第二十五話 妹、兄の行動はたまに良くわからない
『千里の道も一歩から』という言葉がある。『難易度の高い恋愛では焦って告白したりせず、コツコツと実績を積み重ねろ』という内容の、非常に有難い先人の教えが詰まった諺だ。
「桐坂君、お待たせ」
「いや、俺も今来たところだから」
何が言いたいかというと、今日の栗原さんとの待ち合わせは告白目的でもデート目的でもなく、出来上がったビデオを本人にも確認してもらうという、ちゃんとした大義名分がついているということだ。待ち合わせの時間の関係上、昼食を一緒にすることになるのは特に問題のない流れのはずだ。
今日の栗原さんの服装は白を基調としたワンピースで、贔屓目でなくても清楚な雰囲気が栗原さんに良く似合っている。この後がバイトだから、あまり気合いを入れた格好をし過ぎても……と考えて地味目な服装にしておいた俺の方が申し訳なく思える装いだ。
「どこにしようかと思ったんだけど、『クワトロメゾン』でどう?」
「いいわ。あそこ一度入ってみたかったの」
とりあえず、まずは落ち着いて話が出来る場所に移動する必要がある。勿論、場所を提案するのは男側の義務だ。高すぎず安っぽくなくというので、昨日かなり悩んだ末に決めた店の名前を出したところ、栗原さんから一発で同意が得られた。最初の段階はクリアだな。後は肝心の話の方を……
「『クワトロメゾン』でお昼だって。やったね、唯!」
「駄目だってば、加奈ちゃん……」
会話している俺たちの横から掛けられた突然の言葉。びっくりして俺と栗原さんが振り向くと、そこには加奈ちゃんと栗原さんの妹の唯ちゃんの姿があった。唯ちゃんが加奈ちゃんの腕を引っ張ってるのを見ると、ここに登場したのは加奈ちゃんの意志らしい。
「こんにちは。遥先輩、巧お兄さん」
「貴方たち、今日は都心に行ったんじゃなかったの?」
にこやかに挨拶をしてくる加奈ちゃんに、困惑顔で栗原さんが問いかける。良くわからないが、栗原さんは加奈ちゃんと唯ちゃんが二人でいること自体は把握済だったようだ。
「遥先輩。準備が出来てたみたいなのに、わざわざ唯と出かける時間をずらしたのが敗因ですよ。行き先まで唯に聞いてるし。唯から話を聞いた途端に、この駅で待ち合わせだろうってすぐにわかっちゃいました」
全く悪びれずに、加奈ちゃんが言う。どうやら最初の予定を変更して二人で栗原さんの行動を見張っていたらしい。これは駄目だという感じで、栗原さんが唯ちゃんの方に視線を移すと、唯ちゃんは首をすぼめて小声で言い訳を呟いた。
「だって、加奈ちゃんが絶対楽しいことがあるから、ここでちょっぴり待ってみようって……」
「駄目じゃない、貴方たち。こっちにも予定があるんだから……」
栗原さんは、俺の方を向き直るとすまなそうに肩を落とした。
「良いよ。どうせ俺たちも話と昼食だけの予定だったから一緒に行こうよ。今月はかなりの額、バイト代で貰える予定だし、みんな俺持ちで大丈夫だから」
こうなったからには、男としては全員来てもらって大丈夫と言うしかない。バイトで臨時収入の当てがあるのは本当にありがたいことだよな。
「そうそう。近頃、優美に内緒で遥先輩と巧お兄さんが何してるのか? ちょっと聞いておかないと……って思ってたところなんですから、ちょうど良い機会ですって」
加奈ちゃんは作戦通りという感じで、全然元気なものだ。
唯ちゃんの方は、俺と栗原さんの顔を心配そうに何回か見直して怒ってる節がなさそうだと確認できたのか、しばらく躊躇ってからぺこりと頭を下げたのだった。
話がまとまったということで、場所を『クワトロメゾン』に移動する。洋食と喫茶が主体で、この辺には珍しく席の間隔が広くて落ち着いて話せそうなのが好印象のレストランだ。PCの使用も長時間でなければ大丈夫というのも事前に電話で確認してある。
「うわー。これ巧お兄さんが作ったんですか?」
「お姉ちゃん、女優さんみたい」
一応、今日の本題ということで、持ってきたプロモーションビデオを栗原さんに見せてみた。自分が出演してるビデオは恥ずかしいのか、OKの返事は貰えたものの内容に関する積極的なコメントは特に出てこなかったのは少し残念かもしれない。代わりに加奈ちゃんと唯ちゃんの方が大喜びで、何度も再生してはコメントを言い合う好評ぶりだった。
料理が来ると邪魔になってしまうので、適当なタイミングで加奈ちゃんたちからPCを取り返す。
後は普通のお喋りの時間だ。やはり気になるのは栗原さんの近況かも、ということで今回の仕事に絡めて聞くことにする。
「あの後、何か事務所の仕事やってみた?」
「いいえ、してないわ」
てっきり、雑誌のモデルくらいはやってるのかな? と思って尋ねたのだけど、栗原さんは意外な質問が来たみたいな感じで首を傾げた。
「あれ、そうなの?」
「契約書出したときに、田中さんに希望を聞かれたのだけど、特にすぐには考えてないって答えたら、『じゃあ、またそのうちにしておこうか』って言って、とりあえずそれっきり。今の所、何も無いみたい」
田中さん、小森監督に専用のビデオお願いしてた辺り、かなり栗原さんのことを気に入ってたようだけど、次々と仕事勧めてた……ってわけでもないんだな。無理強いしないように、気を使ってるのかな?
