第二十話 妹、旅立ちの準備を順調に進める
「学校に行く気力が沸かない……」
激動のゾンビ討伐イベントから一夜明けた今日は金曜日。梅雨明けが近いのか二日続けて晴れ渡った青空が頭上に広がっているというのに、俺の足取りは相変わらず重い。学校に行くのが楽しくない……と言っていた春先の優美の言葉も今ならすごく共感できるような気がする。
原因は勿論、昨日のゾンビ退治だ。ゾンビ相手に戦っていたら誰かに背中を矢で射られる味方誤射で戦場死の危機。ゴッサムの活躍で危うく難を逃れたと思ったら、実は矢が当たったのは故意の事件で犯人が判明。てっきり『阿倍留寛被害者の会』からの刺客と思われたその犯人は、俺の名前を叫びかける悪足掻きをしながらゴッサムの鉄拳制裁で消滅。
うん、なんてバイオレンスな展開なんだ。そして困ったことに俺の名前を知ってるってことは、名探偵で無くても犯人が分かっちゃうんだよな……
「桐坂君、おはよう」
「ああ、栗原さん。おはよう」
学校に着いてとぼとぼと教室に入って席へと向かうと、佐々木さんと話していて俺の登場に気付いた栗原さんが、俺に朝の挨拶を呼びかけてくる。ああ、やっぱりというか栗原さんの今日の笑顔はやつれ気味だ。
「今日はいなくならないね」
「さすがに今日はね。私もそこまで恥知らずなことはできないわ」
俺の問いかけに栗原さんが静かに応える。少しの時間お互いに顔を見合わせてから、二人で大きくため息を吐いた。いつもと違う展開に佐々木さんが何が起きたという顔で俺と栗原さんを交互に見ているが説明はまた後で。
「それで、一体何が起きてたんだ?」
俺の言葉に「今、話そうと思ってたの」と栗原さんが説明を始める。
「昨日の夜、家にいたら英行さんから電話があって『面白いものを見せてやるからログインしろ』って。ログインして英行さんがモンスター退治をするのをしばらく見てたんだけど、ノルマが終わった後に突然場所を移動したと思ったら、前にいた桐坂君を背中から撃つんだもの。びっくりして心臓が止まりそうになったわ」
心底がっくりした様子で栗原さんが続ける。
「不意打ちされた桐坂君がゾンビにやられちゃって死んでしまうところを私に見せたかったのね。部隊長の大男の人の活躍で桐坂君が助かったらもう凄い悪態だったもの。その後に犯人だと糾弾されて逆に自分がやっつけられちゃったのは自業自得よ」
口調を聞いていると、栗原さんもあの従兄弟の兄ちゃんの行動にはさすがに一切弁解の余地は無いと思ってるようだ。
「遥と桐坂君、一体何の話をしてるの?」
「桐坂君殺人未遂事件の話よ」
「何それ?」
呆れたように佐々木さんが呟く。確かに名前を聞いてると、なんだか物騒な話に思えてくるな。
「勿論、ゲームの中だけどね。それでね、その後も荒れちゃって酷かったわ。死んじゃったせいで、また訓練兵からやり直しなのも悲惨だけど問題はそれだけじゃなくって。『味方を後ろから撃った卑怯者スヴォーロフ』って掲示板で専用スレが立って、昨日の夜だけでもすごい話題になっちゃったから、もうあのアバターで人前には出れないわ」
そっか、俺もかなりげっそりしてたからあの後すぐにログアウトしちゃったけど、考えてみれば『味方撃ちの罪で死に戻り』なんて、掲示板の燃料にならないはずがないよな。
「キャラクター作り直して再登録したいって言ってきたけど、私も英行さんのしたことに怒ってたから、それなら今度は別の人をペアにしてくださいって宣言したの。かなりの口喧嘩の後でめでたくペアを解消して今はもう自由の身だわ」
げ、栗原さんペア解消なのか。昨夜一晩ですごい波乱の展開になってたんだな。
「ペアって解消したらどうなるの?」
「アカウント自体を削除するのじゃなかったら、とりあえず今度は商業地区の隣の高層ワンルームマンションに部屋を貰えるから、そこで優雅に一人暮らしかな。ペアを解消した途端に『ペア成立相談所へのご入会案内』とかドキュメントが来て笑っちゃった」
「なんか、申し訳ないことになっちゃったな」
「良いの。悪いのは間違いなく全部英行さんだから。あのまま桐坂君が死んじゃってたら、それこそどうやってお詫びして良いかわからなかったところだわ。ということで説明が長くなっちゃったけど、昨日は本当にごめんなさい」
言いながら栗原さんは横に置いてあったらしい手提げ袋を俺に差し出す。
「これ、何?」
「女の子に大人気のお菓子屋さんの詰め合わせ。昨日の夜に慌てて特急便で取り寄せたの。妹さんと食べて」
そして申し訳なさそうな様子で中身を説明した。
「まさか、何かして貰ってお礼にお菓子を作ったりする前に、身内の不祥事でお詫びの品を届ける日の方が先にくるとは思わなかったわ」
「そんなに律儀に考えなくても……」
「駄目よ。こういうことはちゃんとしないと」
