2 4人の春
6年生になってすぐの教室は、妙に静かだった。
いつものことだけど、どこか、それまでと違う沈黙だった。
同じ学年の生徒は、たった4人。
わたし、奏斗、亜由、海翔。
黒板の上には「6年1組」の札がぶら下がっていて、でも机の数はその文字には似つかわしくなかった。
空いている席が、目に入る。誰かが来るわけじゃないってわかっていても、「来ないんだな」って思ってしまう。
「うちらだけじゃん」
亜由が背もたれに思いきり寄りかかって、うんざりした声を出した。
窓の外では、潮風が桜の花びらをすでに散らしてしまっていた。
代わりに、校庭の隅のつつじが色づき始めている。春の終わり、初夏の手前。
あの卒業式から、もう1ヶ月。
去年まで同じ校舎にいた先輩たち、レオくんと杏奈ちゃんは、ふたりとも東京へ行った。
最後の日。海を背景に写真を撮ったとき、杏奈ちゃんは「東京、空狭そうだよね」って笑ってた。
休み時間、いつも遊んだり勉強を教えてくれた。
ふたりの持っているスマホで、沢山動画を撮ったり写真を撮った。
どれも変顔や、ふざけたものばかりだけど。
少し背の高いお兄ちゃんとお姉ちゃん。
血は繋がってなくても、ずっと学校でお世話してくれていたから、そう感じてる。
きっと、わたしだけじゃなくて3人もそう思ってるはず。
「おれ、今日ちょっと船の手伝いあるから、抜けるわ」
海翔が言って、ランドセルに教科書を突っ込んで教室から出ていった。
「いいなー、サボれて」
亜由がつぶやいたけど、誰も本気でうらやましがったりしない。
わたしたちは知っている。
彼がこれから行く海は、遊びじゃなくて、家の仕事なんだってことを。
今年になってから、海翔は“手伝い”の回数が増えた。
2月に、長く働いていたおじさんの近藤さんが死んじゃったから。
今までは土日祝日の早朝にだけ参加することが多かったが、こうして平日も“手伝い”として学校を早退することが増えた。
授業が始まると、やっぱり空気がスカスカだった。
4人で、1クラス。むしろ“グループ”って呼ぶ方が自然かもしれない。
それでも、こうして過ごすのが日常になっている。
転校生が来るなんて噂もないし、このまま私たち4人で、中学、高校と進んでいくんだろうと思っていた。
「咲ってさ、高校もこの学校?」
亜由が急に言ってきて、私はノートに書いていた鉛筆を止めた。
「うん……たぶん」
「えー、つまんなーい。わたし、東京行きたいなぁ。制服かわいいし、駅ビルとかもあるし、映画館もあるし……」
亜由は机に顔を伏せて、声だけを上に浮かせた。
「でも、東京、星見えないんでしょ?」
何気なく、そう返したのは私だった。
「あ、そうじゃん! やだ、それ。なんか寂しい」
亜由は目を閉じて、しばらく黙った。
横で、奏斗がページをめくる音が聞こえた。
わたしはちらりと彼の横顔を見る。
ちょっとだけ背が伸びたような気がする。
声も、少しだけ低くなったかもしれない。
でも、寝ぐせでくしゃくしゃの髪と、授業中に時々こっくりする癖は、何も変わっていなかった。
このまま、ずっと続くのかな。
そう思った。
でも、そうじゃないことも、もうなんとなく知っている。
帰り道、みんなで浜辺に寄った。
風が強くて、亜由が「もーやだ!」と笑いながら叫んだ。
“手伝い”を終えた海翔が、ジャージ姿で近くに来た。
海翔に気づいた亜由が、手を振りながら名前を呼ぶ。
「海翔! 今日はもう終わりなの?」
「うん、今日の分は終わり」
海翔がビニール袋を差し出して、魚肉ソーセージを一本ずつ配ってくれた。
お礼を言いながら、わたしはフィルムを剥がそうとする。
ふと、フィルムに少し切り込みが入れられていた。
わたしはその切り込みに従うように、フィルムを剥がした。
「えー、全然出来ないんだけど」
亜由の手に持つ魚肉ソーセージにも、フィルムに少し切り込みがある。
「は? そんなわけないだろ。ほら、ここ。ちゃんと剥がしやすいように切り込み入れてる」
「え、嘘! ん? あ、ほんとだ!」
亜由は信じられないというような顔をしながら、魚肉ソーセージを頬ばる。
「もしかして、俺らの分。最初から剥がしやすいようにしてくれたの?」
奏斗が食べ終わったゴミを袋の中に入れる。
「は? そんなことしてねーよ!」
海翔はそう言うけど、わたしと奏斗は気づいてると思う。
海翔が最初から、私たちの分をそうやってしてくれたって。
亜由は、時々「おいしい!」と頬を膨らませながら食べている。
「いつかさ」
亜由が言った。
「みんな、バラバラになったら、どうする?」
「どうって……?」
私は聞き返した。
「咲とか奏斗とか、結婚してたら面白くない?」
ふざけたように笑って言う。
「は?」
奏斗が低く反応した。
わたしは笑いながら、でも心の奥が変な風に熱くなるのを感じた。
そんなの、考えたこともなかったのに。
「もー、冗談だよ!」
亜由はいつもの調子で、それから話題を変えた。
わたしは食べ終えた魚肉ソーセージのフィルムを、足元にあるゴミ袋に入れた。
奏斗の顔を見ようと思ったけど、なぜか見ることにためらってしまった。
♢♢♢♢
帰った夜、わたしはひとりで部屋の窓から空を見た。
星は東京よりはきっと多くて、都会よりもきっと近くて、でも届かない場所にあった。
「どうしてだろう」
自分の口からこぼれた声に、わたし自身が驚いた。
この町には、信号がひとつしかない。
でも、海がある。星がある。奏斗がいる。亜由がいる。海翔がいる。
それで、今は十分だった。