「『代わりに、その分桐坂に働いて貰うかな』って言ってたから、『是非、それでお願いします』ってお願いしておいたの」
栗原さんが笑って言う。一体、田中さんとどんな話をしてるんだか。
結局、栗原さんは特に事務所の仕事をしてるわけでもなく、普通に夏休みを満喫してることが判明しただけだった。ただ、映画が封切られたら、何か仕事が来る可能性があるみたいなことを、田中さんが言っていたらしい。これは少し気になるかも。
加奈ちゃんや唯ちゃんの生活についても聞いてみたが、二人とも中学3年生と優美と同じく受験生なので、原則的には勉強ばかりの夏休みらしい。今日は気晴らしの外出日だそうだ。
話がてら食事の方も楽しんだが、いつも優美と出かけるような店より少し豪華なだけあって、出てくる料理もその後のデザートなども値段相応に良い感じだった。
「何だか今日は加奈ちゃんがいつもより静かな気がするけど、どうかした?」
一通り食べ終わって栗原さん姉妹がお手洗いに立って、今は席に俺と加奈ちゃんの二人きりだ。どうも、会ったときのテンションに比べると食事の途中から口数が減ってたような気がした俺は、加奈ちゃんに直接尋ねてみた。
「食事中にずっと考えてたんです」
俺の方を向いて、身を乗り出すような形で加奈ちゃんが言う。
別に何か俺がやらかして機嫌が悪くなってた……とかじゃないみたいだ。と、安心したのも束の間、事態はここから急展開する。
「私、決めました」
「決めたって、何を?」
「せっかくですから、私も遥先輩や巧お兄さんと一緒にやってみようと思います」
そう言いながら加奈ちゃんがかばんを漁って取り出したのは、なんと以前に渡された田中さんの名刺だった。どうやら加奈ちゃんは栗原さんの後を追って『ワンダープロモーション』に入りたいということらしい。
「本気なの?」
「ええ、今なら巧お兄さんが私の面倒も見てくれるんですよね?」
俺の問いかけに、もう完全に心を決めてしまったかのような口調で加奈ちゃんは返答する。
「加奈ちゃん、今年受験だろ」
「はい。でも、心配はないですよ」
普通なら無敵の説得力のある言葉も、加奈ちゃんには通じないようだ。
確かに、今年は受験の年だからと言って家でずっと勉強させてる優美とは違って、加奈ちゃんは殆ど何の心配もない優等生だった。唯ちゃんも含めて三人とも志望は、公立で進学校の俺たちの高校のはずだけど、頑張ってせっせと勉強しないといけないのは優美だけだよな。
「でも、突然どうしたの? 栗原さんのビデオ見て自分のも作って欲しくなったとか?」
「いえ、仲良く私の知らない話をしてる遥先輩とお兄さんを見て、……じゃなくて、私も遥先輩みたいに、大人の世界をちょっと覗いてみたくなったんです。お兄さんが私の担当なら、何の心配も無さそうですし」
栗原さんの話を聞いて芸能界っぽいところが華やかで楽しそうに見えたから、自分も仲間はずれは嫌だし一緒に参加してみたいってことかな?
