第二十一話 妹、ついに兄と共に冒険に旅立つ
『港湾都市リヴィエラはハートランド王国の南端に位置して、南大海洋に面する景勝地です。暖かい海流の恵みを受け気候は一年を通じて温暖で、テラロッサと呼ばれる赤い大地の上にオリーブやブドウなどの果樹園が広がり、石灰岩で作られた白い家並みが美しい景観を形造っています。リヴィエラの特産品としては……』
「うーん、やっぱり青い海とっても綺麗だし、南方も魅力的だったかもー」
「海に沈む夕陽も良かったし、帆船に乗って海に出たりとか潜ったりしてたのは、他では出来なさそうな体験だよね。優美が選ばないなら私のときはここにしようかな」
女の子二人がきゃいきゃい騒ぎながら『ホーム』のリビングの液晶テレビの前で、王国TVのプロモーション番組を見て感想を述べ合っている。一人は優美で、もう一人はご存知、加奈ちゃんだ。
この間、討伐イベントを無事全種目制覇したせいで、俺は今までの『正規兵』から『騎士見習い』へと昇格した。『騎士見習い』とは、その名のごとく『騎士』の見習いにあたる身分なのだが、今まで延々続いてきた王宮勤めは一旦終わりで、なんと今度は勤務地が本人が希望した王国辺境になるのだった。それもパートナーである女性ペアを連れて。いわゆる一つの頑張ってきたご褒美、ボーナスステージみたいな感じの任務なのである。辺境勤務の候補地のビデオが見れるようになってから、優美は加奈ちゃんと一緒に時間をかけて内容を吟味した結果、この間ようやく行き先を決めたのだが、まだ他の場所にも未練があるようだ。
「もう行き先は決まってるんだから、いつまでも見てないで優美は荷物のチェックしておけよ。加奈ちゃんも悪いけど、こいつ抜けてるから一緒に見てくれる?」
「えー、優美抜けてないよ」
「はい、任せください。お兄さん」
俺の言葉に、優美は憮然と加奈ちゃんは元気良く返事をする。
・俺と優美の王国発行の身分証(兼通行証)
・替えの服、下着類、タオル、毛布
・お金
・常備薬、ポーション
・保存の効く食料、水筒
・塩、こしょうなどの調味料、香辛料
・石鹸、シャンプーなどの衛生用品
・火付け道具、ランプ、魔取り線香(虫にも効く)
・その他(形だけの調理器具、袋、縄、日除けフード、サングラス……)
なんだか、現代の生活用品ぽいものも混じっているが気にしてはいけない。とりあえず旅立ちに際して一番注意すべきなのは、優美が持っている何でも入る秘密のアイテム袋に詰め忘れをしないこと。中級魔術師の優美のアイテム袋ではお約束通りそんなに量は入らないし、HPの減少要因になる重さもキャンセルできない設定なので、そんなに持てないのが悩みの種だ。
相変わらず罠が一杯のこの「ペアで生活オンライン」、もし旅に必要なもので忘れていたりするものがあれば、旅の途中で散々苦労するはめになる。替えの服や衛生用品を忘れると時間の経過と共にNPCに会ったときの好感度が下がるし、魔取り線香を忘れた日には野営でログアウトして次にログインしたら、アバターが魔物に齧られていて半死半生な状態からゲーム再開などという笑えない事態が確率的に発生するらしい。どれも、噂好きの隆さんからのまた聞きだけど、今まで隆さんの話ががせだった試しがないので、気をつけるに越したことは無いはずだ。
あと、残念ながら「ペアで生活オンライン」では味覚は当然再現できない。食べないと減っていくHPを維持するために、継続的に食料を調達し食事の真似をすることでHP回復の手順を繰り返すだけで、楽しい料理イベントは発生しないのだった。塩、こしょうなどは獲ってきた肉に使うと保存期間が延びる効果が設定されているようだ。
「添付ドキュメントを見るとこんなものかな?」
「ええ、大丈夫だと思います」
いつもの如くNPCが持ってきた『騎士見習い』への昇格書類に添付されていた『旅のしおり』を見る限り、一応これで旅の準備はOKで後は適宜現地調達になるらしい。このゲーム、配られてくるドキュメントをちゃんと読んでおかないと、すぐに変になるのが仕様だからなあ……
「じゃあ、今日はよしとするか。これで旅立つと加奈ちゃんともゲームの中でしばらく会えない感じになるのかな?」
