第十九話 妹、初めての軍事用語に戸惑いを覚える
※せっかく多くの読者の方が見に来て頂いていますのに、申し訳ありません。今日の巧君のモンスター討伐はゾンビ退治です。ちょっと苦手な人は途中の大きめの空欄でお戻りください。次に投稿する第二十話をそのまま読んで頂いても続きがわかるようにしておきます。
暦の上では7月に入り、このところ精彩を欠いていた太陽も今日は元気に自らの存在を主張しているようで、朝からとても良い天気だ。こんな日は学校に行く足取りも自ずと軽く……ならないな。桐坂巧15歳、この間より不調が続いております。
「桐坂君、おはよう」
「ああ、栗原さん。おはよう」
学校に着いてとぼとぼと教室に入って席へと向かうと、佐々木さんと話していて俺の登場に気付いた栗原さんが、俺に朝の挨拶を呼びかけてくる。ああ、なんて綺麗な笑顔なんだ。
「じゃあ、千夏。また後でね」
そして3秒もしないうちに俺に背中を見せると、あっという間に俺の席から離れていった。ああ、なんて他人行儀なんだ。
前回の事件から数日の時間が経ったはずなのに、どうみても全然機嫌が直ってない。最初の笑顔の挨拶は絶対わざとだ。少なくとも栗原さんが俺と仲直りして朝の会話を楽しもうという気が全く無いのだけは間違いない。このところ似たような仕打ちを毎朝受けてるような気がするぞ。
「桐坂君。一体、遥に何をしちゃったのさ? 今週ずっとあの調子じゃん」
栗原さんの挨拶を見て俺の方に振り向いた佐々木さんが俺に尋ねる。挨拶もすっ飛ばして、栗原さんのそっけない態度に不思議顔だ。
「俺は大して何もしてないはずなんだけど……」
俺の応えは間違ってないよな。色々やらかしてくれたのは、俺というより専ら俺の困った女王さまの田伏里香の方だから。まあ、究極の二者択一の状況で女王さまの用事の方を採ってしまった時点で、栗原さんの好感度フラグをぼきっと折ってしまったことになってるのは間違いないから、どの道救いにはなりはしない。
「いいや、この顔は心当たりがある顔だぞ。早く吐いてしまえば、私が二人の関係の修復に乗り出してあげても良いんだよ」
げんなりしている俺の表情を見て佐々木さんが救いの手を差し伸べてくる。言葉だけ聴いてると有難い提案に思えるけど、楽しげな口調と顔つきを見れば実際には単に面白がっているようにしか思えないな。
今、必要なのは何かきっかけとなる仲直りイベントに違いない。
考えては見るものの、とりあえず何の手段も思いつかない。どうやら今日も駄目な日らしい。
と思っていたのだが、救いの手というか火に注ぐ油というべきなのか判別がつかないが、とりあえず何かがやってきた。
昼休み。前の席の佐々木さんが女子バスケ部の友達に連れられていなくなったせいで、俺は落ち着いた昼食後の一時を過ごしていた。が、それも胸元の携帯が鳴り出すまでだ。
「はい、桐坂です」
『やっほー。巧君、里香だよ』
着信音で気付いたとおり田伏里香からの通話連絡。近頃、会話の始まりは殆どこんな感じの気がする。電話口の声は相変わらず元気一杯だ。
「今日はどうしたんです。メールじゃなくて、通話って何か急用ですか?」
この昼間の時間帯。つかまるかどうかも判らないのに直接かけて来たのは何故だろう? とりあえず里香が話しかけてきたのはメールでも済ませられそうな週末の撮影への再度の付き添いの要望だった。断ることもないので了解して話を合わせているうちに、どうやら今日の本命らしい話題が里香の口から告げられる。
『巧君って、この間の遥ちゃんと同級生って言ってたよね。その辺にいたりしない?』
「もしかして俺じゃなくて栗原さんに用事ですか?」
栗原さんが俺から少し離れた席にいることを確認しながら小声で応える。
『うん、実はそうなの。いるなら呼んでくれない? 用件は、えーとね。このあいだはゴメンねでどうかな?』
どうかな?って、それは単に話をしてみたい……こと以上には聞こえないんですけど。まあ、ご指名だし俺も栗原さんに話しかけるきっかけが欲しいところだったので良しとしますけど……
「あ、あの栗原さん……」
