27.新しい自分へ
ダニエラは、自分に目を向け始めた。
公爵夫人として、プレンティス公爵に並び立つ自分になるために。ただノアの側にいるだけでも、愛されて幸せにしてもらうのを待っているだけでもない自分になるために。
幸せにしてもらうのではなく、自分が彼の側で幸せになるために。
ノアについて馬車で領地へ向かう途中、窓越しに王都の通りを眺めていたダニエラは、急に叫ぶ。
「止めてください!」
「おい、急にどした?」
ダニエラはパッと扉を開けて、護衛がエスコートするのも待たずに通りに飛び出した。
「おい!ダニエラ、危ねえって!」
ノアが後ろで制止するのも聞かず、ダニエラは通りを横切って小さな路地まで走り、呼びかけた。
「ジャック!」
呼ばれた少年は、懐かしい声に警戒も忘れて振り返る。
「ダニエラ?ダニエラなの?」
「そうよ」
「ダニエラ!」
ジャックはダニエラに駆け寄った。ダニエラはしゃがんでジャックを抱きしめる。
「牢から出たのね」
「うん、でも…」
ジャックは手に持っていたパンをさっと背中側に隠した。
「盗んだの?」
「うん…」
「妹のために?」
「ううん、自分のため。妹は僕が牢屋にいる間に死んじゃった」
「ああ、なんてこと…」
ダニエラはもう一度ジャックを抱きしめる。ジャックの髪はまた、出会った頃のようにベタベタしていた。
「盗んだことを謝りに行きましょう。私も一緒に言って、お金を払うから」
「でも…」とジャックはもじもじする。わかっているのだ。今ここで助けられても、また自分は盗みを繰り返すと。
(一度だけ助けても意味がない。継続的な支援がなければ、また元通り)
「あなたさえよければ…パン屋さんに謝ったら、私と一緒にプレンティス公爵領へ行きましょう」
「プレ…なんだって?」
「プレンティス公爵領よ。ここから馬車で1時間ほどのところで、これからいい土地にしていくつもりよ。そこであなたのことを守らせてくれないかしら」
「おい」とノアが声をかけた。
「ノア。ジャックよ」
「ああ、牢にいたガキか。でかくなったな」
「義賊ノアじゃん!」
「もう義賊じゃねぇ。今は公爵様だぞ」
「え…義賊ノアが公爵様になったの?」
「おうよ。そんでダニエラと結婚した」
「ええ!?僕がダニエラと結婚したかったのに!」
「残念だったな」
ダニエラは咳払いして、ノアが子どもと張り合うのをとめる。
そして「ジャックを公爵領で保護したい」と告げた。
「ジャックのように身寄りのない子どもたちが、生活に困らないような施設を作りましょう。衣食住を整えて、それぞれに合った教育も与えたいですわ」
「賛成だ」
ダニエラはジャックとその仲間たちをプレンティス公爵領へ連れて行き、生活の場と学校を併設した施設を作った。
「困っている子どもたちはたくさんいます。できるだけ早くかたちを整えられるように、既存の建物を活用しましょう」
「教員や管理人には、没落した貴族や商人の子弟を優先的に採用します。それから学問だけではなく、手に職をつけられるような課程もつくりましょう」
(子どもたちだけじゃなく、親世代への支援も必要だわ…)
公爵領に足しげく通って施設を整えていくダニエラに、赤毛の女性が「ダニエラ先生!」と声をかけた。
「マーサさん!」
(生きてた…マーサさん…!)
ダニエラはマーサの手を強く握り過ぎたことに気づき、「ごめんなさい」といって手を離した。
「会えて嬉しいよ…あ、もう公爵夫人と呼ばなくちゃね」
「ダニエラで構いません。ああ、本当に無事でよかった…」
「エリーやケンドラもいるよ。ノアや男どもが捕まってみんな散り散りになっちまったけど、最近ノアがみんなを探し出して、ここに集めてくれたんだよ」
「そうだったんですね」
「私には難しいことはわからないが、どうもダニエラ先生は公爵夫人として立派にやってるようだね。顔つきが違うもの」とマーサは笑う。
「まだまだです。マーサさんは今、何を?」
「エリーたちと一緒に、ダニエラ先生から教えてもらった刺繍を、ここの女たちに教えてるんだ。細々とだけどね」
「素晴らしいわ。どこでやっているんですか?」
「うちだよ。見ていくかい?」
「ええ、ぜひ」
マーサたちが指導している女たちの刺繍は、ダニエラが見ても素晴らしい出来栄えだった。
「素敵です。作ったものはどうしているのですか?」
「それが…」
マーサたちの顔は暗くなった。
「旅商人がここへ寄るたびに買い取ってくれるんだけど、二束三文でね」
彼女たちの受け取っている報酬は、到底納得できるものではなかった。
「だめです。正当な価格で購入してもらいましょう」
「でも、どうやって?」
「手っ取り早く、権力とコネクションを使います。そのために領主がいるのですから」
ダニエラは「大丈夫です。あなたたちなら職人として食べていけるようになります。私がしてみせます」と約束して、マーサの家を出た。
見送った女性たちは、「あれが公爵夫人?」「もっとお高くとまった人かと思ってた」と口々に言い、マーサやエリーは「だからいい人だって言ったろ」と得意げな顔をした。




