26.殻を破るとき
ダニエラが療養をはじめて数日後、アーサーが見舞いにやってきた。
アーサーはやつれたダニエラを見て一瞬息をのんだが、すぐに慈しむような微笑みを浮かべた。
ダニエラはやけに冷静に「さすが王太子殿下、仮面をかぶるのが上手ね」と心の中で思う。
「シャルロットも来たがったんだが、結婚式の準備が忙しくてね…とても心配していたよ。調子はどうだい?」
声には確かに愛情と優しさがあった。けれどダニエラは淡々と「ありがとうございます。お二人にご心配いただいて、それだけで元気になれるような気がいたします」と答えた。
心にもないことが、丸わかりだった。
アーサーの瞳に哀しみの色が宿る。アーサーは一瞬目線を下げて、次にダニエラに見たときには、ノアと同じ赤い瞳に決意を宿していた。
「ダニー…ダニエラ。私はずっと君を見て、ただただ心配しているだけだった。学園で君が助けを求めたときも、シャルロットとの婚約がダメになるのが怖くて逃げてしまった。あのとき…私なら君を助けられたのに」
(今更そんな話をされても…)
「もう過ぎたことです、王太子殿下」
「君を愛していたのに…君のために自分を変えることができなかったんだ」
ダニエラはぴくっと反応した。
「愛…?王太子殿下、何のお話を…」
「聞いてくれ。私は君を愛してた。今も愛してる」
「…」
「私は君を愛してるんだ」
アーサーはダニエラの手を取ろうとして、ためらって、手を引っ込めた。
「でも愛する人のために変われなかった。自分の立場を守ることを優先した」
アーサーの目には深い悔恨が見える。
「フィリクスもそうだ。フィリクスは自分は変わらずに…自分は身分を捨てることも妥協することもなく…自分の世界に君を無理やりあてはめようとした」
「…」
「けれど兄上は違う。君のために王宮に馴染もうとして、誰に何を言われても社交の場に顔を出し、自分の母親を殺した人と顔を合わせて。全部君と一緒にいるためだけに、だ」
その言葉に、ダニエラは目を伏せた。
「それを愛だと言わないなら、何を愛と呼んだらいいのか、私にはわからない」
(ああ、そうだわ。本当はわかっていたの。それが彼の愛の形だと…)
「…王太子殿下のおっしゃる通りですね」
アーサーは優しい目でダニエラを見た。
「私もわかっていたはずですのに…ずっと知っておりましたのに…」
「わかってる。今はフィリクスのせいで感覚が麻痺しているだけだよ」
「直るのでしょうか…」
「もちろん。君は変われる。君ならなりたい自分になれるよ」
ーーー
次の日から、ダニエラはすすんで食事を摂るようになった。メイドに手伝ってもらいながら庭を散歩して、日光を浴びる。庭で野菜を育てる。図書室で本を読む。
使用人たちは「野菜を育てる」と言いただした公爵夫人にぎょっとしたが、ノアは「懐かしいな」と笑いながら手伝った。
畑仕事をしながら、ダニエラはノアに言う。
「次の領地視察には、私も連れて行ってくださいませんか」
「体調は大丈夫なのか?」
「ええ。仕事がしたいんです。自分ができる仕事を。勉強もしています」
「わかった。でも抱え込んだり無理はしたりはすんなよ。俺も…あれこれ頭がいっぱいだが、それなりにやってるし」
「ええ。ありがとうございます…ノア」
ノアはびっくりして、ニヤッと笑った。
「ノアって呼んだな」
「はい」
ダニエラはそっと微笑んで、ノアは一瞬躊躇してから聞いた。
「聞きたいことがある」
「なんでしょう」
「俺がお前を苦しめてるのか?俺たちの結婚は、お前にとって不幸なのか?」
「違います」
ダニエラはしばらく迷ってから決心して、そっとノアの耳に口を寄せて、自分が嫉妬に狂っていたことと、その原因を打ち明けた。ノアは耳まで真っ赤になる。
「その…もっとしろって?」
「今はもうそう思っていません。あなたが私を大切にしてくださっていることを、今は頭でも心でも理解できていますから」
ノアは「はあ…」とため息をついた。
「我慢してたんだよ、負担をかけたくなくて。触れると我慢できなくなるし」
「…そう…だったのですね」
「お前が許すなら、今日からは我慢しない」
ダニエラは赤くなって頷いた。その瞬間に、ノアはダニエラに深く口付けて、そのまま彼女を寝室へ運んだ。




