第3話 謎の少女と、ハイオークの特厚生姜焼き
「……超特大盛り。できるんでしょうね?」
カウンター席で、少女は虚ろな瞳で俺を睨みつけていた。いや、睨んでいるのではない。これは、生きるために必死なのだ。彼女の命の灯火は、今にも消えかけている。
「……ああ。任せておけ」
俺は短く答え、厨房の奥にある業務用の大型魔導冷蔵庫へと向かった。重厚な扉を開ける。冷気と共に、ずらりと並んだ食材たち。その中から、俺は一つのタッパーを手に取った。
中に入っているのは、見事なサシが入ったピンク色の肉塊。 **『ハイオークの極上ロース』**だ。
ただのハイオーク肉ではない。オヤジ直伝の『熟成魔法』をかけた特殊なエイジングシートに包み、旨味が増すタイミングまで寝かせておいた、俺のとっておきだ。
(……これ、年末の大口客用にとっておいたんだよな)
俺は一瞬、タッパーを持つ手を止めた。市場価格にすれば、このブロックだけで数十万は下らない。火の車の家計を考えれば、こんな金もなさそうな飛び込み客に使うべき食材じゃない。普通の豚肉で誤魔化すことだってできる。
――だが。
『ガハハハ! カイ、迷ったら一番いい肉を使え!』
不意に、脳裏に豪快な笑い声が響いた。筋肉達磨のような巨体に、コックコートがはち切れんばかりにパツパツだった養父。孤児だった俺を拾い、料理と、魔物(食材)との戦い方を叩き込んでくれた恩人。
『いいかカイ。腹を空かせて店に来た奴は、全員が"お客様"だ。金があるとかないとか、人間か魔物かとか、そんな些細なこたぁどうでもいい!』
『オヤジ、でも原価率が……』
『うるせぇ!料理人の仕事は計算じゃねえ!客の腹と心を満タンにすることだ!最高の食材を食わせて、笑顔で帰しゃあ、巡り巡って店は繁盛するんだよ!』
……そうやってドンブリ勘定で店を回してたから、あんなに借金残して死んだんだよ、あのクソオヤジ。俺は苦笑しながら、タッパーの蓋を開けた。
「……へいへい。わかったよ、オヤジ」
今の彼女に必要なのは、ただのカロリーじゃない。枯渇した魔力を補い、焼き切れた回路を修復するほどの、強烈な生命力だ。なら、このハイオーク肉しかない。
「よし……いくか」
俺は覚悟を決め、まな板に向かった。包丁を握る。スゥ、と息を吸い込むと、肉の表面に赤い線が浮かび上がる。『解体線』。筋繊維の走行、脂の入り方。すべてが手に取るように分かる。
ダンッ、ダンッ、ダンッ。リズミカルな音が厨房に響く。厚さ3センチの極厚カット。だが、ただ分厚いだけじゃない。焼いた時に縮まないよう、目に見えないほどの微細な隠し包丁を数百箇所に入れている。これで、箸で切れるほどの柔らかさになる。
フライパンを火にかける。牛脂を溶かし、煙が立つ寸前まで熱する。
「いくぞ」
ジュワアアアアアアアッ!!
肉を投入した瞬間、爆ぜるような音が店内に轟いた。それは、空腹の者にとってはどんな音楽よりも美しい旋律だ。表面を一気に焼き固め、肉汁を閉じ込める。魔法など使うまでもない。長年、オヤジの背中を見て盗んだ、料理人の技術。
肉の色が変わった瞬間、合わせ調味料を一気に流し込む。たっぷりの『ダンジョン生姜』、醤油、酒、みりん。そして、オヤジが隠し味に使っていた林檎のすりおろし。表面を焼いた後は煮るように味をしみ込ませる。
ジュワワワワワッ……!!
