第十六話 妹、梅雨時は兄に構ってもらえない
六月も中盤に入り、関東地方も梅雨の季節だ。優美の作った、てるてる坊主の願いも虚しく、今週は毎日雨が降り続いているせいで、自転車の送り迎えはとりあえず中止になっている。こんなときには、せっかくの電車通学の利点を活かして、駅前で少し羽を伸ばしてから帰るのが俺の日常風景だ。
「君くらい可愛ければ、モデルから人気が出てアイドルへなんてことも全然可笑しくないんだから」
「私、特に芸能界とかに興味ないんですけど」
大き目の本屋で新刊雑誌をチェックしてから通りに出た俺の耳に入ってきたのは、どこかで聞いたことのあるような会話だった。
なんか、嫌な予感がしないか?
思わず目を向けた俺は、声をかけられていた女の子とばっちり目を合わせてしまった。あれ、佐々木さんじゃないですか?
声をかけている方はこれまた予想のとおり、『ワンダープロモーション』の田中さんだ。今日はうちの学校があるこの駅でスカウト中か。確かに仕事熱心だなあ。
話を拗らせるような気がしてならない俺は、佐々木さんにとりあえず片手を上げて挨拶をして、そのままその場を離れることに……
「こら、桐坂。そのまま通り過ぎようとはどういうこと?」
「や、やあ佐々木さん。偶然だね」
出来ませんよね、これがまた。佐々木さん、呼び捨てとは剛毅だね。 ああ、どうしたら良いんだ。とりあえず、緊急離脱に失敗した俺は、佐々木さんのところに移動して挨拶だ。一応、目が会った田中さんにも頭を下げといたぞ。
「おいおい、またお前かよ。勘弁してくれよな」
そんなゴキブリでも見つけたかのような顔しなくても良いのに。
佐々木さんは佐々木さんで、スカウトのおっちゃんと俺が知り合いのことにびっくりしてる。以前、栗原さんから話を聞いたのを忘れてるっぽいな。
「いやいや、今日は正義の味方ですから大丈夫ですよ」
検討すること1分。一応、天下のアイドルさまにも頼まれてることだし、ここは田中さんの味方をしておきますか。
「佐々木さん、この人一応ちゃんと『ワンダープロモーション』のスカウトの田中さんって人だから大丈夫だよ。娘さんが生まれたばかりで仕事に燃えてるらしいから、少しくらい話を聞いてあげても良いんじゃない?」
俺の思わぬ援護射撃に田中さんがびっくりした顔してるぞ。
「こら、お前。なんでそんなこと知ってるんだ」
「知り合いに事務所に所属しているお姉さんがいまして、その人に聞いたんですよ。ちゃんと応援してあげてねって言われたから、この間のお詫びも兼ねて、こうやって味方してるんじゃないですか」
やれやれという感じで俺も応える。そんなこんなで、とりあえず駅前のファミレスよりは一段豪華なお店に移動だ。佐々木さんに首を掴まれて俺もついでに一緒してるのは、どうしてだろう。
俺は関係ないのにと思いつつ、田中さんが話す事務所に登録するとどんな楽しい話があるかを、コーヒーを飲みつつ佐々木さんと二人で聞くことしばし。可愛い着信音がして俺の携帯端末が点滅しだした。電話をかけてきたのは……げ、こんなときに限って田伏里香だ。
「出ないの?」
佐々木さんが、不思議そうな顔をして言う。田中さんは当然知らん顔でコーヒー飲んでるし。まあ、良いか。俺は覚悟を決めて通話ボタンを押した。
「はい、桐坂です」
『やっほー。巧君、里香だよ』
「いつもお世話になっております」
『やーね、何その変な挨拶』
「今ちょっと、他の人と一緒でして。とりあえず、今日は何か御用ですか?」
変な挨拶って、俺が頑張って他の人に知られないように応対してるんだから、合わせて下さい。お願いします。そもそも、そっちから連絡してくるのは、何かしてくれというときだけでしょうが……
そう、実は前回の突然の『ホーム』訪問事件以来、田伏里香から俺にたまに連絡が来たりするのだ。勿論、100%仕事関係とかのちょっとした相談事だ。里香が判断して一人で何とかしようと決めたときにアイデアが思いつかないと、俺に電話がかかってくる仕組みになっている。今日は一体何なんだ?
