毒杯?それって殺人ですよね?
焙煎詩依は普通のイジメ加害者だった。小学生の時、クラス全体で運動音痴の子をイジメていて、そのイジメが発覚した時に自分が主犯にされた時も運が悪かったとしか思わなかった。しかし、自分もそのイジメに加担していたのは確かなのだから、罰を受けても仕方無いと反論はしなかった。
「はい、先生。僕が太郎君をイジメていました。太郎君は臭かったし、歩くのが遅かった。それに、家がトタンの平屋でいつもお父さんがお酒飲んで騒いでるからです。もう、こんな事はしません。なので、僕へのイジメも止めさせて下さい。僕へのイジメも駄目な事ですよね?」
太郎君へのイジメは収まったが、彼へのイジメは止まらなかった。イジメをしていた奴へのイジメはボーナスタイム。いくらやっても『分からせている』の一言で逃れられる。
そして、シヨリの謝罪の態度も良く無かった。彼は見るからに不貞腐れて、自己保身の為だけに謝罪をしてる様にしか見えなかったのだ。
実際、シヨリが太郎君にしたのは、他の生徒が盗んだ太郎君の教科書を預かったり、トイレで水を被せた後、バケツを元の場所に戻したりといった主犯格からは程遠いものだった。だから、謝罪も他人にやれと言われたかの様な嫌々やったモノとしか映らず(実際そうなのだが)、それが教師や事情の知らない生徒の怒りに火を付け、本当の主犯格にとっては都合の良いスケープゴートとなった。
結果、シヨリは孤立し、イジメの噂は中学や高校時代まで後を引き暗い青春を送った。
高校を卒業したシヨリは、県外の大学のテニスサークルに入った。そこはぶっちゃけて言うと、女を抱く為のサークルで、色々と悪事がバレてしまい酷い目に遭った女性達に示談金を払う事になった。
シヨリはそのサークルで四年間真面目にテニスしていて肩書だけの部長だった。が、童貞だったにも関わらす事件発覚当時の部長だっただけで主犯格扱いになった。しかし、彼も女の子にビール注がせながら髪の毛を触ったり、あわよくば彼女ゲットしたいという下心があったから、代表者として謝罪する事となった。
「この度は僕の入っていたテニスサークルで、この様な事となってしまい申し訳ありませんでした。お互い十八を過ぎた大人だから問題無いと放置し、多くの女性を傷付けた事深く反省致します。僕は特定の女性とその様な関係とはなってませんが、部長として出来るだけの謝罪と賠償を行いたいと思います」
この謝罪に、被害女性と家族と大学は怒りを露わにした。自分は事件と関係無いけと謝罪はしなきゃと義務感で謝罪する姿が見え見えで、シヨリはテニスサークルを私物化して、女性を無理やり男子部員とくっつけてその様子を楽しむ変態としてまとめサイトに載った。しかも、小学生時代に安全圏から遠回しなイジメを繰り返していたというデマまでセットだった。
結果、彼は退学処分となった。
その後何とかブラック企業に就職したが、給料が一円も出ないまま社長と役員が逃げ出して、自分が顧客全員に土下座するハメになった。顧客にインチキ商品を販売した中の一人であるのだから、仕方の無い事だった。
「えー、私が現在の代表の焙煎です。皆様からお預かりしたお金は全てありません。ですので、裁判を経て国から出して貰うしかありません。何年かかかるでしょうが、必ず皆様の手元にお金をお返しして…」
「いい加減にしろ!」
義務的な謝罪の最中、包丁を持った男が乱入しシヨリをメッタ刺しにした。男は詐欺の被害者であり、太郎君の父親で、テニスサークル被害女性の叔父でもあった。
「お前はー!何度ー!人の人生を滅茶苦茶にー!楽しいか、ああ!?」
