第十一話 妹、新たなライバルの出現を見過ごす
「やっぱり、無いや」
『無いって?』
優美の呟きに、何気なく返答してしまったのは失敗だったかもしれない。
「本物のお店屋さんへのリンク」
『ああ、判った』
今いる場所は、『ハートランド・ミッドタウン』のとある靴屋。赤いパンプスを手にとって、靴では無く靴が置いてあった場所をきょろきょろと眺める優美は、実際の商品へのリンクを探していたらしい。
「今週出た雑誌で、里香ちゃんが和治くんとよくお買い物行くって出てたから……」
『母さんのカードで登録してる俺たちじゃ無理だぞ』
仮想世界コンテンツの大きな目的の一つに、仮想商店街でのユーザーのショッピングが挙げられることは、まあ当然のことだ。この「ペアで生活オンライン」でも、元々ペアの男性プレイヤーを財布代わりに登録させている女性が多いらしい。ユーザー一人当たりの仮想商店街の売り上げが、ぶっちぎりで歴代コンテンツ一位の記録を更新し続けているらしいのは製作者の慧眼というやつだろう。
「ええっ、そうなの?」
『自分名義のクレジットカード登録がしてあるか、すぐ傍にいるペアが自分名義のクレジットカード登録してある場合だけ、実際の商品のへのリンクがここに表示されるらしい』
靴が立てかけてあった三角形の白い台座を叩きながら、俺は優美に説明する。ああ、入力が面倒くさい。
「優美とお兄ちゃんじゃお買い物できないの?」
『そういうこと。俺たちみたいな子供だけで無制限に買い物可能なんてことにしたら、翌月にはサービスセンターに苦情殺到間違いなしだな』
「えー。優美つまんないよ」
『普通は、ゲーム始めたらみんなすぐ気付くことなんだろうけどな』
律儀に落ち込んでいる優美のアバターを横目に見ながら、俺は続けた。
「仕方ないや。じゃあ、週末に優美とお兄ちゃんでお買い物行こうよ」
『嫌だ。面倒くさい』
「行こうよ」
『駄目』
ああ、なんだか話が面倒な方に行ってるぞ。
「この間、お買い物行こうって言ったもん」
『考えとくって言っただけじゃないか?』
よし、この方向でなんとか乗り切って……
「優美、知ってるもん」
『何が?』
「連休の最終日に出かけたとき、お兄ちゃんがお母さんから『軍資金』とか言って、お小遣いもらってたの」
『げ、優美あれ見てたのか?』
げげ、なんか変なところから過去の俺の悪事が明らかにされていく。
「……諭吉さんだった」
『……』
「確か映画とか行くつもりって、お母さんには言ってたのに」
『……』
「優美、コンビニでシュークリームしか買ってもらってないもん!」
「ああ、判った。判った!」
適当にごまかすのは無理そうだ。仮想キーボードでの入力を断念して、HMDからインカムを引き出して、俺は普通に言葉を返した。
「じゃあ、今週の土曜日に優美と俺とで新宿に出て、前から見たいって言ってた映画見て、食事して、その後、優美の靴と服を見に行くことにする。それで良いよな」
ああ、貴重な週末の一日が……
「判った。優美、それなら良いよ」
「じゃあ、もう時間だし切るぞ」
「うん。お兄ちゃん、またね」
ふう。もう五分もすれば、昼の休憩も終わりだぞ。