「一緒に仕事してた子がセットから落ちて怪我で病院へ。それは大変でしたね」
『そうなの。それでその子の治療が必要でチームの子と一緒にクルマで送られて行っちゃって。時間が押してるんだけど、今、仕事がストップしちゃってるの』
「都内なんですよね。そんなの、事務所に連絡すればお仕事待ちの女の子なんて、いくらでも待機してるんじゃないですか? その子たちが帰ってくるのを待つよりよほど早いと思いますよ」
『そうかも。発想の転換だね、巧君。里香、事務所に連絡してみるよ。ありがと、またね!』
ふう、相変わらずいつものように言いたいこと言って直ぐ切る嵐のような電話だった。まあ、個人名も固有名詞も出してないし、無事に連絡が済んで良かったよな。俺は人心地ついてコーヒーに手を伸ばした途端……今度は田中さんの携帯が鳴りだしたぞ。
「おお、里香ちゃん。どうしたの?」
俺はコーヒーを噴き出しそうになった。
「なに、アリサたちがセットから落ちたから急遽代わりをやれる子がいないかって? ちょっと待って。俺、今は事務所にいないけど直ぐ連絡つけるから」
そう言って田中さんは携帯を耳に当てながら手帳をめくって何かし始める。仕事のことはこの席だと非礼だと思ったようで佐々木さんに手を上げて席を外した。俺たちは二人で留守番状態だ。
「なになに? 桐坂君にかかってきた電話の人が、今度は今のスカウトの人に電話をかけて来たってこと?」
「うん、まあそんな感じ。世の中って狭いよね」
まあ、わかるよなあ。大丈夫、落ち着け俺。まだ慌てるような状態じゃない。佐々木さんは里香という名前に気づいてない。
「おい、なんでお前が田伏里香から電話で相談を受けてんだ」
戻って来るなり言った田中さんの言葉に、俺は頭をテーブルに打ち付けた。何やってるんだよ、おじさん。台無しじゃないか……
「えー、今の電話田伏里香だったの。すごいじゃん!」
「田中さん。アホですね?」
「いや、俺も予想外の事態に驚いたんだよ」
俺がジトリとした目で見ると、田中さんは少しひるんだ様子で応えた。
「なになに。桐坂君、田伏里香から電話がかかって来るような知り合いなの? どうして、どんな関係なの?」
「ほら、こうなるに決まってるじゃないですか」
佐々木さんの元気一杯の質問に、俺は心底がっくりだ。一から話すのもなんだし、これはごまかす他ないよな。
「とりあえず、口止め目的にこの子を買収しましょう」
「そうだな。お嬢ちゃん、せっかくだから夕飯も食べていかないか? 俺は様子を見にいかなきゃ行けないけど、こいつを付き合わせれば良いだろ? 何でも奢るぜ」
「うーん、なんか納得いかないけど、ご飯がただなのは素敵だよね!」
アイコンタクトで即座に意見は一致。阿吽の呼吸というやつだ。佐々木さんは数秒唸ったあとで、ゴシップ的な興味より食欲を優先することにしたのか、元気に了解の言葉を返したのだった。
さすがに佐々木さんを置いてくわけにもいかないし、話が続かないと不味いので俺も同席だ。優美に今日の夕飯はいらないとメールしたら、下準備を始めていたらしく、怒りの返事が即座に返ってきたのは言うまでもない。
こうして注文を頼んだ後、伝票を掴んで田中さんはいなくなり、店で食える中で一番高そうなセットで佐々木さんと二人で夕食などという、予想外の事態のご相伴を預かった俺だった。とりあえず佐々木さんはいくらでも喋ってくれるので、女子バスケ部の日常には詳しくなった気がする。
ちなみに俺が次の日学校に行くと、俺と佐々木さんが二人で密会デートをしていたという噂がまことしやかに流れていた。どうやら俺たちが窓際の席に座ってたせいで通りすがりに見て気づいたクラスメートがいたらしい。席に寄ってきた栗原さんに、真偽を聞かれた佐々木さんは、余裕で嘘の答弁だ。
「だって桐坂君が、どうしても私と夕ご飯食べたいって言うんだもん。全部、奢りで一回付き合ってあげちゃったよ。そうだ、私今度はピザが良いな。遥も一緒に行こうよ。桐坂君、きっと奢ってくれるよ!」
「……前向きに検討しておくよ」
訝しげな顔をしている栗原さんの横で、にこやかに笑いながら佐々木さんが言う。前回ので終わりじゃなかったのか?
