18.別離
「じゃ、一週間ほど留守にするから。大きな動きはするなよ」
「わかってるって」
「新婚旅行、楽しんで」
「新婚じゃねぇって!」
「おいおい照れるなよ、ノア」
二人が旅行に出発する朝。二人が支度を整え、仲間たちから見送りを受けているときだった。
地鳴りのようなひづめの音が響いた。
見張りが声を張り上げる。
「騎士団だ!!」
大きな馬に乗り美しい制服を着た騎士たちが、アジトになだれ込む。
(どういうこと…?)
ダニエラは、現実をすぐに受け止められず、ただ茫然と目の前の光景を眺めていた。
テントが踏み荒らされ、仲間たちが怒りの声を上げる。男も女も武器をとり、子どもたちは泣きわめきながら逃げ惑う。
ダニエラははっとした。
「シエラ!エマ!こっちへ!」
「ダニエラ先生!」
ダニエラは駆け寄ってきた子どもたちを抱きしめて、自分のうしろに隠した。「大丈夫…大丈夫よ」と自分と子どもたちに言い聞かせながら。
(この子たちを逃がさなきゃ)
どこかに子どもたちを逃がせるルートがないか、周囲を見回す。
剣を抜いているノアと目が合った。
「お前も子どもと一緒に逃げろ!」
その瞬間、ダニエラの胸に強い感情が沸き上がった。
(嫌…嫌よ、私はあなたといたい)
それでも冷静に考えれば、子どもたちだけで森の中を逃げるのは危険すぎる。無事に逃げ切れたとしても、子どもたちだけで生きてはいけないだろう。
ダニエラの目から涙が溢れた。
これが自分たちの別れになる…そんな予感がしたのだ。
ノアはダニエラに向かって「愛してる」と、口の形だけで伝えた。ダニエラは「私も」と返す。
(愛してる…)
涙を拭いて、子どもたちに向き直る。できるだけ普段通りの声で。
「みんな、あっちの方角には騎士がいないわ。あそこから走って逃げるの。はぐれないように、一人にならないように。いいわね?」
子どもたちは素直にうなずき、ダニエラと手をつないだ。騎士団の目を盗んで森に入り、一気に駆け出す。生まれたときから森で過ごしている子どもたちが、ダニエラを先導する。
早く、できるだけ遠くに。
「待て!」
鋭い声が響き、ダニエラの腕が後ろに引っ張られた。
「っ…!」
「ダニエラ先生!」
ダニエラが捕まったのを見て、子どもたちが一斉に足を止める。
「みんなは逃げて!振り返らずに逃げなさい!」
「無駄だよ、包囲してあるから。逃げて捕まるより、僕たちと一緒に来たほうがいい」と、落ち着いた、聞きなれた声がした。
「フィリクス様…?」
「そう。僕だよ」
「どうして…どうしてここに…」
「どうしてって?君を迎えに来たんだ。約束したろ?用意が整ったら迎えに行くって。こんなところで盗賊と一緒にいるなんて、君らしくないよ」
ダニエラはフィリクスを睨んで「私らしいって何ですか?」と問おうとしたが、フィリクスの様子がおかしいことに気づく。何かにとりつかれているかのように、尋常ではない雰囲気をまとっている。
まるでダニエラの母のようだ。
ダニエラは本能的に「彼に逆らうのはまずい」と理解した。
「君を探すためにさ…すごく苦労したんだよ。上司を説き伏せて捜索団を組織して…盗賊団から追い出されたとか言う女にも話を聞いて、ようやくアジトの場所がわかってね…」
(リズさん…!)
「でも君に会えて苦労が報われた。さあ、僕らの家に帰ろう。あ、もう僕は公爵だよ。この盗賊団壊滅は起きな手柄になるから、君が望む通り外務省にも入れそうだ」
(私はそんなこと望んでない…!あなたには何も望んでない…!)
「ああ、愛人になる君のために、屋敷も用意したよ。君の好みに合わせてこじんまりとした屋敷をね。でも質素ってわけじゃないよ。内装には僕なりに気をつかったつもりだ。きっと気に入ってくれると思う」
フィリクスは「乗って」とダニエラを自分の馬に乗せた。ダニエラの後ろに自分が乗り、ぴったりと身体を寄せてくる。ダニエラは気分が悪くて身震いした。
それでも、今ここで彼に逆らうわけにはいかない。盗賊団の命を握っているのは彼だからだ。
「フィリクス様、子どもたちと盗賊団のみなさんを…」
「ん?」
「大人は殺さないで…子どもたちは保護してくださいませんか」
「どうしようかな?ダニー次第だね」
「私…次第…?」
「そ。リズとかいう馬鹿な女に、君が義賊ノアと恋仲だって聞いたんだけど、そんなの嘘だよね?そんなの、僕に対する裏切りだよね?」
「…!」
「君が僕を裏切っていないなら、君に免じて盗賊団の皆殺しはなしにしてもいい」
フィリクスはダニエラの耳に息を吹き込むように話し、ダニエラはまた身震いした。
フィリクスは子どもたちが着いてきやすいようにだろう、ゆっくりと馬を歩かせてアジトまで戻ると、優雅な仕草でダニエラを馬から下ろした。
アジトではノアをはじめとする盗賊団のメンバーが、縄につながれ座らせている。地面に倒れているメンバーも何人かいる。殺されたか、瀕死なのだろう。
「ノアさん…」
「ダニエラ…」
視線をかわす二人を見たフィリクスの中で、なにかがぷつりと切れた。
「ダニー、やっぱり僕を裏切ってたのか?」
「フィリクス様…!ノアさんは…」
「気安く他の男の名前を呼ぶな!」
ダニエラはビクッとして動きを止めた。
「ダニー、君は僕と一緒に帰るんだ。僕たちの家に。そしてここであったことはすべて忘れろ。ノアに出会う前の君に戻れ。そうすればノアも子どもも殺さない」
ノアは歯を食いしばり、「ふざけんな」と吐き捨てる。
「ふざけてなどいないよ。どうする、ダニー?」
ダニエラは目を閉じてカタカタと頷いた。フィリクスは満足げに笑って、ダニエラの唇にねっとりとキスをした。
何かが壊れていく音が、ダニエラの胸の奥で静かに響いていた。