そう言いながら俺に深々と頭を下げる栗原さんなんだけど、みんなが見てるのあんまり気にしてないよね、多分。こういうところは栗原さん、実はうちの女王さまと少し似てる気がする。
「じゃあ、有難く貰っておくから、これで今回の一件はこれで終わり。これ以上、謝らないように」
「うん、わかった」
朝っぱらからかなりばたばたしたけど、一応、問題は解決した。栗原さんとも沢山話せたし良しとしよう。
「でも、これから一人じゃゲームするのもつまんないよな」
ここで終われば平穏だったのに、俺はいつも一言多い。
「なら、いつか桐坂君が私を迎えにきてくれる? 妹さんにペアになる彼が現れたらで良いわ。その時まで、私待ってる」
話の終わりにふと漏らした俺の感想。だが、栗原さんから返ってきたのは予想外の言葉で、意味を理解した途端、俺は見事に機能停止した。
「嘘」
「えっ……」
栗原さんを見つめる俺の顔は、よほど間の抜けたものになっていたのだろうと思う。
「桐坂君と妹さんがペアを解消する時なんて待ってたら、きっと、私おばあちゃんになっちゃう。だから……嘘」
「……」
「じゃあね、桐坂君」
栗原さんは笑顔を見せるとすぐさま直前の言葉を打ち消し、俺の言葉を待たずに自分の席へと戻っていった。いつもと違う少し元気の無い栗原さんの背中を見ながら、俺は何でも良いから即座に了承の答えを返さなかった、自分の甲斐性の無さに落胆するしかなかったのだった……
栗原さんとの会話イベントを最後に、波乱の一週間がようやく終わって今は夜。明日は女王さまのご指名でロケ現場行きの用事があるので、今日は早めに家に戻っていつものごとく部屋から『ペアで生活オンライン』にログイン中だ。
俺の今日の戦いは最後の討伐イベントを先ほど済ませたのでもう終了。
今は俺と加奈ちゃんと優美の3人で『ホーム』のリビングに集合しているのだが、現在、優美は一大イベントに挑戦中で、リビングのTV画面を見ながら俺と加奈ちゃんとで応援中という感じなのである。
加奈ちゃんと二人で見つめる画面には、今優美が挑戦中のイベントの経過が逐次表示されている。内容はぶっちゃけ英単語テスト。優美がやり終わったところだけが表示されていて、手助けとかずるができないので、二人ではらはらしながら見守っているだけだ。網膜パターンの簡易照合があるので、成り代わりができないのもきっちりしている。試験の始まりからずっと応援していたが、もうそろそろ終わる頃だ。
『第99問 雷を伴った嵐を発生させる呪文を選択してください』
・ thunderstorm
○ tornado
・ drizzle
・ tidal wave
『第100問 大地を揺らす地震を発生させる呪文を選択してください』
○ landslide
・ earthquake
・ meteor strike
・ explosion
げげ、両方とも惜しかったけど最後に連続して間違えたぞ。大丈夫か、優美? これ中学生の優美にはどうみても難しそうな単語が並んでるよな。
『お疲れさまでした。試験はこれで終了です。結果を見るボタンを押して成績を確認してください』
「ああ、疲れちゃった」
「優美、お疲れさま」
俺のとなりにいる優美のアバターが背伸びをして身体をほぐす。加奈ちゃんが労わるように声をかけた。
「これ、結構期待できるんじゃないか?」
「うん、今日はなんか良い感じだった」
どうせすぐ結果がわかるからということで、記録はとったりしてないけど、ざっと見てた感じではまあまあ頑張ってたような気がする。優美も手応えを感じているようだ。気合いを入れ直してボタンを押す。
『試験の結果は 72/100点でした。合格おめでとうございます』
「やったー!」
「優美、頑張ったね!」
「優美、偉い」
表示された結果は合格。3人で喜び合っていると、バンザイの手も下がりきらないうちに玄関のチャイムが鳴る。勿論、試験結果配達のNPCだ。
通知の中身はわかってるけど、こういう形式になってると苦労した分有り難みがあるよな。
『重要:王国魔術教会からのお知らせ』
ハートランド王国民きりさかゆうみは、資格検定試験の結果により
『ブリタニア流中級魔術師』に認定されたことをご報告いたします。
ハートランド王国歴**年*月*日
ハートランド王国魔術教会長 ノヴァ・イーオン
『ブリタニア流中級魔術師』うん、なかなか格好良さそうな響きだ。
優美のこの二ヶ月の苦労が報われたのは良かったよな。マニュアルを見てたらこの中級試験の難易度は高校生の授業内容をある程度含むになっていたから、英語があまり得意でないとぼやいていた優美にとってはかなり頑張った結果だと思う。
