第二十二話 妹、兄に魔術師の才能を見せ付ける
「お兄ちゃんは手を出さないで。優美、一人で戦えるから」
目の前に迫る敵の群れの上空に向け、優美は高々と右手の杖を掲げた。
日常生活ではついぞ見かけることのない凛々しい眼差しだ。
「サンダー!」
優美の必殺技の掛け声と共に、一面の青空の中で敵の群れの頭上に黒い小さな雲の塊が発生する。ゴロゴロという感じの重低音が数秒間鳴り響いたかと思うと、一瞬の破砕音に続いて枝状の雷光が上空から降り注いだ。
総ての敵が雷の直撃に悲鳴を上げて身体をピクピクと痙攣させる。だが、敵もさるもの。一撃で倒しきれなかった唯一の敵が消滅せずに起き上がり、優美を目指してじりじりと前進してくる。
「優美!」
「大丈夫! まだ、戦える!」
俺の問いかけに優美は闘志に満ちた言葉を返すと、今度は迫る敵に向かって杖を振り上げた。
「ファイアボール!」
優美の杖から放たれた火の玉が敵に直撃する。だが敵もしぶとい。HPを大きく減らしながらも臆せず優美に向かってくる。
「ファイアボール! ファイアボール!」
更なる火の玉の連射が容赦なく敵に降り注ぐ。苦悶の叫びを上げた後、最後に残った敵も遂に優美の手前1mくらいの地点でポリゴン片になって消滅した。
「お兄ちゃん、優美やったよ!」
「ああ、優美よくやったぞ!」
死闘は終わった。
何かをやり遂げた表情で杖を高く掲げて全身で喜びの声を上げる優美に、俺もねぎらいの言葉をかける。
当面の敵は倒した。だが、俺たちの戦いはこれからだ。
なんといっても、優美が今倒した敵は単にサルが4匹だけだからな。
そして恐るべきことに、今のサル4匹との戦いで優美のHPは半減、MPにいたっては9割減だ。要するに、中級魔術師ユーミさまの実力は、害獣数匹と堂々戦い抜ける程度の実力だということが、俺の眼前で見事に確認されてしまったのだった。さすが大人向けVRMMO、中学生の優美ではかなり厳しい感じだぞ。
「なんかお兄ちゃん、言葉に心が篭ってないよ」
「いや、そんなことはないぞ」
俺の内心の心配ごとが口調に出てしまったのだろうか、戦いのご褒美の賞賛の言葉が少ないと言って優美は少し膨れ顔だ。
だけど、本当にこれから俺たちはどうしたら良いんだろう……
隆さんから聞いてた旅の様子と違いすぎる。これから遭遇するだろう魔物との戦いに俺が不安を感じても、おかしくないとは思わないか、優美。
『いや、はっきり言うと麻美が強すぎてね。赴任の旅の間中、俺の出番って全くと言ってよいほど無かったんだよ。麻美が「サンダー!」って叫ぶだろ。その一言で、今まで雲一つない青空だったのが、一瞬で全天がおどろおどろしい雷雲に覆われて、山の向こうですさまじい大きさの渦をまくんだよな。耳を塞ぎたくなるほどの轟音が何度か響いた後に、もの凄い太さの光の柱が天と地を結んで、少しの時間のあとに炎の壁と熱風が山一つ超えて押し寄せてくるんだ。魔物の群れが焼け焦げていくんだかなんかで聞こえてくる絶叫がすごいんだわ。結構な時間、麻美の張ったシールドに隠れて炎が収まるのを待ってると、総てが焼き払われた地獄絵図の光景が目の前に広がってて、俺たちはそこを歩いて通り抜けてくだけさ。結局、魔物の姿なんて俺は最後まで一度も見たことがなかった気がするな』
うん、思い出してみても隆さんの経験、俺と優美には全く役に立たなさそうだ。そもそも同じゲームを遊んでるような気が全然しないぞ。
旅も三日目。王都の近郊の耕作地を過ぎて、人が一杯住んでいる土地との境界になっている川を越えて森の中を抜ける道に入ってからは、本格的な二人旅の雰囲気になっている。昨日は特に何も俺たちには向かってこなかったので、しごく平和な一日だった。途中で見かけたうさぎを優美がスリープで眠らさせたのを捕獲したり、遠くに見かけた鹿を俺が得意の弓でしとめたりのハイキング状態だったが、今日の展開はどうやら違うものになるらしい。
「お兄ちゃん、なんか来る!」
「方向はどっちだ、優美!」
「11時!」
俺たちの行く手を塞ぐサルの群れを倒したばかりだというのに、サーチで前方を警戒していた優美が、俺たちに迫り来る別の敵を見つけてしまった。優美の言葉は、船などで使う時計の短針の時間の向きで、旅に出るときに二人で決めた約束事だ。方向を聞いた俺はHDMを左前方に向けて視界を急速に拡大する。げげ、予想に違わず今度は猪の群れで5匹組かよ。
