二日酔い
三題噺もどき―ろっぴゃくごじゅうはち。
「……」
体を起こすと、こめかみに痛みが滲む。
それは徐々に広がっていき、ジワジワと脳内を侵食していく。
痛みは絶えることなくズキズキと響き、嫌でも起こされてしまう。
「……」
時計を見ると、とうに朝食の時間を迎えていた。
視界の中に入る、鳥籠の中は空っぽになっており、空気があるだけだった。
外は冷えているのか、室内は心なしか寒い。春も訪れたはずなのに、夜はどこまでも冷たい。それが心地いい。
「……」
未だに痛むこめかみを指先で軽く触れながら、治まらないものかと冷やしてみる。
末端冷え性というやつでもないが、元より体温は低いので指先なんて氷のようだ。
布団の中に埋もれている足はまだ暖かいが、徐々に冷えていくのが体感として分かる。寝起きはそれなりに体温が上がるが、今日は冷えが勝ったようだ。
「……」
滲む痛みをこらえながら、昨日のことを思い出す。
―昨夜は、丁度良い晴れ間がのぞき、空には美しい満月が浮かんでいた。仕事も順調に終わり、気分のいい一日だった。
そして、満月の浮かぶ日は、二人で月を眺めながら静かに飲み明かすのだけど。
「……」
昨日は少々飲みすぎたのだろう。こうして頭痛に襲われて起こされることが嫌だから、二日酔いはしないようにしていたのに……吐き気まで催さないだけマシなのか。
昨夜は嘔吐したりまではしてないはずだが……記憶がどうにも曖昧だ。何をそんなに飲んだんだろう……自分の記憶に自信がないぞ。
「……」
それでもいつもの時間に起きて、朝食を準備しているであろうアイツには頭が上がらないな。まあ、もともと強いからなアイツは。なんというのだったか……ワク?私もそれなりに飲める方ではあるし、人間に比べたらワク以上に見えるかもしれないが、アイツはそれ以上ということだ。水のように飲むからな……。
「……」
まぁまぁ、昨日の失敗は今後の教訓にするとして。
そろそろ立ち上がって起きなければ、健気な従者が腹をすかしているかもしれない。アイツは変なとこ頑固というか従順というかなんというか……可愛いところがある。
とうに朝食の準備は終わっているだろうから、起こしに来るだろうか。
「……」
以前、頭痛を抱えたまま立ち上がろうとしたら、軽く眩暈を覚えて倒れかけたことがあるので、それを教訓に慎重に立ち上がることにする。介護をされているようなつもりでゆっくりと立ち上がる。……介護をされることは一生ないだろうが。
「……」
布団に埋もれたままの足を抜き出し、床に下ろす。
足の裏に、床にひかれたマットの柔らかな感覚が返ってくる。
このまま一気に立ち上がると、眩暈を起こすことが目に見えているので、一旦休憩。
ほんの少しだけ、呼吸をして体調を整える。
「……」
両手をマットレスの上に置き、体を支えながらゆっくりと立ち上がる。
まだ少し頭には痛みが残るが、割かしマシになってきた。多少冷やした効果はあったのだろう。こめかみから滲むその痛みは、起こしてくれることには感謝するが、これ以上はもういらないので静かにしてほしいものだ。
「……ふぅ」
ベッドのすぐそばに置かれている椅子の背に手を置き、息を吐く。頭が上がりきらずに、少し俯いている。視界に映るのは、気慣れた寝間着。くしゃりとしわになっている。
―これは、今日仕事になるかどうか。きっと朝食はシジミ汁と小さめのおにぎりだろう。そうであれと願う。それ以外は口に入らないかもしれない。パンとか無理。
「……なにしてるんですか」
「……」
まだ上がらない頭をどうにか起こそうと思ったあたりで、声がかかった。
いつの間にそこにいたのかは知らないが、いい加減ノックをしたらどうだろうか。
廊下の明かりが部屋に入り込み、私の足元まで照らした。
「……おはよう」
「おはようございます」
ゆっくりと頭を起し、部屋の戸を見る。
見慣れた小柄な少年がそこには立っている。朝食を作る時にもエプロンをするあたり、こだわりなのか何なのか。
満身創痍のような私とは打って変わって、いつもの飄々とした表情でそこに立っていた。若干の呆れを滲ませながら。
「……朝食できましたよ」
「……あぁ、うん。今行く」
呆れながらも私が部屋を出るまではそこにいてくれた。
廊下を先に歩くそのエプロンのボタンが、ズレていたことは、コイツには言わないでおこう。
「……滲みる」
「おじいさんみたいなことを言わないでください」
「……私ももういい歳だよ」
「こういう時ばっかり……」
お題:眩暈・滲む・ボタン