『ペアで生活オンライン』では、男どもは皆王宮にいって兵士勤めをしなければいけない。これは以前に明らかになったとおりだ。それなら、男が兵士勤めをしている間女は何をしているんだ?という疑問が沸くのは当然だと思う。その解答、実は『自分磨き』だったりする。
ファンタジー世界の約束ごとをペアの女性に押し付けて色々なことをして貰うという発想は、徴兵時に「カレにはできるの?社会人生活」などと名付けたドキュメントをペアの女性プレイヤーに配るこのゲームの開発者の頭に無いだろうことは明らかだ。
ならば、ペアの女性には何をして貰うのか? せっかくゲーム要素のある仮想世界にログインしてもらったのに、ペアで遊べないのは致命的では? その答えがこれ、外国語習得による『自分磨き』なのである。女性プレイヤーは、『ペアで生活オンライン』の運営会社と提携している語学学校から提供される、ファンタジー世界を舞台とした恋愛小説を教材に用いた語学習得に多くの時間をかけていたりするのだった。
そして先ほどのような検定試験に合格すると、ハートランド王国の魔術師の資格を得ることで、男性プレイヤーのパートナーとしての努力を果たしたことと見なされるのである。女性プレイヤーのやることには、須らく現世的なご利益がついている。これがこのゲームの鉄則だ。
優美が勉強しているのは英語なので、優美の資格は『ブリタニア流魔術師』、これがドイツ語なら『ゲルマニア流魔術師』フランス語なら『ガリア流魔術師』になるのはお約束。今日の試験で『ブリタニア流中級魔術師』になった優美は、これからゲーム世界の中に入れば、「サンダーストーム!」と叫べば嵐を呼んで、「アースクェイク!」と叫べば大地を揺らす、魔術師さまなのである。
この語学の能力が魔術師の格を意味するという仕組みで誰が喜ぶかというと、実は「婚活」と「自分磨き」に余念のないキャリア志向のお姉さま方だ。まさしくゲーム会社は媚びるべきターゲット層を把握している。結果、語学が得意な女性はゲームを始めた途端、早々に高位の魔術師の資格を得て、ペアの男性の出世の苦労を後は高みの見物三昧というのは、パスタ屋さんで知り合った隆さんから聞いたうわさ話だ。ちなみに隆さんのペアの麻美さんはすごい才女で、既に2つの流派の特級魔術師資格と更にもう2つ別流派の上級魔術師資格を取得済らしい。
「今日から優美も中級魔術師だからね。お兄ちゃんのマントはもう出来てるけど、旅立ち前に優美の魔術師ローブも早く準備しなくっちゃ!」
魔術師試験に合格してテンションが上がっているのか、今日の優美は元気一杯だ。横にいる加奈ちゃんもいつにない優美のはしゃぎぶりを微笑ましく見つめている。
「加奈ちゃんもありがとう。優美の英語の勉強だけじゃなくて、今日は俺の分の見守りまでしてくれて」
優美はとりあえずあの調子ということで、俺は加奈ちゃんに話しかける。俺的にはお久しぶりの加奈ちゃんだが、ここにいるのは偶然ではない。
今日は優美が魔術師の試験を受ける前に、俺の最後のモンスター討伐『オーク退治』があったのだが、『ゾンビ退治』で俺が死に掛けたのに愕然とした優美が、今日の『オーク退治』の応援に加奈ちゃんを駆り出していたのだった。怪我をしたときのお祈りはペアの女性がするのが一番効果があるのは当然として、フレンド登録している人でも効くのだそうだ。
「でも、お兄さん。見てましたけど、全然、楽勝でしたよね」
「まあ、味方から背中を撃たれるというのが、そう度々起きるはずもないしね」
「そういえば、巧お兄さん。あれって遥先輩の……」
いきなり危険な話に入りそうになった加奈ちゃんに向けて、俺はすぐさまプライベートチャットの申し込みを掛けた。俺の行動に気付いた加奈ちゃんは、優美に気付かれないように会話を切り替える。
「もしかして、優美には内緒なんですか?」
「まだ、言ってないんだよね?」
「はい、私も確認してないことを言っても……と思ってましたから、やっぱりそうだったんですか?」
加奈ちゃんは、中学校時代に生徒会の役員をしていた栗原さんの下で、去年仕事を一緒にやっていたそうだ。しっかり者同士、今でも頻繁に交流があるらしく、この間の書店の一件を知っていた。女の子のネットワークは侮れない。
「優美には機会を見つけてそのうち俺から言うから、知らないことにしておいてくれる?」
「了解しました。でも、巧お兄さんも罪作りですよね」
今回の件は優美が知っても混乱するだけということで、勿論、即座に口止めだ。加奈ちゃん的には俺が何をしたことになってるのか、少し気になるところかも。
「あれ、お兄ちゃんたち。どうかした?」
加奈ちゃんとの内緒話が一段落した頃。
突然、静かになった俺たちに気付いた優美が問いかけてくる。
「いいや、何でもないぞ」
「優美、なあに?」
俺も加奈ちゃんも、無論、素知らぬ顔で応えを返した。
そう、大人になるって悲しいこと……かな。




