぎる格差社会の壁に阻まれ、倒す実現可能な方策は今の所全くない。
俺たちの戦いはまだ始まったばかりだ。
<<次回、「妹、無防備に掲示板デビューする」に続く>>