優美の相手をしてたせいで、今日も昼休みが丸つぶれだ。学校でまで「ペアで生活オンライン」の相手をしないといけないのは、明らかに問題だな。保健室からやってるって言ってたけど、優美なんだか良い身分だぞ。四月の休み騒ぎで心配してる先生とか相手に、わがまま言って特別待遇とは困ったもんだ。
やれやれ、と思いながらHMDを外して背伸びをすると、目の前に座っているショートヘアの女の子、確か佐々木さんだったよな、が振り返って俺をまじまじと見ているのが目に入った。
「えっと、佐々木さん。どうしたの?」
席は前後になってるけど、プリント配られたりしてただけで佐々木さんとは、殆どまともに喋ったことも無いような気がするんだけど、一体今日はどうしたんだ。
「わたし、桐坂君ってものすごいゲームおたくだとばっかり思ってた」
口を開いた佐々木さんの最初の一言がこれというのも、なんだかなという気がするな。
「あの、話が見えないんだけど……」
とりあえず、言われたからには何か返事しないといけないんだけど、佐々木さん、何が言いたいんだ。
「今、呼んでたの女の子の名前だよね。それで、週末のデートの約束してるんだもん。てっきり、桐坂君は休み時間中いつでも一人でゲームしてると思ってたから、実は女の子と通信してたなんてびっくりしちゃったよ」
そっか、最後の方で仮想キーボードが面倒になって声で喋っちゃったから、内容が丸聞こえだったんだ。いつもは気をつけてたんだけど、失敗したな。
「えっとね、それは……」
「ゆーみちゃん、だっけ。桐坂君の彼女なの?」
興味しんしんという感じで佐々木さんが俺に詰め寄る。バスケット部で部活一筋の運動少女という印象だったけど、やっぱりこういう話は好きなんだな。期待されてるところで、単に妹の相手というのは答えにくいぞ……
「違うわよ千夏。優美ちゃんは、桐坂君のかわいい妹さんなのよ」
その時、俺と佐々木さんの会話に新しい女の子が割り込んできた。声のした方に顔を向けた俺の目に入ってきたのは、今のクラスで副委員長をしている栗原遥さんの姿だった。
長いストレートの黒髪で上品そうな顔立ちに意志の強そうな瞳を持った、いかにもお嬢様タイプの女の子だ。出身中学が俺と同じで、俺と一緒で一つ年下の妹がいる、二人姉妹だったような気がする。何故、俺が下の名前まで明記しているかというと、まあ、有体に言えばそういうことだ。察して欲しい。何故、優美のことを知っているかというと、恐らく同学年のはずの栗原さんの妹経由なんだろうな。ちなみに佐々木さんの下の名前が千夏だというのは、俺が今知った新たな事実だ。
「かわいいかどうかは別にして、優美は妹だよ。残念ながら」
「なんだ~。真面目そうな顔して実はプレイボーイとかいう展開を期待したのに」
佐々木さんが、当てが外れたという感じで応えを返してきた。
栗原さんは、何か少し言いたそうな顔してるな。
「それで、桐坂君は妹さんと何をやってるの? HMD被って妹さんの相手って、もしかして『ペアで生活オンライン』?」
一息ついて、栗原さんが俺に聞いてきたのは、ちょっと予想外の質問。何故か直球ど真ん中という奴だ。
「なんで、判った?」
「私もしてるのよ。お兄ちゃんと」
HMD被ってゲームしてるというだけでは、普通に思いつかないだろうに……と思ったら、こちらもまた予想外の応え。あれ、でもなんかおかしくないか?