「はい、巧お兄さんも元気でお過ごしください。優美は学校で会えるから大丈夫だよね?」
「お兄ちゃんも加奈ちゃんもなんか大げさ。優美なんかもう全然準備OKだよ!」
さっきから、どうも威勢だけは良い優美の言葉を聴きながら、何か見落としがあるんじゃないかと今一歩確信を持てないまま、俺と優美の旅立ち前日の夜は更けていくのだった。
「私はハートランド王国第11軍管区司令官ブランドン東方辺境伯である」
いかにも長年前線で戦ってきたという印象の、歴戦の古強者の風格を漂わせた初老の辺境伯さまの訓示が行われている。
「既に幾多の戦場を経験し、屠った魔物たちの屍の山と戦いに散った多くの仲間の犠牲の上に今ここに立つ諸君は、既にこのハートランド王国を支える柱であると言っても過言ではない……」
恥ずかしくない、全然恥ずかしくないぞ……
辺境伯さまの有難い訓示は続いているが、俺は訓示の内容は最初からどうでもよくなっていて、この状況から一刻も早く抜け出すことだけを考えていた。
厳かな雰囲気で行われている騎士見習いの任官式で、明らかに俺一人だけが浮いている。王宮エリアに入るときに女神さまから与えられる装備は皆同じで、実用一辺倒といった感じの鈍い輝きを放つ騎士見習いの装備を俺たちは身につけている。だが、俺以外の全員が何の変哲もない無地のマントを鎧の上に纏っているにも関わらず、俺のマントだけは妙にでかい肩飾りが付いていたり、金モールがぶら下がっていたり、裏地が赤で怪しげな模様の刺繍が施されていたりなど、何だか色々なものが所狭しと取り付けられた、『デコマント』仕様になっていたのだった。
確かに、近頃俺がご主人さま田伏里香の用事でいろいろ外に出たりしてる間に、優美は何をしてるんだろうと思ってみたこともあった。なんか、食事の机の上に粘土細工が転がってたり、優美の部屋に手芸道具が転がっていたりしたのも覚えはある。しかし、それが巡りめぐって自分の身に降りかかってくるとは普通思わないだろう、常識で考えて。
あれほど苦労していた中級魔術師の資格とは別に、優美は空いた時間を使って、母さんにねだって『ペアで生活オンライン』の中で提供されている、手芸と銀粘土細工の通信講座を取ることで、上級テイラー(仕立て屋)と上級宝飾師の資格をさっくり手に入れていたのだった。これらの資格を取ると、王宮エリアの中で普通の人には出来ない男性ペアの服飾をカスタマイズできるようになるそうで、張り切った優美は旅立ちの前に俺専用のマントを用意してくれてたりしたのだった。でも優美。これどうみても騎士見習いのつけるマントには見えないぞ。最低でも将軍クラス、それも悪の組織の魔将軍さまとかが身につけてそうな類の装いだって。
一緒に任官式の部屋で出会ったヘラクレスなんて、一目見てのけぞって、その後はにやにやしっ放しだったぞ。優美に悪気がないのは当然なんだろうけど、なんだか色物芸人になった気分だ。王国TVに写るかもしれないと優美は期待していたが、旅立つ俺たちは見れないし里香や栗原さんに見られたら話のネタにされそうだから、できれば勘弁して欲しい。
「辺境はその名の通り、ハートランド王国と他の地域を隔てる境界の土地である。王都とは異なり魔物の襲来する危険性が高いというだけではなく、安全や治安の面でも未だ多くの問題を抱えている。赴任していく諸君の頑張りこそが、かの地のみならず王国全土の明日の安寧へと繋がる礎になるのだと固く心に留めておいて欲しい」
辺境伯さまの訓示はまだ続いている。
さて、ゲームの舞台ハートランド王国はどの様な地理的条件下にある国なのだろうか? その答えは簡単、総ての自然条件を国内に抱えるような国である。それは何故か? 仮想世界を訪れるユーザーが総ての種類の観光地を楽しめるように造られているからに決まっている。とはいっても、低予算と見切り発車で開始されたこのゲーム、王都以外の都市が十分見れるまでの景観になったのは、ついこの間のことらしい。
ハートランド王国の中心部にある王都は、王家の名前がエバーグリーンとなっていることからも予想されるとおり、温暖で暮らし易い気象条件下にある。王都を離れるほど、環境が変化していくのは予想される通りだろう。