「何かご用事でしょうか? 桐坂君」
栗原さんの席の横に立って栗原さんが俺の存在に気付いたのを確認してから声をかける。
うーん、相変わらず言葉が固いぞ。言い難いな。
「あの、電話を代わって欲しいって言われたんだけど」
「私に? 誰から?」
携帯端末を見せながら、栗原さんに用件を言う。予想外だったのか、余所余所しい顔つきも少し解けている感じだ。
「傍若無人なあの人から。『このあいだはゴメンね』って言ってるけど……」
「……」
俺の言葉に誰からの電話か判った栗原さんは、台所で黒光りするあれを見つけたときのような顔になる。それでも、ごめんと言ってる相手を邪険にするのも……といった葛藤の表情を少しした後で、大人しく俺から携帯端末を受け取った。
『じゃあ、里香は遥ちゃんと女の子同士の話があるから、巧君は離れて、離れて!』
女王さまの命令により、栗原さんは教室の隅に移動し俺はすごすごと席に戻って遠くから様子を観察する。離れてとは言われていても、ほら、どうしても気になるじゃないですか。
「……記念にですか……でも、そんな急に……困ります……それは、桐坂君じゃなくても……見た目が格好良い人なら、他にいくらでも……冴えない感じがですか?……どうしても?……」
二人で一体何を話してるのかは知らないけれど、険悪な雰囲気は感じられない会話の様子が切れ切れに耳に届いてくる。栗原さんの言葉から判断すると、どうも耳をダンボにして聞いていても嬉しい内容では無いみたいだ。俺、泣いても良いかな。
「はい、桐坂君。これ」
結局、栗原さんが携帯を俺に渡しに来たのは、かなりの時間が経った後だった。
「何か失礼なこと言われなかった?」
「今日はそういう話じゃなかったの」
女王さまが今日もまた何かやらかさなかったか?と思って栗原さんに聞いてみたが、返ってきたのは否定の言葉。なんだか、栗原さんは困惑顔だ。
「じゃあ、一体?」
「『聞きたければ私に直接聞くが良い。絶対教えてあげないけど』って言ってたわ」
なんだか面倒ごとの予感がするけど聞き出すのは不可能そうだ。そもそも栗原さんがご指名という時点で全然検討もつかないよな。せめて大したことで無いと良いんだけど……
「桐坂君、あの人の相手するのって大変なんじゃない?」
席に戻ろうとする栗原さんが去り際に俺に言葉をかける。
ええ、実はとっても大変なんです。数分の電話をしただけでめっきり疲れ切った様子の栗原さんを眺めながら、しみじみと俺は心の中で同意したのだった。
「なんて陰気臭いところなんだ……」
思わずぼやきが入ってしまう。少し改善は見せつつあるものの、相変わらず好調とは言い難い気分のまま帰宅した俺に追い討ちをかけるかのように、今日の討伐イベントはゾンビ退治だ。ゾンビが出てくる場所といえばということで、どんより曇った空、風がふきすさぶじめじめした荒地に立ち枯れた木々、朽ち果てた墓標が並ぶこの地は古戦場跡という設定らしい。
ゴッサムに率いられて今日の戦いの場に辿りついた俺たちの目の前では、次々と数限りなく土の中から怪しげな咆哮を上げながらゾンビが出現を続けていた。
『今回のモンスター討伐はゾンビ退治です。前回と異なり、今回のゾンビ討伐のノルマは5匹になりますので、ご注意ください』
3Dの真骨頂というべきか、リアルに腐り落ちつつある質感を漂わせながらゾンビがゆらゆらと近づいてくる。HMDの表示されるノルマのメッセージは恐らく今日のゾンビがまたかなりの強敵であることを匂わせている。
「ハートランド王国は当然ながら隅から隅まで今生きている俺たち人間様のものだ。死んでなお居場所を見つけられずにいる半端なゾンビどもなど、残らず地獄へ送り返してやれ。全員、突撃だ!」
ゴッサムだけは相も変わらず元気一杯だ。怒号を響かせて戦闘の開始を宣言すると、いつものようにゾンビの群れの中に飛び込んで無造作にゾンビを殲滅し始める。当然ながら全く何の参考にもなりはしない。