「だって、昨日の分は桐坂君自身の財布からは出てないじゃない? 桐坂君も男らしい所をちゃんと見せないと」
俺の耳元で佐々木さんが囁く。いや、確かにそうなんだけど。佐々木さんは、田中さんだけじゃなく、俺からもきっちり口止め料を取る予定だということが良くわかったぞ。あと、クラスメートに誤解を招きそうな仕草は控えてくれ。
「どうやら、千夏と桐坂君がとても仲良くなったのは間違いないようね。千夏、今度ちゃんと聞かせて貰うから覚悟してね」
ち、違うんだ、栗原さん。これは単に不幸な出来事が偶然重なっただけという奴なんだ……という俺の心の叫びは、美しい黒髪を靡かせて席に戻っていく栗原さんに届くはずもないのだった。
「兵隊さん、俺たちの村を助けてくれ。やって来る化け物の数が多すぎて空が青く見えない。黒が7分で青が3分だ! いいか、黒が7分で青が3分だ!」
正規兵としてのモンスター退治も早くも3回目。
俺たちが今いる場所はハートランド王国北端にある砦の一つだ。俺たちゴッサムに率いられた新兵たちは、城壁の上に登って遠くから迫り来る化け物インプの群れを待ち構えている。
げげ、村人NPCの言うとおり空がインプの色で黒く変色して本当に気色悪いぞ。この間ゴブリンのときよりも圧倒的に数が多い。もはや数千のレベルに達してそうな気がするぞ。
『今回のモンスター討伐はインプ退治です。前回と異なり、今回のインプ討伐のノルマは20匹になりますので、ご注意ください』
HMDに表示される討伐ノルマも数が多い。
前回のスライム討伐のトラブルもあって、俺の周りに積極的に近づいて来ようという奴はいない。だが、今日に限っては好都合だ。ゆっくりと空を飛んで迫ってくるインプの群れの中から俺の正面近くにいる奴を選んで慎重に狙いをつける。あとは、右手で強くハンガーを掴んでさえいれば、目標がぶれることなどありはしない。
俺は弓技の練習で行ったときと同じく右手を固定して左手を引いて離す動作を黙々と繰り返した。インプの群れが城壁に近づき、その醜い顔が見えるようになるころには、成果として俺は余裕で30匹以上を射落としていた。
「ようやく来たか化け物ども。俺が剣の錆にしてくれるわ!」
化け物襲来で俄然元気になったゴッサムの言葉を聞きながら、俺は全員に背を向け一人で安全地帯である砦内側の階下へと避難した。ノルマを果たしたなら、あとはもう不必要なリスクを採る必要もない。ゴッサムの周囲はインプで溢れかえっているが、まあこれはいつものことだ。気にするだけ無駄に決まってる。
「お、おいやめろ。なんだ。魔法攻撃を受けたら勝手に身体が……」
問題なのは新兵の方だ。インプが城壁直上に取り付いた時点で見る間に戦況は悪化した。次々と兵士がインプからの攻撃を受け出す。俺が見ている先で、また一人インプの魔法弾を食らった奴が出た。身体がぐらりと傾いたと思ったら、そのまま城壁から転がり落ちて俺の視界から消えていった。今の感じだと即死判定は免れないだろうな。せめて城壁の奥側で戦ってれば、まだ死ななかったかもしれないのに。不運だったな。
「よせ、来るな、来るなってば」
もう兵士の殆どが弓でインプを落とすなどという悠長なことは出来ずに、襲い来るインプ相手に闇雲に剣を振り回している。ちょっとした地獄絵図みたいな戦場が数分間続いた後、部隊全体の掃討数が設定を上回ったのか、インプの群れは引き上げていった。
「インプどもは退却した。インプごときに殺られるゴミもいなくなった。戦いもしない臆病者も一応いなかった。よし、引き上げだ」
参加74名中死亡者8名。今回は全滅させられないほどの数のインプが襲来していたせいで、戦い続けた兵士でノルマ未達成のやつはいなかったようだ。代わりにインプの魔法弾を食らって城壁から落ちた奴、倒れた所に再度の近接攻撃を受けた奴などにかなりの死者が発生していた。まったく手を変え品を変えこのゲームは俺たちを嵌めに来るよな。
死者が結構出たせいで、今日も部隊の雰囲気が悪い。そのうち何かまた変な事件が起こりそうな気がしてならないぞ。