男の怒りの声にシヨリは答えられなかった。悪い事はしたかもだけど、ここまでされる覚えは無かったし、正気を失った人殺しに対し何を言って良いか分からなかったからだ。
「あ、謝るから、た、たしゅけてくだちゃい」
最後の力を振り絞り、周囲に助けを求めるが、謝罪会見に集まった人達が殺人犯を止めたのはシヨリが完全に動かなくなってからだった。
(僕の謝り方が駄目だったのかな…そうだ、もし次があったらもっと上手く立ち回って…)
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(思い出した)
人前で婚約破棄した結果断種され幽閉され毒杯を飲まされた王子は、毒を飲んだショックで前世を思い出した。
この世界は自分の前世で読んでいた異世界恋愛小説そっくりで、自分は悪役令嬢に婚約破棄をして廃嫡されて幽閉の後に毒杯で亡くなる王子であると気付いた彼は、このままざまぁされてたまるかと反論を始めた。
前世では中途半端な謝罪に自己保身を織り込んだのがいけなかった。そう学習した王子は、保身に全振りすると決意して動き出す。
「ごボボボボボボ、ぶはっ!!」
毒杯に浸かっていた顔を上げて、王子は反論を開始する。
「お前ら!こ、これっ殺人だぞ!何故婚約破棄の結果が殺人なんだよ!」
毒杯を与える為にこの部屋に来ていた衛兵達は顔を見合わせた。王子の言葉に何かを思ったのでは無く、眠るように即死する毒杯を飲んだのにまだ生きている事に驚き、どうしたら良いのか分からなくなったからだ。
「確かに!僕は浮気したよぉ?人前で婚約破棄を大声でしたよぉ?で、でもっ!グハッ!」
バターン!!
何かを主張しようとした最中、王子は大量の血を口から吐いて倒れた。
「「「死んだか?」」」
衛兵達はホッと胸を撫で下ろし、王子の死の確認と報告の作業に移ろうとする。だが、衛兵Bが王子の頭を蹴ったその時、王子は再び起き上がり力説を始めた。
「でも、こ、殺される程の事はしてないだろ!罪には罰を!でもそれは罪に見合った罰を与えなきゃ駄目で…ぐええ!」
潰されたカエルの様な悲鳴を上げて、王子はその場に引っくりカエル。全身の毛が抜け落ち、身体の水分が無くなりミイラの様になってしまった。
「おし、上に報告だ!」
「おつかれ様でした!」
「待て、王子がまた起き上がったぞ!」
こんな姿になっても王子は死にたくないとばかりに起き上がった。穴という穴から腐った体液を出しながら、ここを乗り切って生き延びたいという転生者の思いのみで、死に体に鞭打って王子は起き上がるのだった。
「僕が言いたいのはぁ!毒杯飲ませて病死扱いってのは、法に反してるって事なの!僕を殺したいのなら、ちゃんと死刑宣告して殺せば良いじゃゎ!何故、それをしない?それは、婚約破棄の罪は死刑には足りないからだよ!死刑になってない者を殺す、この毒杯という慣習は…悪だ!!」
衛兵達は訳が分からんといった顔だ。王子へ毒杯を持っていき死の確認をしたら仕事が終わりなのに、何故こんな面倒な事になったという思いしか彼らの頭には無かった。もうすぐ死にそうだし、このまま聞き流そうとしか思ってなかった。
その沈黙を見た王子は、論破まで後一息と解釈して一気にまくし立てる。
「そもそもっ、僕は法律を色々違反してここに居る!法律にそう書いてあるからこの結果になった!この毒杯を除いてはねっ!僕がこの毒杯を飲まされた法的根拠はどこにも無いっ!よって、お前らと毒杯を指示した奴を殺人罪で訴えてやる!」
衛兵達はヒソヒソと話し合い、全員が部屋の外へ出ていく。
「逃げんな!罪と向き合え!」
「違いますよ。殿下、この毒杯の件の責任者を呼んで来ますので暫くお待ち下さい」
「ならいい。待っててやる」
「では、呼んできます」