だが、まだ大丈夫だ。距離はかなりあるが、そこはゲーム世界のこと。狙いさえ正確であれば弓は勝手に放物軌道を通って遠くの目標にも命中する。そして俺の得物は誰にも負けない『たっぷりかけて君』なのだった。最大望遠でつけた目標の点で右手をしっかり固定して左手を後ろに動かしてリリースすれば、2~3秒後には眉間に弓が直撃して猪はポリゴン片へと早替わりだ。この技が使えるのは敵と完全に正対してるときだけというのがネックだけどな。
あとは時間との競争で、猪が徐々に近づいてくるのを故意に無視して、焦らないように一匹づつ急所を射抜いて絶命させていく。何とか最後の一匹まで倒し終えたときには、殆ど拡大もなくなっていて普通の視野になりかかってた。結構、危ない勝負だった。
「よし、全部倒したぞ!」
「えー、優美活躍してなくてつまんないよ!」
「いや、俺一人だったら今頃猪に跳ね飛ばされてるって。何度も言ってるけど、このゲームは優美がいつ敵を発見するかが一番大事なんだからな」
「判った、優美頑張る!」
「そうだ。偉いぞ、優美!」
活躍の場がなかったとご機嫌斜めな優美を、サーチの魔法で頑張っているという理由で、とりあえず俺は褒め称える。
いや、実際に言葉通りなんだよな。
俺は鉄パイプを使ってさえも剣の腕は人並みだし、近接戦闘になったら、『たっぷりかけて君』頼みで槍を使うしかない。
その場合でも、優美の支援は実力的にそうそう当てにできないし、複数の敵に囲まれた日にはバッドエンドの展開しか見えてこない。敵が出来る限り遠くにいるうちに見つけて、一匹残らず遠距離攻撃で殲滅するしかないだろう。
うーん、自分で言ってても、かなり無理がある方針だぞ。これからの旅路はどうみても前途多難だよなあ……
七月も半ばを過ぎて、寒冷地などの特殊な地理条件の場所を除く全国の高校は、今週から一斉に夏休み入りだ。首都圏の端に位置する我が高校も当然その仲間で、今日が終われば後は楽しい夏休みだ。
「いやー、思った以上に部活の予定が詰まってるよ。3年生の先輩が適当なところで負けてくれないと、本当に夏休みが無くなっちゃう!」
「千夏、そんなこと言っちゃって良いの?」
「まだ入ったばかりだし良いの。来年になったら本気だす……って奴だから」
上の学年の人に聞かれたらお小言をくらいそうな台詞を、佐々木さんが栗原さん相手に暢気に話している。それは良いんだが、さっきから健全な青少年の俺の前で、下敷きを団扇代わりにぱたぱたさせてるのはわざとなのか? ボタンを大きく外してるせいで夏服の胸元が下敷きと一緒に動いてるぞ。挙動不審な俺の視線に気付いたらしい佐々木さんは、目を細めて悪戯そうな笑顔を向けてくる。
「うりゃ、桐坂はこっちが見たいか?」
「ちょっと、千夏止めなさい」
「良いではないか、良いではないか」
今度は、下敷きを栗原さんの方に向けてせっせと扇ぎだした。風を向けられた栗原さんは慌てて手で胸を押さえてる。
「桐坂も加勢しろ!」
「そうだな。これは正義の戦いだ」
佐々木さんの言葉をこれ幸いと、俺も自分の下敷きで栗原さんにせっせと風を送る。だが、佐々木さんと違って一番上のボタンしか外してない栗原さんでは、なかなか攻撃は通じない。
「二人とも馬鹿なことをしてないの」
食べ終わった栗原さんの小さな弁当箱の角で俺と佐々木さんは反撃を受ける。どうやら許して貰えるのはここまでのようだ。
「セーラー服だったら大戦果間違いなしの攻撃だったんだが……」
「もう……」
半分、本音が駄々漏れだけど、まあ問題ないだろう。
努力の甲斐もあって、近頃この程度には俺と栗原さんの距離も近い感じだ。ついでに佐々木さんとの距離も少し近づいたようで、気が付いたら常に名前が呼び捨てになってるな。
なんだかんだで俺の携帯電話の現在の待ち受けは、栗原さん自身のOKが出た前回ロケ時のセーラー服姿の物に変更されている。もはや俺の携帯は、ご主人さまからの着信履歴も含めて第一級の危険物だ。校内で落として知り合いに拾われたりした日には一騒動間違いなしの一品ということで、携帯の持ち歩きには細心の注意を払っているのだった。
「そういえば、英行さんなんだけど……」
俺の方を見ながら少し言い難そうな感じで栗原さんが切り出す。
うーん、スヴォーロフの話か。確かに俺も聞いて楽しい名前じゃないよな。