まず、王都から西に進むと大陸の中央部に向け田園風景が広がる一大穀倉地帯が出現する。畑で麦を作って風車が回って牧場には牛や馬が沢山という、みんなが思う中世ヨーロッパ風の農村の風景が楽しめるはずだ。また、西方の国境の向こう側には、ハートランドとは異なる人間の住む国が幾つも存在する設定になっているらしい。
南に進むと海に行き当たる。海を臨む地域に行けば、大航海時代を彷彿とさせるような帆船が行きかう中世の地中海的リゾート都市が満喫できるらしい。昨日、優美と加奈ちゃんが見ていたのが、この都市リヴィエラの紹介ビデオだ。
北に行くとそちらは山脈によって向こう側の地域と分断されている。イメージ的にはアルプスの麓にある街なみという雰囲気で、人々は狩猟や羊の放牧で暮らして冬は雪に閉ざされる、いかにも辺境の雰囲気だ。
そして今回、優美の希望により俺たちが選んだ赴任先は東方だ。ハートランド王国を東に進むとだんだんと空気が乾燥してきて、乾いた大地が広がり水源を中心にオアシスが点在するという、俺らがイメージするシルクロード風の世界が広がっている。「マラカンダ」と呼ばれる異国情緒溢れる宮殿が建てられた都市に管区指令部が置かれていて、とりあえず俺たちはそこを目指して旅立って行くことになる。
さて、この決断が吉と出るか、凶と出るか実に心配なものがある。この四方面ある辺境勤務の期間中に必ず一方面に魔物軍団の大襲撃が行われるイベントが発生するからである。先月に行われたイベントでは南方が大当たりで、リゾート風の海辺に何だかわけのわからない海洋生物をもじった魔物が大挙上陸して阿鼻叫喚の光景が繰り広げられ、辺境勤務にあたっていた騎士見習いの3人に1人が殉職するという大惨事が発生していた。その意味で、どこを勤務地に選ぶのかは大問題なのだが、如何せん常日頃優美に馬鹿にされるくらい引きが弱い俺が決めるわけにはいかないという事情もあって、加奈ちゃんに相談相手になってもらいながら優美が決めるという妥協点に落ち着いたのだった。
といいつつも加奈ちゃんは一緒にやっているお兄さんがリア充でなかなか忙しいらしく、まだ正規兵で辺境勤務のイベントをやったというわけでもないので、要は女の子二人でゲームの世界でリゾートに行くならどこが良いかを仲良く議論していただけという冒頭の話に繋がるわけだ。
「諸君にとりパートナーである女性と共に王都より辺境までの長い旅路となるわけだが、道中すらも任務の一部と思い慎重につつがなく赴任をなし遂げるよう期待する」
辺境伯さまの話はまだ続く。俺たちの勤務地行きのことまで心配してたら長くなるのも当然ですな。
そもそも気にしたら負けなのは判ってるけど、つい一月ほど前の討伐イベントでハートランド王国国境付近にあるはずのエメラルド湖なる所へ片道5分で到着してたような気がするのは俺の気のせいだったんでしょうか? それとも、俺たちを連れていったゴッサムは、縮地の法を身につけている武術の達人とかいう設定になってるんですか?
「それでは、諸君一人一人の旅路に幸あらんことを。解散!」
やれやれ、妙に長い割には結局、中身が良くわからない辺境伯さまの訓示がようやく終了した。
さて次は、どうせお決まりのあれが出現して……
『それでは、ペアの女性プレイヤーと共に、旅立ちを行う王都東門城壁に移動します』
あれ?
HMDのシステムメッセージの表示と共に、俺はのどかな田園風景が目の前に広がる場所へと移動していた。振り返れば門番つきの城壁が背後にそびえ立っている。確かにここは王都東門らしい。
「お兄ちゃん、どうかしたの?」
俺の前には杖を持って魔術師ローブを被った優美の姿。どうやら既に旅は始まってしまっているようだ。
「いや、ゴッサムが出てこなかったからどうしたのか……と思って?」
「お兄ちゃん、隊長さんにお見送りして欲しかったの?」
いや、自分でも疑問符をつけてしまったが、間違いなくそんなはずは無いぞ。
首をかしげて問いかける優美の言葉に俺の方が絶句する。確かにゴッサムが出てこなくて何がいけないと言うんだろう。何も問題は無いはずなんだが……強いて言うならなんか将来的な罠の予感がする、みたいな?