「あ、心配しなくても優美には当分言いませんから大丈夫ですよ。お兄さん、優美への隠し事が増えるばっかりですね」
突然の加奈ちゃんの宣言に俺は戸惑うばかりだった。
丁度のタイミングで栗原さん姉妹が戻ってきたので、ちゃんと真意を聞けないままに会話は打ち止めだ。
当の本人の加奈ちゃんは、戻ってきた栗原さんと唯ちゃん相手ににこやかに談笑している。
優美の考えてることは大方わかるような気がするんだけど、付き合いが優美の次に長いはずの加奈ちゃんですら、何を考えてるんだか判らないときが多いよな。
「じゃあ、桐坂君。またバイト頑張って」
「今日はご馳走さまでした」
「巧お兄さん。また、連絡しますね」
バイトの時間が近づいてきたということで、今日のお食事会は解散。加奈ちゃんと唯ちゃんがいる前では、さりげなく栗原さんと次の約束を取り付けて……というわけにもいかないのが、残念なところかも。次はメールでひと努力するしかなさそうだ。
それより、まずは加奈ちゃんを田中さんに紹介し直す手配をしないといけないよな。俺が担当なのも加奈ちゃんの中では確定事項になってるようだし。
うーん、これは流石に予想外の展開だぞ。
「ウインドカッター!」
優美の叫びと共に放たれた風の魔法は、俺の目の前の風景を一瞬揺らした後に、斧を振りかぶって優美に迫ってきていた最後のオークに直撃する。オークは少しの身じろぎのあと動きを止めるが、首筋の部分に斜線が入ったかと思うと、そのまま斜線に沿って頭部がずれだし、ゴトリという音と共に驚愕の表情を浮かべた頭が地面に転がった。ほどなく残った身体の部分ごと、オークはポリゴン片となって消滅していく。
言葉の通りの一撃だ。最初はへっぽこだった魔術師ユーミさまの実力も、連日繰り返される戦いで目に見えて上昇してきたと思う。遠距離攻撃で出てくるモンスターを一撃で倒せるというのは、一応敵のレベルに追随できているということで、ステージを何度も繰り返しながら進んできたご利益がここに来てようやく出てきた感じだ。
オークの群れを全滅させてステージがクリアされたのだろう。先ほどまで、延々と薄暗い感じで先が続いていた深い森の先から強い光が漏れ出してくる。
俺と優美は頷きあって先に進むと、予想の通り森の切れ目を表すシーンが登場して、俺たちの目の前には平原が、そして更なる視界の果てに砂漠の光景が出現していた。
ここから先はいよいよ東方辺境区特有の砂漠ステージの始まりだ。俺と優美は気合いを入れなおして、
「お兄ちゃん、今日の分は終わったし予定通りお買い物に行こうよ」
「そうだな、俺も砂漠対策は考えておいた方が良い気がする」
今日はもうゲーム内で戦うことは止めることにした。
森を出たところでいつも通りの野営の手順を全部終えた俺たちは、いつものログアウトではなく、『ミッドタウン』ポータル行きのボタンを押した。次の瞬間には、俺と優美は今まで何度もお世話になっている商業施設の入り口にいた。勿論、格好も居住区域にいるときのデフォルトの普段着に替わっている。
おい、旅に出てる間は『ホーム』に戻れないとか言ってたのは何だったんだと思うかもしれない。俺だってそう思う。だが、よくよく考えてみれば、こうなるのは当然の理屈だろう。プレイヤーが旅に出てる間商業施設は利用できませんなんて設定になってたら、俺が仮想商店街の店主だったら間違いなく「お前のところは何を考えてるんだ!」と運営に文句を言いに行くに決まっている。ユーザにお金を落として貰うことが一番のこの『ハートランド王国』、森の中の野営場所から商業区域にひとっ跳び位の無茶は全然問題無しらしい。蛇足だが、商業施設で買い物をしても『ホーム』のストレージに入るだけで、優美のアイテム袋の中身は増えないので、旅の役に一切立たないのはお約束だ。
何はともあれ情報収集ということで、『ミッドタウン』入り口付近のビルの壁面の巨大スクリーンに映されている『ハートランド王国ニュース』を優美と二人で見ることにする。『王国ニュース』はちょうど始まったばかりのようで、俺たち以外にもかなりの数のプレイヤーが色々な場所から画面を見上げていた。王宮広報官のお姉さんの制服が女性騎士の礼装なのは、優美には内緒だがなかなかそそるものがある。
『激化する魔王軍との戦いに対して、王国中央軍司令部も人事を刷新して軍組織の更なる拡充に努めることになりました』