「あの後相手が見つからなくて、結局、魔術師ギルドに入ったみたいなの」
「そ、そうなんだ」
俺としては出来ればアカウント削除で退会して欲しかったところだが、そう上手くはいかないか。もう二度とゲームの中では会いたくない気がするが、そもそもソロの魔術師って何やってるんだろうな。所属が違うと掲示板も見れないし、他の人間がゲーム内でどう過ごしてるのかはさっぱり判らないんだよな。
「私の方もすごいの。3日おきにペア成立相談所に登録しませんか?メールが送られて来るのよ。プロフィールの公開をすれば、一ヶ月以内の成約率95%ですって」
「プロフィールの公開なんてどう見ても危なそうだよ。登録してないよね?」
栗原さんの方もなんか大変だ。別の男性プレイヤーとペアを組むなんてことになったら俺的には大問題だし、慌てて念を押しておく。
「勿論、登録なんてご免よ。独り身の女は可哀想だから助けてあげたい……みたいな雰囲気って、なんだか大きなお世話って感じだわ」
頬を膨らませて栗原さんが憤慨する。
栗原さんがプロフィール公開して登録なんてした日には、おっさんから兄ちゃんまで希望者殺到で碌でもないことになるには目に見えてるよな。変な候補者に当たる危険性を思えば、俺としても到底お勧めできないぞ。
「皆さん、夏休みだからといって極端にはめを外した軽率な行動をとったり危険な行為をしたりということのないよう、我が校の生徒としての自覚を充分に持って、元気に休み中の日々を過ごしてくださいね」
終業後のHRで確かこの夏で20代ともお別れのはずのクラス担任の女性教師――本人未公認の愛称『さおりちゃん』こと石島沙織先生が、夏休みの注意事項を念入りに話している。肩口で切り揃えた髪に銀縁眼鏡でスーツ姿という定番の格好は、真面目な雰囲気は好感が持てるけど、もう少し砕けた感じで生徒に接したらもっと人気がでるだろうに……というのがクラスの男共の共通した認識だったりする堅物先生だ。
俺はといえば、いつものごとく『さおりちゃん』の話を聞き流しながら、これから過ごすはずの休みの日々がどのような物になるのかをつらつらと考えていた。
「起立、礼!」
とりあえず栗原さんの掛け声と共に、予想もしないイベントだらけだった俺の高校の一学期は無事に終了した。この瞬間から名実ともに夏休みだ。例年ならばとりあえず飽きるまで、一学期中に溜まった疲れを癒すべく、だらだらとした毎日を送ることになるのがお決まりのパターンだ。
だが俺を取り巻く現実は非情なもので、そのような優雅な日々は今年は一日たりと訪れそうな気配はないのだった。
「監督。この間うちの栗原を撮ってた分で、簡単なPVをついでにちょっという感じでお願い出来ませんかね? お願いできるなら普通にその分の費用はこちらで出しますけど」
エキストラ出演のときのカメラテストで、栗原さんが一人で海辺の小路を歩いてる姿も幾つも撮っていたのを目ざとく確認していた田中さんが、次に顔を出したときに小森監督に頼んでみたのが発端だった。
「材料はあっても、『ラストヒーロー』の編集作業でくそ忙しいこの時期にそんな余分なビデオ作らせておくような人手なんてうちには余ってねえよ。遥ちゃんを撮った分は渡してやるから誰かそっちで……」
言いかけた監督が、田伏里香のお供でその日も律儀にロケ現場に出動していた俺の方を見て、ふと目を留めた。
「あれはどうだ?」
「あれと言いますと?」
あの時俺の方を見てる二人に、なんか嫌な予感はしたんだよな。
「お前のところの『たくみもん』だ。あれならどうせ空いてるだろ。うちで雑用やらすついでに若いのに教えさすから、今言ってた遥ちゃんのビデオ作らせてみればどうだ?」
「桐坂ですか? 仕事は全く入れてませんから、確かに何とでもなりますけど……まだ高一ですよ?」
「問題ないだろ。ちょうど良いくらいだ」
直接は聞いてないものの、田中さんと監督との会話は大体こんな感じだったらしい。
こうして田中さんの手によって俺は小森監督に簡単に譲り渡された。勿論、俺が聞いたのは全て話がついた後で事後承諾だ。俺は見事15歳にして『ワンダープロモーション』から『小森プロ』に派遣された下請け一号として、この夏を過ごすことが決定したのだった。
疾走する青春と言えばなんだか聞こえは良さそうだけど。
一体、俺の夏休みはどこに向かって走り出してるんだろう……




