28.少年兵
「お帰りなさいませ。お疲れでしょう」
「めちゃくちゃな」
隣国アーランドとの国境を守っている辺境の地に出張していたノアが、帰ってきた。「癒しの力」で傷ついた兵士を治療するためだ。
以前ならノアの出張中は不安でたまらなかったダニエラだが、今はプレンティス公爵領の整備に勤しんでおり、充実感に満ちている。
「疲れた」と言いながら、ノアはダニエラに、領地についての説明を求めた。子どもを保護する施設は運営がうまく回り出し、マーサたちの刺繍はかつてダニエラをいじめていた貴族たちの中から商売をしている者に「過去を清算する価格」での取引をもちかけ、適正価格で取引されるようになった。
貴族たちを脅して刺繍を売りつけたと聞いて、ノアはくすっと笑う。
「お前、案外図太いのな」
「私なりの復讐です。利用できるものはなんでも利用しませんと。高潔な妻でなくて、嫌になりましたか?」
「いや、俺好みだよ」
「ダニエラのおかげでこちらは万事順調だな。ところで聞きたいことがあるんだが」と、ノアは食卓に着きながら切り出した。
「18歳未満の少年兵…ですか?」
「ああ。辺境にはあんなに多いものなのか?」
「私もあまり詳しくはありません。従者的な扱いで、実際の戦闘に参加することはないと聞いていますが…」
「だよな。俺もそう思ってた。でも実際にはかなりひどい傷を負っている少年兵も多かったから、戦闘に出てると思う。治療が間に合わずに死ぬ奴もいた」
ノアはじゃらりとたくさんのドッグタグをテーブルに乗せた。兵士が認識票としてつけるものだ。顔がつぶれて本人確認できなくても、認識票さえあれば名前と生年月日で本人確認できる。
「こんなに…」
「ああ」
ノアは辛そうな顔をした。目の前で子どもが死んでいくのを見るのは、どれほど辛いことだろう。ダニエラはそっとノアの背中に手を回して、ノアを慰めようとした。
その瞬間。
ダニエラの時間が止まった。ダニエラは目を見開いて、ひとつのドッグタグを凝視する。血が身体から抜けて、身体が冷えていく感覚になる。
(嘘…)
「ダニエラ?」
顔面蒼白で荒い呼吸をするダニエラを見て、ノアが立ち上がった。
「どうした?」
ダニエラは震える手で血のこびりついたドッグタグに手を伸ばす。早く手に取りたいのに、手がうまく動かない。ようやくタグをつかんで、書かれている名前と生年月日を確認する。「間違いであってほしい」と願いながら。
「ローガン・ラッセル…8月20日生まれ…B型…」
「知ってるのか?」
「弟…です」
それだけ言うと、ダニエラはドッグタグを握りしめて崩れ落ちた。慌ててノアがダニエラを支える。涙があとからあとから溢れてくる。
「ローガン…!ローガン!ごめんね…姉上がごめんね…!」
戦争の英雄である祖父・初代オールデン男爵に憧れていたローガンは、家を出てからオールデンの名を捨て、辺境の軍に少年兵として志願したのだろう。
そこで死んだ。
(死んでしまった…もし私が必死で探していたら…そしたら…)
「ごめんね、ごめんね…」
ノアに抱きしめられながら、ダニエラは泣き続けた。翌朝起きたときも、まだノアに抱きしめられていた。しかしどうやってベッドまで行ってどうやって眠ったのか、ダニエラは覚えていなかった。
「起きたのか」
「はい」
「ダニエラ…」
「大丈夫です」
「だけど…」
「本当に大丈夫です」
今までの弱々しい「大丈夫」とは違う、強い気持ちがそこにはあった。悲しい気持ちはいくらでも湧いてくるが、ダニエラの頭は冴えていた。
(繰り返させない、絶対に。すぐに動き始めなきゃ)
「ノア、助けてください。やるべきことがあります」
「…もちろんだ」
ダニエラはノアの助けを得て、プレンティス公爵家から辺境に秘密裏に調査団を派遣した。少年兵が実際に戦闘に出ているのか、どこから誰が少年を集めているのか、辺境軍の独断なのかなどを徹底的に調べる。
そして国務会議の席で、ノアが「少年兵が戦闘に出ていることについて話したい」と声を上げた。
参加者はしらっとしている。あからさまに「世直し気取りの盗賊風情が」という表情を浮かべる者もいる。参加者の雰囲気に、ノアはダニエラが正しかったことを知る。
ダニエラはノアに「少年兵が戦闘に出ることは禁止されているはずだから今すぐ止めさせろ、というだけでは話が進まない」と断言したのだった。
「経済的な利害が絡んでいますから…正論だけでは突破できません」
少年兵が戦闘に出ていることは、国王以下大臣クラスの貴族たちにとっては暗黙の了解だった。私兵として少年を雇っている貴族もいる。
軍としては、安い給金で働き、従順で、敵に警戒されにくい少年は使いやすかった。「安い戦力を手放したくない」というのが本音なのだ。
「プレンティス公爵閣下、恐れながら…大した問題だとは思いませんが」
「公爵閣下は長く下々の者たちと暮らしておられましたから、我々とは少し感覚が違うのでしょう」
(ダニエラの言うとおりか。クソどもめ)
ノアはあたらめて、自分が闘ってきた相手がこのテーブルについているのだと実感した。