そう言い、三人は消え去り王子だけが残された。
「誰が来るんだ?父上か?悪役令嬢か?どちらでも良い、法で僕を裁いておきながら、最後に毒杯なんて法外な手段を使った時点で僕に分がある。言い負かしてやる!言い負かしてやる!」
王子は責任者が来るのを待ち続けた。
「遅いな…お、来たか」
扉の向こうから気配を感じて身構えたが、それは国王でも悪役令嬢でも無かった。部屋の隙間から入り込んだアリとネズミだった。
「なんだ、ネズミか。ん?腹が減ってるのか?僕の足の指ぐらいなら齧って良いよ」
王子はネズミとアリに足を齧られながら、相手を待ち続けた。
「まだ…か…何故…こな…い」
最初の数日は、相手が来ない事は自分の主張の正しさの裏付け。相手は必死に反論の準備をして遅れていると余裕の笑みを浮かべていた王子だったが、自分の腐敗した肉体が三分の二程小動物と虫に食い散らかされた頃から焦り始め、思考する為の脳と発声する為の喉まで被害が及んだ頃には、悲鳴を上げだした。
「おい、お前ら!いい加減にしろよ!もう十分食べただろ!」
誰も来なかった。
「誰かぁー!速く来てくれー!この害虫どもを追い払ってくれ!そうすれば、毒杯の件は少しは甘めにみてやるから!」
誰も来なかった。
「分かった!全部話す!僕は転生者なんだ!毒杯飲んだタイミングで前世を思い出したんだ!悪役令嬢ぉ!どっかで聞いてるだろ?『この僕』はお前になーんもしてないし!浮気もやってない!誓って童貞だ!童貞三十歳のオッサン、前世の名前は焙煎!バイセンシヨリ!日本人だ!」
誰も来なかった。
「そ、そうだ!テニスサークル集団レイプ事件!もしくは、ブラック企業の謝罪会見刺殺事件!有名な事件だから知ってるだろ?あの事件の焙煎が僕なんだよ!ほら、これで転生者だと分かっただろ?訴えは取り下げてやるから仲良くしよう!ねっ?」
誰も来なかった。
「おああああ!!ああ…あ…」
王子の悲鳴が静まった直後、扉が開き悪役令嬢と彼女に率いられた衛兵達が部屋に入って来た。
「殿下は苦しむ事無く安らかに病死しました。そして、彼の身体を弄んだ邪悪な霊もたった今力尽きました。よろしいですわね?」
「はっ、承知しました。それで、邪悪な霊の言葉は記録に残しますか?」
「なりません。アレはこの世界とは何もかも違う常識から発せられた言葉、しかも生前に大罪を重ねた極悪人の言い逃れの言葉です。反面教師としてさえ意味を為さない、人の形をしたクズの戯言です。決して記録せず、私達も忘れるべきノイズです」
こうして、王子の『毒杯は殺人罪』という主張は認められる事も、世に広まる事も無かった。
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(思い出した)
シヨリだった、そして婚約破棄王子だった伯爵は、流行り病の末期症状のショックで前前世までを思い出した。
「そうだ、ここはワシが前前世で読んでいたヒューマンドラマ小説の世界…」
結婚初夜に『君を愛する事は無い』と言った三年後、妻が隣国まで逃げ出し、なんやかんやで愛人にも使用人にも出て行かれたのが今の自分。そして、原作では流行り病で孤独に亡くなると書いてあった。
「今度は間違えない、今度はこちらの正しさなんて主張しない。初手で転生者だと言って、全力で謝罪して、今度こそ許して貰うんじゃ、ゴホッゴホッ」
伯爵はベッドから転がり落ち、壁や手すりにしがみついて屋敷内を巡り、残された僅かな財産をポケットにパンパンに詰めて屋敷の出口へ向かう。
「あ…あいつが逃げた先は原作知識で知っとる。待っておれ、そしてワシを許せーっ!」
謝っても許して貰えなかった無念から転生者となった男の旅路はまだまだ続くのだった。