今日の武器としては、いつもの剣に追加されて弓も使用可能になっていたけれど、残念、これは単なる罠のようだ。遠距離から狙撃できるならそれに越したことは無いと思って、秘密兵器『たっぷりかけて君ハンガー』で急所らしきところを何箇所か射抜いてみたがゾンビの動きは止まらなかった。どうやら威力が不足しているらしい。
俺は弓を諦めると剣を抜き放ち、いつものように部隊の一番人数が多い部分の後ろについて兵士たちの戦いぶりを確認した。
予想どおりの展開だ。俺の目の前で弓を武器として選んだ兵士が一人、致命傷を与えられないままゾンビに近づかれて首筋に噛み付かれている。かと思えば、剣を選んだまた別の兵士が一人、ゾンビの右腕を切り飛ばしたと思った次の瞬間、左手が残ったゾンビに俊敏な動きでしがみ付かれて絶叫している。見ていると気分が悪くなってくるような地獄の戦場の風景だ。
だが、一応方針は決まった。元来、鈍重な動きをしているゾンビだが中途半端なダメージを受けると、突如動きが鋭くなり攻撃力が増すらしい。逆に身体をばっさりやられたゾンビはどうやらそのまま消滅している。つまり最初の一撃で必ず致命傷を与えさえすれば、自分が受ける危険は大したことはないまま戦いを終えられるという結論になるはずだ。
俺は以前のゴブリン戦のことを思い出しながら、敵のゾンビが密集している中央部から少し離れた場所に移動してはぐれゾンビに攻撃を仕掛ける。気持ち悪さを堪えて充分ひきつけてから大上段に振りかぶった剣の一撃で両断する。崩れ落ちたゾンビはそのままポリゴン片となって消滅した。よし、なんとかなりそうだ。
はぐれたゾンビを見つけたら近づいて倒し、またすぐさま味方の後方に戻るという安全策を繰り返し、俺は無事ノルマを達成した。最後の一匹はゾンビからも味方からも距離のある場所にいたので、部隊からはかなり離れてしまったがまあ後は戻るだけだ。俺は剣を下ろして大きく息を吐いたのだった。
と、次の瞬間、両手に突然に特大級の衝撃が走り視界が反転した。
HMDには最大レベルの警告音とともに、赤字の緊急メッセージが大きく浮かび上がる。
『フレンドリーファイア(味方誤射)が発生しました。 後背部ダメージ判定に基づき、キャラクターの行動能力が制限されます』
なん…だと……
突然のシステムメッセージに俺は極度の混乱状態に陥った。
焦って身体を動かそうとしたが、身体の形状を模したHMDのダメージ判定表示は全身が真っ赤に染まっており、立ち上がるどころか腕一本動かすことは出来ない。先ほどから、目の前にある雑草と地面が微妙に揺れて表示されているだけだ。
何故こんな馬鹿げたことが起きるんだ……と自分の身に降りかかった不幸を嘆く気持ちが湧き上がる。が、すぐさま偶然だけではない可能性にも考えが及ぶ。俺には狙われるだけの理由が充分あったのだった。いろいろあって近頃忘れていたが『阿倍留寛被害者の会』の刺客の可能性も充分ある。
何にせよこの状況は完全に不味い。目に見えるほどの速度で、俺の生命力を表すHPのバーが短くなり始めていた。これでは、俺に残された時間的な猶予は殆ど無いように見え……
『ペアの女性パートナーから回復を願う祈りが届いています。ダメージの進行は3割に低減されます』
次の瞬間、俺のHPの減り方ががくっと下がる。どうやら優美が俺の戦闘を見ていてくれたらしい。そういえば、戦闘中にペアが手袋を組んでお祈りのポーズを取ると、戦闘中の怪我を回復させる効果があるとヘルプに記載があったような気がする。今まで一度もお世話になったことがないせいで気付かなかったな。でも、これほどの重傷判定だとダメージの進行を遅らせるのが精一杯のようだ。状況が殆ど詰んでいることに変わりはない。
マップ表示されるレーダーの中の敵位置表示がゆっくりではあるが幾つも俺に近づいてくるのを見ながら、俺は到底見つかりそうにも無い事態の打開策を必死に考え続けたのだった。
駄目だ。何も思いつかない。こんなことで俺は今までの苦労を全部失ってしまうのか……せっかく討伐イベントも残り一つで騎士見習いになれそうなのに。また最初からやり直しなんてことになったら、いつか騎士になる姿を見せてやるっていった優美との約束は一体どうなってしまうんだ?