こうやって近代的な街中で軍隊関連のニュースとかやってると、心条的に嫌がりそうな人も出てきても良さそうなものだが、周りで見てる人たち文句を言ってる人はいない。流石にそういうことを言いそうな人たちは、元々こういうゲーム世界にはいないのかと思い直した俺だった。
『……西方管区司令部のリール要塞も先日完成し、その堂々たる威容が人々の注目を集めています』
うん、収益が順調に上がっているようで王国内の3D建築物が次々と出来上がってはお披露目されていってる雰囲気だ。今回の要塞は上空から見た形が雪の結晶みたいで綺麗だよな。ヴォーバン式とかいう奴だ。
まあ、今週は叙任式もないみたいだし、俺たちに直接関係あるようなニュースは無いかなどと考えていた俺に、特大級の衝撃が飛び込んできたのはそのときだった。
『今日最後のニュースになりますが、プレイヤーの皆さんに大きなお知らせです。今まで以上にプレイヤーの皆さんにハートランド王国を楽しんで頂けるよう、次回8月10日のシステムアップデート時よりハートランド王宮での訓練生、正規兵向けの訓練カリキュラムが大幅変更されます』
王宮広報官のお姉さんの読み上げる内容は、あまりに意表を突いたものだった。
『ペアで参加されている女性プレイヤーの多くの方からの「王宮での訓練が厳しすぎる」「戦いで死亡すると召集時の候補生に戻ってしまうのはあまりではないか?」という声を受けて、訓練生対象の各訓練イベントのクリア条件が大幅に緩和されます。訓練イベント失敗時の再訓練内容もまた実技に重点を置いたものに変更されます。更に訓練イベントからの離脱希望者にはカウンセリング案内などが用意されます』
まっとうな内容のはずなのだが、意外すぎて理解が追いつかない。
『正規兵のモンスター討伐イベントもクリア条件が緩和されます。戦闘死亡時のペナルティも大幅に削減されるなど、プレイヤーの方から出されていた要望の多くが実現される夢の大型アップデートになります』
ゆ、夢のアップデート…だと……
呆然としたままの俺を置き去りにしてニュースは進む。
『鬼軍曹的なポジションで皆さんに親しんで頂きましたゴッサム教官は、魔王軍との戦いの最前線、ハートランド王国辺境地域へ移動となります。代わりにマツサカ侯爵家の三男リュウゾウ氏が新しく教官役を務めることになります』
次の映像では、騎士隊を従えて、王都から旅立っていくゴッサムの勇姿が流されていく。軍装姿も立派でいかにも古参の歴戦の勇者といった風格だが、ゴッサムお前、お役御免なのかよ……
そして次に現れたのは、騎士というよりスポーツマンでもやってた方が良さそうな爽やかな印象のNPCの兄ちゃんだ。ご丁寧にも、いかにも少年兵といった雰囲気の小柄な兵士に、「はい今君死んだ! 今君のライフ消えたよ!」などと言いながら、手取り足取り剣を振るやり方を楽しげに教えている映像が表示される。
あまりにも予想外の展開……というより、明らかに何かがおかしい雰囲気だ。
「お兄ちゃん。これ、良かったね。みんな喜ぶよ!」
「……」
「お兄ちゃん?」
訓練が簡単になるというニュースを聞いて、優美が嬉しそうに声をかけてくるが、俺は到底そんな気分になれなかった。
ずっと前、優美が幼稚園の年長組で俺が小学校に入ったばかりの頃だと思う。突然、早く帰宅した母さんが優美の大好きなハンバーグを作ってくれた。大喜びで優美はハンバーグを食べていたが、俺はいつもと違う母さんの様子が気にかかった。案の定というべきなのだろう。夕ご飯が終わった後に、母さんはすまなそうな顔をしながら俺たちにこう切り出した。
『ごめんね、巧、優美。お父さん今週お仕事が忙しくなっちゃって、週末の遊園地行けなくなっちゃったの……』
泣き出してしまった優美をなだめながら、俺は突然のハンバーグ作りは母さんの贖罪の行為だったことに気付いたのだった。
この感覚はあのときと似ている。
そして恐ろしいことに母さんと違って、開発陣は俺たちに注ぐべき愛情を、勿論、一かけらも持ち合わせていない。
優美と同じようにニュースに喜ぶプレイヤーたちを眺めながら、俺は思った。
俺たちの知らないうちに、このゲームの中で恐らく何か碌でもないことが起きようとしている。
それは、残念ながら外れようの無い確信だった……
次話は、単なるドキュメント形式の閑話になるので2,3日のうちに更新します




