第4話 プライド高き戦姫と、0円の請求書
カチャン、と軽い音がして、箸が置かれた。
「……ごちそうさまでした」
その声は、店に入ってきた時の枯れ木のような掠れ声とは別物だった。鈴が鳴るような、凛としたソプラノ。 俺は布巾の手を止め、少女の顔を見た。そこにいたのは、もはや死にかけのゾンビではなかった。
ハイオークの莫大な魔力と栄養を吸収し、肌には陶磁器のような白さと、健康的な桃色の艶が戻っている。虚ろだった碧眼には理知的な光が宿り、宝石のようにキラキラと輝いていた。乱れていたプラチナブロンドの髪も、手櫛で整えられたのか、窓から差し込む陽光を受けてサラサラと流れている。
身につけている真紅のドレスアーマーこそボロがきているが、その佇まいには隠しきれない気品があった。なるほど、黙っていればとんでもない美少女だ。
(……よし。これなら大丈夫だな)
料理人として、空っぽになった皿と、客の満足げな顔を見る瞬間ほど嬉しいものはない。俺は満足感と共に、片付けを始めようとした。
「さて、お会計だけど……いくらかしら?」
少女が背筋を伸ばし、真剣な眼差しで俺に向き直った。その手には、数枚の硬貨が握りしめられている。金はいらないと言っておいたが、聞こえていなかったか。……そもそも彼女の手には、数百円しか握られていない。市場価格数十万円の『ハイオークの極上ロース』には、逆立ちしても届かない金額だ。
俺は布巾で手を拭きながら、素っ気なく答えた。
「いらねえよ。金がないのは見りゃ分かる」
「は?」
「オヤジの口癖でな。『腹減って死にそうな奴から金は取るな』ってのが、この『洋食イチノセ』のルールだ。食ったらさっさと帰って寝ろ」
これは俺なりの、精一杯の配慮だった。彼女の装備を見る限り、ダンジョンで全てを失った敗残者だろう。そんな奴からなけなしの金を巻き上げるほど、俺も落ちぶれちゃいない。
だが――俺の予想に反して、少女の眉がピクリと跳ね上がった。
「……馬鹿にしないで」
「あ?」
少女がバンッ! とテーブルを叩いて立ち上がる。その瞳に宿っていたのは、感謝ではなく、燃え上がるような『矜持』だった。
「私は……私は、かつてSランク候補とまで言われた探索者よ! 施しなんて受けないわ! 食べた分の責任(対価)はきっちり払います!」
少女の声が店内に響く。ポチがビクリとして顔を上げるほどの迫力だ。どうやらこのお嬢様、見た目以上に頑固で、プライドが高いらしい。
「払うって言っても、金ないんだろ?」
「……うっ」
「その小銭じゃ、味噌汁代にもなりゃしねえぞ」
図星を突かれ、少女が言葉に詰まる。顔を赤くし、悔しそうに唇を噛む。だが、彼女は引かなかった。 潤んだ瞳で俺を睨みつけ、覚悟を決めたように一歩詰め寄ってくる。
「お金はないわ! だから……」
少女は俺の目を真っ直ぐに見つめて叫んだ。
「――身体で払うわ」
「…………は?」
時が止まった。俺の手から布巾が落ちた。足元でポチが「ワオ?」と首を傾げた。
身体で払う。その言葉の意味を反芻し、俺の視線は無意識に彼女の身体へと向かう。ボロい鎧の下から覗く、白磁の肌。華奢に見えて、出るところは出ているプロポーション。整いすぎた顔立ち。……いやいや、待て待て。
「……悪いが、うちは健全な洋食屋だ。そういう裏メニューは扱ってねえよ」
俺が視線を逸らしながら告げると、一瞬の沈黙のあと、少女の顔が湯沸かし器のように爆発した。
「ち、違うわよバカッ!!」
「ぶっ!?」
「労働よ! 労・働! 変な勘違いしないでよ!」
少女は涙目になって抗議した。
「この店で働かせてって言ったの借金として返済させて!」
「……働くって言われてもなぁ。昨日一匹増えたばかりだし」
「いいえ、私の力は絶対に役に立つわ」
少女は真剣な表情で、俺と、そして足元のポチを交互に見た。
「私、ダンジョンで見てたの。貴方がそのフェンリルを……ポチを、料理だけで手懐けるところを」 「……見てたのか?」
「ええ。信じられなかったけど、実際に食べて確信したわ。貴方の料理には、魔物の概念すら書き換える力がある」
彼女は俺の手をガシッと握りしめた。その手には、重い武器を振り続けた証であるマメがあった。
「貴方は凄い料理人だけど、素材集めは大変でしょう? Fランクの貴方が戦わなくても、私が代わりに狩るわ。私は強いわよ? そこらのハイオークなら一撃で仕留めて、最高の状態で貴方のキッチンに届けてあげる」
「……ほう」
俺は少し心を動かされた。確かに、俺の『解体線』や『調理魔法』は便利だが、広範囲の敵を殲滅するのは苦手だ。もし彼女が、効率よく素材を集めてくれるなら、仕込みの時間は大幅に短縮できる。それに、店の手伝いもしてくれるなら、ワンオペの限界も解消できる。