立ち上る白煙。醤油の焦げる香ばしさと、生姜の爽やかな香り、そして肉の甘い脂の匂いが混ざり合い、換気扇の許容量を超えてホールへと溢れ出す。
「んぐぅ……っ」
カウンターの方から、喉を鳴らす音が聞こえた。チラリと見ると、少女がカウンターに身を乗り出し、獣のような目でフライパンを凝視している。足元ではポチが、尻尾をちぎれんばかりに振りながら「俺のは? 俺のは?」と足踏みしている。
「完成だ」
俺は焼き上がった肉を、大皿にドサリと盛り付けた。千切りキャベツの山に寄りかかる、飴色に輝く肉の壁。そして、丼に漫画のように高く盛られた白米。ランチ用に仕込んでおいた具沢山味噌汁はラーメンどんぶりにたっぷりと注いだ。
「お待たせ。ハイオークの特厚生姜焼き定食、超特大盛りだ」
ドンッ! 重量感のある音と共に、それが少女の前に置かれた。
「…………」
少女は言葉を発しなかった。震える手で箸を握り、湯気を立てる肉を一切れ持ち上げる。タレが絡んだ分厚い肉。彼女はそれを、大きな口を開けて頬張った。
ハムッ。 咀嚼、一回。
「――ッ!!??」
カッ、と彼女の碧眼が見開かれた。
美味い。そんな言葉では生ぬるい。噛み締めた瞬間、カリッと焼かれた表面が弾け、中から熱々の肉汁が爆弾のように口内で炸裂する。ハイオーク特有の濃厚な旨味。それが生姜の辛味と林檎の甘みで中和され、脳髄を揺さぶるほどの幸福感へと昇華される。
そして、何より――。熱い塊が胃袋に落ちた瞬間、枯れ果てていた彼女の魔力回路に、奔流のようなエネルギーが駆け巡った。
「んんっ……ふぅうう……っ!!♡」
少女の口から、艶っぽい吐息が漏れる。土気色だった肌に、瞬く間に赤みが差していく。鑑定スキルで見えた呪いが、極上の燃料を投下されたことで満足し、静まっていくのが分かった。
「……おいしい……なにこれ、おいしい……っ!」
彼女の目から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。飢えの恐怖。孤独。死への不安。それらすべてを、この温かい料理が優しく塗り潰してくれる。
ガツッ、ガツガツッ!そこからは早かった。彼女は涙を拭うこともせず、白米をかっこみ、肉を貪り、味噌汁で流しこむ。淑やかそうな見た目とは裏腹な、本能のままの食事。
「グルゥ……」
そのあまりの食べっぷりに、たまらなくなったポチが、テーブルの下からひょいと顔を出した。少女の皿の端っこにある、小さな肉片。それくらいならいいだろうと、ポチが鼻先を伸ばした、その時だった。
パシィッ!!
鋭い音が響いた。少女が、箸を持っていないほうの手で、テーブルを高速で叩いたのだ。
「キャンッ!?」
「……ダメ」
少女は肉を頬張り、リスのように頬を膨らませたまま、ポチをギロリと睨みつけた。その目は、先ほどの虚ろな目ではない。獲物を守る猛獣の目だ。
「これ、私の。全部、私の。……ワンちゃんでもあげない」
「グルルルッ!(ケチ! 減るもんじゃないだろ!)」
「減る! 絶対にあげない!」
さっきまで死にかけていたとは思えない速さで、少女は皿を抱え込み、この得体の知れない魔獣に対して鉄壁の防御態勢をとった。
「グルァッ!(一口だけ!)」
「ガルルッ!(私の! あっち行って!)」
「ワフッ!(なんだよケチー!)」
カウンターを挟んで繰り広げられる、美少女と謎の生物の低レベルな争い。俺は腕を組み、やれやれと苦笑した。
(……なんでコイツら、言葉が通じてるんだよ)
初対面のはずなのに、まるで兄妹喧嘩だ。言葉は分からないはずなのに、食い意地という共通言語だけで会話が成立している。まあ、それだけ元気になったなら何よりか。
ふと、気配を感じて振り返る。
厨房の奥で、オヤジがガハハと笑っているような気がしたのだ。
そうだった。俺は、この顔を見るために料理を作ってるんだ。
「ほらポチ、お前の分はこっちにある。客人の邪魔をするな」
「ワフッ!」
俺が賄い用のボウル(端切れ肉入り)を出すと、ポチは現金なもので、すぐに尻尾を振ってそちらへ飛びついた。
静かになった店内で、再びカチャカチャと食器の音だけが響く。俺は布巾でカウンターを拭きながら、一心不乱に食べ続ける少女の横顔を、少しだけ温かい気持ちで見つめていた。