「栗原さんには、兄貴なんていないだろ?」
不思議そうに聞いた俺に、栗原さんは一瞬きょとんとすると何故か嬉しそうに顔を綻ばせた。
「へえ、桐坂君は私の家族構成知ってたんだ。うんうん、同じ中学出身で前はクラスが一緒だったこともあるのに、今年クラスが一緒になっても殆ど話してくれないから、私なんかには全然興味ないのかなって思ってた」
いや、それは無いだろ。単に現時点で出身中学が同じ単なるクラスメートな存在に過ぎないから、アピールする機会が無かっただけなんだが。俺的にはいつでもどんと来いだぞ。
これが口に出てれば、もう少しは栗原さんと親しくなれるんだろうけど、なかなかそうもいかないよな。
「単に、俺が忙しかっただけじゃないの?」
「そう、桐坂君いつでも忙しそうだよね。放課後になるとすぐいなくなっちゃうし」
佐々木さんが都合よく合いの手を入れてくれる。なんて良い子なんだ。
「三つ上の従兄弟なの。誘ってくれるのは嬉しいんだけど、ログインする度に、何か買ってあげるよと言われちゃって、逆に困っちゃうかな」
「まあ、ただより高い物は無いって言うしな」
ペアの相手は従兄弟なのか。大学生は学生証でカード作れるし俺らより一段大人だよな、悔しいけど。そのカードを使ってゲーム内でプレゼントか。むむ、やるな。
「そうなのよね。桐坂君のところみたいに本当の兄妹なら何の気兼ねもいらないんだけど、微妙に難しいところだわ」
綺麗な眉間に皺を寄せて、栗原さんがぼやく。まあ、その従兄弟の気持ちもわからくも無いんだがな、同じ男としては。だが、ここは敵に塩を送る必要もないだろう。
「なんにせよ、奢られてばかりというのは止めといた方が無難だと思うな」
「うん、私も今度そう言ってみるわ」
よし、ミッションが一個成功したぞ。
「ねえ、遥。2人で判らない話になってて、私置いてけぼりなんだけど……」
「ごめんね、千夏。これはちょっと大人向けのゲームの話なのよ。ね、桐坂君」
笑顔でウインクしながら桐原さんが言う。大人向けのゲームってなんか言葉が変だと思うんだが。
そうこうしている間に昼休みももう終わりで、クラスメートの連中が続々とクラスに帰ってきて周りが騒がしくなってきた。
「わたし、教科書出してこなくちゃ」
そう言うと佐々木さんは教室後方にある個人用のロッカーへ。
「さあて、私も席に戻ろうかな」
栗原さんは背伸びをして俺に向かって一声かけた。
「かわいいかどうかは別とか言って、毎日、終業するとすぐに妹さんを校門まで迎えに行っちゃってる桐坂君が言っても説得力ないよね。千夏に言わないであげたのを感謝しなさい。桐坂君のシスコン疑惑を未然に防いであげたんだから」
にっこり笑いながら、栗原さんが自分の席に戻るのを、俺は唖然としながら見送ったのだった。そりゃまあ、知っててもおかしくは無いとは思うけど、栗原さん的には、俺はシスコン確定かい。
まあ、なんにせよ栗原さんと多少の会話ができた今日は画期的だったということにしておこう。
「お兄ちゃん、今日は何だか機嫌が良いよね」
「いや、別にそんなことは無いぞ」
いつも通り、駅から少し遠回りして校門前で拾った優美を自転車の後部座席に乗せての帰り道。優美は慣れたもので両足をぷらぷらさせながら、俺の様子を伺っていたようだ。
「やっぱり、なんか怪しい。にやにやしてるもん」
「違うな。そもそも優美の勘なんて当たったのを見たことがない」
「もう……」
優美の全く怖く無い追求を、適当に乗り切る俺だった。
「そういえば、優美。あれからゲームで怖い目にとか会ってないよな?」
「うん、全然平気だよ」
ちょっと苦しいけど話題そらし。優美も普通についてきたし問題なしだ。
「そういえばね、お兄ちゃん。この間、掲示板が変わったんだ。前の怖い人たちがいた場所は独身女性プレイヤー板になって、新しく家族プレイヤー板っていうのが出来たの。優美はもうそこにしか行かないから大丈夫だよ」
ああ、優美の方にも話題があったわけね。掲示板、荒れるから住み分けになったのか。というか、運営がトラブルの防止目的で荒れた掲示板チェックしてる? なんだか、手早いよな。普通に考えれば、優美の件以外にも色々あって前から準備してたのが、実施されったっぽいな。まあ、俺たちにとっては住み分けることで、平和に暮らせるならそれが一番だよな。
「ああ、それは良かったな。優美ももう変なところに書き込むなよ」
「はーい。優美、もうしないよ」
前回の一件は、優美自身でもかなり応えたのだろう。
俺への返事は、もうこりごりの雰囲気で一杯だ。
ゲーム内での独身女性用板と家族用板への掲示板の分離。これが、コンテンツ自体の存続に関わってくる将来的な大騒動の第一歩だったとは、勿論、優美も俺もこの時点で気付くはずも無かったのだった。
<<次回、『妹、新ライバル出現をまたも見過ごす』に続く>>