気付いたときには、もう周囲は輝点で一杯だった。単にこれまでゾンビの進行方向上に俺が倒れていなかっただけで、そのうちどれか一匹とでも衝突判定がなされた途端に、俺の運命は終わりを迎えることになるはずだ。
発狂しそうな気分で時間が過ぎ去るのを待ち続けたが、無情なことに俺の意識はとうとうマップ中心に向かって動いてくる一匹のゾンビを見つけてしまった。駄目だ、どう見ても直撃する。
だが、万事窮すかと思われたそのときに変化は起こった。マップの輝点が突如次々と消滅しだしたのだった。俺が呆然としている瞬く間のうちに周囲には一つの敵表示もなくなり再度の静寂が訪れた。
その後にも待つことしばし。無限とも思えるようなゆっくりとした時間の流れの中で一縷の希望にすがり付いて待ち続けていた俺に、ようやく待ち続けていた時が訪れる。
『今回のゾンビ討伐イベントは終了しました』
HMDの表示とともに障害部位の赤い表示が消滅する。同時にHPのバーが急速に全回復して俺の状態異常は解除された。
助かったのか……
先ほどまで何をしようがまともに指一本動かせなかったのが嘘のように軽々と体を起こすことが可能になっていた。俺は立ちあがり身体の各部を動かすことで自分の無事をようやく実感することができた。張り詰めていた気が抜けたことで、眩暈のような立ちくらみをリアルに感じた。
結局、何だったんだ? と思いながら俺が周りを見渡していると今日も俺と一緒に戦闘に参加していたらしい大男、ヘラクレスが目に入った。あちらも気付いたのか俺に片手を上げて挨拶してくる。
「よう、阿倍留。今日は危なかったな」
おいおい、見てたのかよ……とは思ったが、ゾンビにうじゃうじゃ囲まれている中に一人で助けに来てくれというのは確かに無理だ。
「誰かが撃った流れ矢が背中に当たったんだよ。ついてない。こんな迷惑なことした奴誰なんだよ。わからないかな?」
「最初の方で矢を使ってた奴は結構いたからな。俺も阿倍留が倒れてるのに気付いたのは、かなりの後になってからだから何とも言えんな」
代わりに、意図的なのかそれとも本当に偶然なのかは分からないが俺を撃った人間を知らないか一縷の望みをかけて聞いてみる。だが、返ってきたのは見事に情報量ゼロの答えだった。
「そうか。あと、俺もう少しでやられそうになってたはずなんだけど、なんで助かったんだ?」
「ああ、最後の方だろ。あれだよ、あれ」
それならということで逆に俺を助けてくれた人間を確認してみようとすると、あれ呼ばわりでヘラクレスが指差したのはなんとゴッサムだった。
近場の敵を倒し終わったということで、残りの敵を片付けるためにゴッサムが乱入してきて、俺の周りにいる奴らを棍棒で根こそぎぶっ飛ばしていったらしい。ゴッサム、なんて素敵な奴なんだ。
「部隊長、助けて頂いてありがとうございました!」
何はともあれ助けて貰ったことに変わりはない。敵を掃討するアルゴリズムに感謝するのも変な気がするが、まあものはついでということでゴッサムの前に立ってお礼を言ってみる。
「ふん、悪運の強い奴だ。地面にひっくり返って死にかけていたお前を仕留めることも出来なかった、ゾンビの奴らののろまさ加減に感謝するんだな!」
おお、そっぽを向いてはいるが予想もしなかったまともな返事が返ってきたぞ。言ってる言葉もなんかすごい。
実は、ゴッサムってツンデレなのか? そして、もしかして俺との間になんかフラグ立った?
などと馬鹿なことを考えていたが、実は今日はまだ最後にもう一幕残っていた。
「ゾンビは全滅した。のろまなゾンビ如きに殺られた馬鹿もいたようだが、そいつらのことはどうでも良い。問題なのは、同じ部隊の兵士仲間を後ろから意図的に撃つような性根の腐った奴がこの隊にいたことだ!」
いつもの戦い後の訓示かと思いきや、ゴッサムの言葉は味方誤射をした奴への糾弾だった。それも驚いたことに誤射ではなく、意図的な行為だと断言したぞ。一体どうなってるんだ?
「スヴォーロフ、貴様、覚悟は良いだろうな」
「ま、待ってくれ。あれは単なる事故なんだ。僕はそんなつもりじゃ……」
突然名指しされたロシアの不敗の名将の名前を持ったイケメンのアバターが、ゴッサムの前で見苦しく取り乱す。そうか、こいつが俺を撃った奴かなのか。窮地に陥らされたことの怒りが段々こみ上げてきたぞ。スヴォーロフを改めてじっくり眺めて見るが、やはりどうにも見覚えがないしアバター名も記憶にない。声だけは、何故かどこかで聞いたような気もするな。もしかして前の決闘騒ぎの時のやじ馬の一人か?
「馬鹿が、偶然の事故かどうかぐらいわからんと思ったか。諦めて大人しく裁きを受けろ」
「違う。違うんだ……」
俺が考え込んでいるうちにも事態は進む。釈明の言葉も虚しくシステム的に身体を拘束されたスヴォーロフは、逃げることも出来ずにゴッサムの丸太のような腕の一振りで大空に高く舞い上がった。
後は、いつか見たような光景が繰り返され、俺を狙ったに違いない『阿倍留寛被害者の会』の兄ちゃんは最期の時を……
「糞、何で僕がこんな目に会うんだ! 悪いのは僕じゃない! 絶対に、絶対に許さないぞ、桐さ…か……」
おい、スヴォーロフ。ポリゴン片になる直前に、お前、一体何危険なことを口走ってるんだ?
俺のリアルの名前を知ってて許さないって言いそうな人間って、まさかスヴォーロフの中の人の正体は……
突然の想定を超えた展開に、俺は呆然としたままスヴォーロフの消滅した後の何も無い地面を見つめ続けたのだった。




