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5.底

「クビ?これからどうするんだい、家賃は払ってもらわないと困るよ」


家賃を集めに来た大家が言った。


「明日、娼館通りに行ってみます」

「娼婦になるって?本気で言ってるのかい?」

「ええ、私にできることがそれしかないんです。もう弟もいませんから、気にする必要もないですし」

「まあ…あんたは美人だから需要はあるだろうが…」


モリス家をクビになった後、ダニエラは仕事を探した。しかし家庭教師も、仕立て屋の手伝いも、貴族や商人の屋敷での下働きも、どこも断られた。


「母親に、そういう病気があるんでしょう?うちで何かされたら困るのよ」


噂は、あっという間に町中に広がっていた。


「元オールデン男爵夫人が、モリス家に乗り込んで、子どもを襲おうとしたらしいよ」

「まあ、子どもって、まさかあの賢くて可愛いアンを?」


その一言だけで、すべての扉が閉ざされてしまった。


弟のローガンは、暗い部屋でただ沈黙し続けていた。ちらっとダニエラを見たとき、その目が「助けてほしい」と言っているように見えた。


そしてある朝、ダニエラが目を覚ますと、テーブルの上に置手紙があった。


「もう限界。僕は自由になりたい。探さないで」


声は出なかった。ただ、彼の言葉を思い出しながら手紙を胸に抱きしめた。


(ローガンはずっとずっと…SOSを出し続けていた。それを私が抑え込んでしまったの)


ただただ弟には、明るい未来を与えたかった。お金が貯まったら平民が通える学校に願書を送って、将来自立できて困らないようにしてやりたかった。


「姉上は考えていたのよ、ローガン…」


しかし病んだ母と、母から離れられない自分の存在が、彼が望む未来を奪ってしまったのだとしたら…


出ていった弟を、責めることはできなかった。


ーーー

大家と話した日の夕暮れ、ダニエラは自分にできるかぎり濃く化粧をして、母親が穏やかに眠っているのを確認してから出かけた。


行き先は娼館通り。


かつては避けて通っていたこの路地を、今、正面に見据えている。


娼館通りの入り口には、きらびやかに凝ったライトが灯されていた。通りの両側に建つ背の高い建物の窓からは、ダニエラよりも数倍濃い化粧を施した半裸状態の女性たちが商品のように並び、男たちは足早に建物の中に消えていく。


「美人のお嬢さん。迷い込んだのかい?」


ビクッとして振り返ると、派手な身なりの老婆だった。おそろく娼館の女主人だろう。


「ここで働きたくて来ました」


ダニエラの声は落ち着いてた。


「へえ…見たところ落ちぶれた貴族って感じだね。本当に働けるのかい?」

「料理でも、掃除でも、なんでもします。体を売れと言うなら、売ります」


その覚悟に、老婆はしばらく沈黙した。


「名前は?」

「ダニエラ・オールデンです」

「オールデン…ああ…」


その反応に、ダニエラは嫌な予感がした。


「あんたの噂は聞いてるよ。母親が問題を起こしたんだろう。ここであんたを働かせることはできないね。客が楽しんでいるときに狂った女が乗り込んでくるようじゃあ、商売あがったりだ」


(ああ、ここもだめ…)


ダニエラは唇を噛む。


「その様子じゃ、いくつも断られて最終的にここへ来たようだね」

「はい」


ダニエラがうつむいたそのとき、老婆はため息をついた。


「うちじゃ雇えないが……紹介できる場所がある。牢だよ。囚人の飯炊き場。誰も行きたがらない、汚くて臭くて危ない場所だが、そもそも世間のゴミどもが集まっているんだから、狂った女が一人や二人乗り込んで来ようが気にすまい」


そう言って、老婆はきれいな紙と洒落たペンを取り出した。


「管理人のドーソンが古い知り合いでね。ついこないだも人手が足りないと嘆いていたよ。行くなら紹介状を書いてやろう。どうだい?」


ダニエラは、深くうなずいた。


「ご親切に感謝いたします」


老婆はびっくりしてから、言った。


「いつまで私に感謝してくれるかね」

「え?」

「嫌になるくらい厳しい場所だってことだよ。あんたみたいな女の子が、無事でいられるとは限らないような」

「それでも…どうしても働かなくてはいけないんです」


(そう、私が働かないと)


「そうかい。それなら、ま、頑張りな。ただし私を恨まないでおくれよ」

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