第6話 『紅蓮の戦姫』が堕ちた日
カチャ、カチャ……。 静まり返った店内に、食器の音だけが響いていた。
緊急搬送から一時間後。 カウンター席では、莉緒がどんぶり飯をかきこんでいた。 メニューは、さっき仕留めたマッド・カイザーボアを使った『特製ローストポーク丼』。 低温でじっくり火を通したピンク色の肉に、ニンニク醤油ベースのタレが絡み、卵黄がトロリと落ちる。 魔力回復効率を最優先に考えた、俺の自信作だ。
「……んぐ、ぷはぁ」
莉緒は最後の一粒まで米を綺麗に食べきると、ほう、と深く息を吐いた。 顔色はすっかり戻っている。 だが、いつものような「おかわり!」の声はなかった。 彼女は空になった丼を見つめたまま、ギュッと膝の上で拳を握りしめていた。
「……ごめんなさい」
消え入りそうな声だった。
「私、また……迷惑かけちゃった」
「気にするな。従業員の体調管理も店主の仕事だ」
俺は洗い物をしながら、努めて軽く返した。 だが、内心では冷や汗ものだった。 あんな短時間の戦闘で、ガス欠を起こすなんて異常だ。 彼女の身体は、底の抜けたバケツのように魔力を垂れ流している。 ここまで深刻な呪いとは、俺の考えが甘かった。 聞かざるを得ないな、これは。
「……聞かせてくれないか。その『呪い』のこと」
俺が茶を差し出すと、莉緒はコクリと頷いた。 そして、ポツリポツリと語り始めた。
「半年前よ。……私が、Sランクパーティー『飛竜の翼』に加入してこれからだって頃」
彼女の碧眼が、遠い過去を見るように揺れる。
「私たちは、ある未開拓ダンジョンの深層に挑んでいたわ。順調だった。私のハルバードはどんな魔物も砕いたし、私は自分が最強だと信じて疑わなかった。……あの日、足元が崩れるまでは」
「……『次元断層』か」
「ええ。予兆もなかった。気がついたら、私は一人で真っ暗な闇の中にいたの」
莉緒の声が微かに震える。 次元断層の内部、虚無の回廊。 それは、ポチ(フェンリル)ですら餓死寸前まで追い詰められた地獄だ。 そこに人間が? 考えたくもない。
「そこには何もなかった。光も、音も、時間の感覚さえも。……あるのは、どこからか湧いてくる化け物たちだけ」
彼女は自身の二の腕を抱いた。
「戦うしかなかった。でも、倒しても倒しても、出口は見つからない。食料も水も尽きた。魔力回復ポーションもなくなった。……それでも、私は生きたかった」
彼女は顔を上げ、俺を見た。 その瞳には、凄絶な光が宿っていた。
「だから、私は自分の『魂』を燃やしたの」
「魂を……?」
「ええ。本来なら人間が手を出してはいけない領域。生命力を魔力に変換する禁断の回路を、無意識にこじ開けたのよ。……そうでもしなきゃ、あの地獄では1秒だって生きられなかったから」
俺は息を呑んだ。 生存本能が生み出した、諸刃の剣。 それが彼女のスキル(呪い)の正体だったのか。 生き残るための奇跡が、最悪の呪いとは皮肉だな。
「一週間後、奇跡的に私は地上へ吐き出されたわ。でも……代償は大きかった」
莉緒は悲しげに笑った。
「私の身体は変質してしまった。常に異常な速度で魔力を消費し続ける、燃費最悪の欠陥品にね。……食事をしても、ポーションを飲んでも、焼け石に水。戦えば数分で動けなくなる」
そこから先は、語るのも辛そうだった。 かつて『紅蓮の戦姫』と持て囃されたニューフェイスの天才の転落。 魔力維持にかかる莫大なコスト。 戦闘中に倒れるリスク。
「『飛竜の翼』からは追放されたわ。『お前はもう、金食い虫の足手まといだ』って」
彼女は自嘲気味に呟く。
「当然よね。彼らは悪くない。……でも、私は諦めきれなかった。まだ戦える、まだ私は終わってないって証明したくて……借金して大量のポーションを整えて、ソロで潜って……そして、貴方に出会ったの」
莉緒は俯き、唇を噛んだ。
「カイ。私ね、怖いの。……お腹が空くのが、どうしようもなく怖いの。あの虚無の中で感じた、魂が削れていく寒さが蘇るから」
ポタ、と雫がカウンターに落ちた。 彼女は泣いていた。 気丈に振る舞っていた『戦姫』の鎧が剥がれ、そこには傷ついた一人の少女がいた。
「さっきだってMP消費を抑えようと、出来うる限り加減して戦ったの。それなのに……こんな身体じゃ、もう夢なんて……」
「――おかわり、いるか?」
俺は彼女の言葉を遮った。 フライパンを火にかけながら、ぶっきらぼうに尋ねる。
「……え?」
「まだ食えるだろ。ローストポーク、店で出す分差し引いてもあと2キロは使えるぞ」
「……カイ?」
莉緒が涙に濡れた目で俺を見る。 俺は肉を焼きながら言った。
「話は分かった。要するに、お前はアメ車ってことだろ?」
「アメ……シャ?」
「燃費は最悪だが、馬力は最強の車だ。……なら、ガソリンさえ満タンなら問題ないってことだろ」
俺は振り返り、ニヤリと笑った。
「安心しろ。俺は料理人だぞ? 客の腹を満たすのが仕事だ。お前の燃費が悪いくらいなんだ。俺が作るメシのカロリーが負けるわけねえだろ」
「……っ」
「お前がガス欠になったら、何度でも俺が給油を作ってやる。だから、お前は余計な心配せずに、そのデカいのを振り回してりゃいいんだよ」
俺は焼き上がった肉を、再び彼女の丼に追加した。 ドンッ、という重い音。
「ほら、食え。泣いてる暇があったら顎を動かせ」
「カイ……」
莉緒は大きく目を見開き、それから――くしゃりと顔を歪めた。 それは悲しみの涙ではなく、安堵と、心からの信頼が溢れた表情だった。
「……うん。……うんっ!」
彼女は涙を拭い、再び箸を取った。
「いただくわ! ……そこまで言うからには加減せずに満足するまで食べるからね!」
「おうよ。胃袋の限界まで付き合ってやる」
勢いよく肉を頬張る彼女を、足元でポチが「強いなこいつ」という目で見上げている。
こいつが食べる材料、店で出す材料、ギルドに売って借金を返すための材料、果たして狩る量と消費する量のつり合いが取れるのか、正直分からない。
とはいえ、身の上話をこちらから聞いたんだ。 何とかするさ。 俺たちの契約は、どうやらただの雇用関係よりも、少しだけ深いものになったようだ。