「よし、じゃあ出発するぞ」
「うん、お兄ちゃん」
とりあえず、召喚される前に無事ちゃんと旅装になってただけでも、優美にしては頑張ったと思っておこう。懸念を振り払うかのように力強く宣言すると、俺と優美は東方辺境区への旅立ちを開始したのだった。勿論、徒歩で。
これは絶対に、せっかく造りこんだ3D世界なのだから、ゆっくり堪能していけってことなんだろうな。雰囲気的には自転車に乗ってるくらいの感覚で風景が流れてるし、HMDに表示されている王都からの距離から逆算すると時速15kmくらいな印象だ。この世界の時間の流れ自体も確か3倍だったから、これが歩きの速度ということなんだろう。ハートランド王国は大体1000km四方のはずだから、500km歩こうとすると実働で30時間くらいはかかることになるな。確かにこれは結構大変な作業だぞ。
とりあえず、地図によると王都周辺30kmはのどかな田園風景が広がってるから、2時間くらいは単なる散歩だ。色んな形にカスタマイズされた家や、色々な作物が育っている畑を横に優美と歩く。見渡してみると、ちらほらと畑仕事をしている人たちの姿が確認できる。これNPCじゃなくて、実際のプレイヤーなのがすごいところだ。
そう、プレイヤーなのである。おい、こいつらは一体どこから出てきたんだ?という疑問が挙がるのは予測済だ。実はこの『ペアで生活オンライン』、王宮の兵士勤めで死んだりして2度目以降のやり直しになった者や一定の期間以上クラスが上がらなかったりした者には、まるで会社のリストラ人事か何かのように、第二の人生のご案内が選択肢として提示されるのだった。
兵士勤めで芽が出なかったものの、ペアの女性パートナーとの不仲には発展しないで二人で別の生活を求めることにした場合に提示される、農家暮らしに応募したのがこの人たちだ。畑で色々な作物を育てたり、家をカスタマイズしたりとかでワールドの形成に貢献しているという理由で、農家暮らしを選んだ人には、収穫量などの貢献度に基づき、商業エリアで買い物が出来るポイントの付与が行われる特典も付く。作物の育成には魔法の力も役立つので、女性プレイヤーの努力は原則無駄にならない仕組みになっているのもお約束だ。最初に申し込んだ人から王都周辺の良い土地が貰えるということで、一時期かなりの数のペアが先を争って下級兵士から農家への転職を志願したらしい。
ただ、これもこのゲームの罠で、農家に転職出来るのは仲むつまじいペアだけである。王宮勤めに失敗したなどの理由で、ペアの女性プレイヤーとの仲をこじらせて一人になってしまった人は、栗原さんにご案内が来たような次のペアを探す『ペア成立相談所』への登録を行うか、ペアをもう組まない覚悟を決めて、男一人ゲーム世界で生きていくための孤高の魔法使いを目指す『魔術師ギルド』への加入を行うかという選択をしないといけないのだった。
話が少し脱線してしまったが、とりあえず王宮勤めだけが人生ではないという建前が、一応ちゃんとゲーム内で保証されているのは確かなようだ。
「野菜作りするのも楽しそうだよね、お兄ちゃん」
「優美、俺がどれだけ辛い思いをして王宮勤めしてるのか、理解が足りないと感じられるような発言だぞ、それは」
働く農家の人たちの姿を見ての優美の感想に、俺は脱力しそうになる。
「優美はお兄ちゃんが頑張ってるの知ってるよ。本当だよ」
「ま、まあ、それなら良いんだ」
「でも、野菜作りや収穫も楽しそうなんだもん」
「……いや、もう良いや……」
なんだか色々と、俺の日頃の努力が軽視されてるような気がするけど、優美の天然ぶりは今に始まったことじゃないし、泣かないぞ。
「今日は、この王都の近郊を抜けて川を渡って森に入る手前のところまで行く予定だからな」
「うん、判った。お兄ちゃん」
「この辺だと、魔物が出てくることは殆どないはずだけど、一応用心するように書いてあるから気をつけてな」
「大丈夫。魔術師ユーミはサーチの魔法が使えるから、魔物が近づいてきたらお兄ちゃんが気付くより、ずっと前に判るんだから!」
アバターになっても相変わらずあるのか無いのか判らない胸を反らしながら優美が豪語する。掲示板の噂だと、アバター登録のときに女性プレイヤーには、ちょっとウエストを細くして代わりに胸を増量するサービスが付いてるはずなんだが、恩恵を受けてるようには殆ど見えないな。まあ、魔術師ユーミさまの実力もおいおい見れることになるだろう。
とりあえず旅は始まったばかりということで、王都を抜けて人里を離れないと何も楽しそうなイベントは起きそうにない。
そう思いつつ優美と二人で会話をしながらてくてく歩く。だが、それもしばらくのうちだけだった。ふと気付くと、なんだか隣が静かになっている。あれ、優美がついて来ていない。
後ろを振り向くと道端に倒れているローブ姿の小柄な人影が……
何が起こった?
別に何も起きてはいなかった。
HMDから流れる規則正しい呼吸音。おーい、優美歩いてる最中に寝落ちするんじゃない! どんな怪事件が起きたかと思うじゃないか。こら、魔物の襲撃対策はサーチで万全というさっきの言葉はどこに行った?
優美との二人旅は前途多難だぞと思いながら、まだ王都の城壁が遠くに見える単なる田園風景の途中で今日の旅路を終えることにする。俺は旅のしおりのマニュアルを見つつ、まだ陽も高い中、魔物に襲撃されない野営の手順を踏んでからログアウト処理を行うのだった。
今回は説明回みたいになってしまって申し訳ありませんでした。次回からはまた通常運転になる予定です