「それに……」
少女は眉間に皺を寄せ苦々しげに言う。
「貴方の料理なら、私のこのくそったれな『呪い』を抑えられる……貴方のそばにいれば、私はまた戦えるの。高価なポーションで魔力を補充して何とか生き延びるなんてまっぴらなの」
「…………」
なるほど。呪いの正体は知らないが、彼女にとってそれは苦々しく本来の自分ではない自分を与える存在なのだろう。別に興味はないし踏み込んで聞くことはしない。誰にだって苦労はあるもんだ。
それに店員(兼・素材ハンター)と、賄い(兼・薬)なら、確かに悪くない取引だ。
「……はぁ。分かったよ」
俺は頭を掻きながら、ため息をついた。
「採用だ。ただし、給料は飯代(借金)から天引きだからな。手元にはほとんど残らねえぞ」
「構わないわ! 衣食住さえあれば十分よ!」
少女はパァァッと表情を輝かせた。さっきまでのツンとした態度が嘘のように、安堵の笑みを浮かべる。
「じゃあ、改めて自己紹介させて」
彼女はコホンと咳払いをすると胸を張り、どこか誇らしげに名乗った。
「私の名前は、天城莉緒」
彼女はそこで一呼吸置き、自信満々に二つ名を告げた。
「そう! 何を隠そう**『紅蓮の戦姫』**と呼ばれた女よ」
紅蓮の戦姫。巨大なハルバードを振るい、戦場を紅く染め上げるその姿から付けられた、業界でも畏怖される異名。どう? 驚いた? 週刊誌の表紙も飾った私よ? そんな心の声が聞こえてきそうな『ドヤ顔』で、こちらをふふんと自慢げに見つめてくる。
しかし。
「……ふーん。莉緒って言うのか」
「…………え?」
「珍しい名前だな。漢字はどう書くんだ?」
俺の反応は、彼女の予想を大きく裏切るものだったらしい。莉緒の顔が引きつり、ドヤ顔が崩壊していく。
「う、嘘でしょ!? 反応それだけ!? 『紅蓮の戦姫』よ!? 『週刊探索者』のルーキー特集で巻頭カラー飾った天城莉緒よ!? 知らないの!?」
「悪いな。俺、芸能界とか疎いんだ」
「芸能界じゃないわよ、あんたも所属する探索者業界よ!」
俺が正直に答えると、莉緒はガクリと膝をついた。そんなに有名人だったのか。だが、俺にとって重要なのは肩書きじゃない。
「まあ、その細腕でデカい斧を軽々振り回せるなら、重い寸胴鍋くらいは運べるだろ。期待してるぞ、新人」
「……ぐぬぬ。まぁいいわ。確かに過去の栄光なんてあんたに関係ないもんね」
莉緒は悔しそうに唸ったが、その表情はどこか晴れやかだった。
「さて、開店まで時間がない。とりあえず、これを着てくれ」
俺は店の奥から、一枚のエプロンを取り出して手渡した。死んだ母さんが使っていた、白いフリルのついた昔ながらのカフェエプロンだ。
「……これ、私が着るの?」
「その恰好のまま給仕するわけにはいかないだろ。せめてエプロンくらいつけろ。文句あるか?」
「……ないけど」
莉緒は少し躊躇いながらも、真紅の鎧の上から、そのエプロンを通した。――それは、奇跡的なミスマッチだった。戦火を潜り抜けてきた無骨な金属鎧と、清潔で家庭的な白いフリル。しかし、彼女が背中の紐をキュッと結び、振り返った瞬間、その違和感は『破壊力』へと変わった。
長く美しいプラチナブロンドの髪が、白いエプロンに映える。戦うために鍛え上げられた引き締まったウエストを、エプロンの紐が強調している。そして何より、気恥ずかし気に上目遣いでこちらを見てくるその表情。
『戦姫』と呼ばれた最強の少女が、俺の店のエプロンを着て、モジモジしている。……これは、なかなかにクるものがって、俺は何を考えてるんだ。
「ど、どう……かしら? 変じゃない?」
「……いや」
俺は咳払いをして、動揺を隠した。
「悪くない。……その、サイズもちょうどいいみたいだしな」
「え? そ、そう? えへへ……まぁ、私だし? なんでも着こなしちゃうかぁ」
莉緒は嬉しそうにエプロンの裾を摘み、くるりと回ってみせた。
「ワフッ!(似合うぞ!)」
足元のポチも、尻尾を振ってワンと鳴いた。 すると莉緒は、ポチの前にしゃがみ込み、その頭を優しく撫でた。
「……ありがと、ポチ。貴方も、看板犬頑張りなさいよね」
「ワンッ!(お前もな!)」
さっきまで肉を巡って争っていたとは思えない仲の良さだ。まったく、調子のいい奴らだ。
「よし。それじゃあ開店するぞ!」
「任せときなさい!」
「ワオン!」
俺は店の扉にある札を『準備中』から『OPEN』へと裏返した。
Fランク料理人と、元最強の看板娘、そして魔獣の番犬。世界最強にして最弱の、奇妙な洋食屋のランチタイムが始まった。




