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14.私は特別じゃないから

観覧車を下りても、少しノアはフラフラしていた。


「ベンチで休んでください。私、少しお金を持ってきたので、飲み物を買ってきます」

「いい」


ノアはダニエラの手を掴んだ。今ここでダニエラを行かせたら、彼女が雑踏に消えて戻ってこないような気がしたのだ。


「ここにいろ…いてくれ」

「わかりました。あの…観覧車に乗りたいなんて言って、我がままに付き合わせてしまって申し訳ございません」

「乗ると決めたのは俺だ。それに…お前と一緒に乗るなら高いところも悪くない」


その言葉を勘ぐらないほど、ダニエラは鈍感ではなかった。高価そうなマントも、自分に向けた好意の証なのだろうと思う。


(でも…だめ。期待しちゃだめ。彼はヒーローだけど、私はヒロインじゃないもの)


ベンチに並ぶ二人の前に、身体の前に商品箱をぶらさげた商人が近づく。


「若いお二人さん、花祭りの薔薇香水はもう買ったかい?」


きょとんとするダニエラに、ノアが「花祭りで買った薔薇香水を使うと、いいことが起きるらしい」と言った。


「そんな言い伝えがあったのですね。勉強不足で知りませんでした」

「ここ数年の話だ。おおかた香水屋の策略だろうよ」


「そんなことありませんよぉ」と商人がおおげさに手を振った。


「お願いしますよ、俺も子どもに王都の花祭りの土産を買って帰ってやりたいんです。どうかひとつ、頼みます」


ダニエラはノアが止めるのも聞かずに、商人の泣き落としに負けて、飲み物を買うつもりだったお金で香水を買った。


「毎度あり」


商人は意気揚々と、薔薇の花の絵がついた香水の瓶をダニエラにひとつ、そしてノアにもひとつ手渡す。


「え、ノアさんにも…?」

「ああ…」


ノアは言いづらそうに口を開いた。ダニエラが香水を買うとは思わなかったので、さっきは言わなかったことがあるのだ。


「花祭りの薔薇香水は、ふたつセットで…恋人と揃いなんだ。二人で同じ香水を使うと、永遠に結ばれる…とか…なんとか…」


ノアはダニエラが「返して」とか「やっぱり返品する」とか言わないうちに、自分の首筋に香水をふりかける。


「安っぽい匂いだな。いかにも祭りの土産って感じだ」


そう言いながら、大事そうに瓶をポケットにしまった。


「恋人同士のものだ」と聞いてどうしようか逡巡しているダニエラの手から、ノアは瓶を取り上げた。


「あ…」


手早く蓋を開けて、ダニエラの手首に香水をつける。


「せっかく買ったんだから使え。もう返品もできないし、使わないともったいないだろ?」


(もったいない…そうよね)


「はい」


ノアは「回復した。行くか」と立ち上がった。彼の頬と耳が、ほんのり赤くなっているように見えた。


ーーー

(花祭り、楽しかった…)


次の日、ダニエラが刺繍をしていたとき、突然リズがダニエラの背中を押した。


刺繍針がちくりとダニエラの指を刺す。しかしダニエラは「ああ、針が刺さった」としか思わない。痛みに慣れ過ぎているのだ。


「リズさん、どうかされましたか」


ダニエラは落ち着いてリズに向き直る。


「いい気になってんじゃないわよ」

「どういう意味ですか?」

「は?あんたがノアと二人で花祭りに行ったの、知らないとでも思ってんの?どうせノアにあざとく泣きついたんでしょ!花祭りに行ったことがないから連れてってくれって」

「違います。私からノアさんにお願いしてはいませんよ」


静かで、しかし凛とした態度に、リズの手が震えた。


「じゃあこの安っぽい薔薇の匂いは何?さっきノアと話した時も同じ香水の匂いがした。ノアがお揃いで薔薇香水を使うなんて」

「私が意味を知らずに買ってしまったんです。ノアさんはもったいないから使えばいいと言ってくださっただけですよ」

「私とは…私がいくら頼んでも一緒に使ってくれなかったのに…!」


リズの目には涙が光っていた。


「あんたはノアにとって特別なんだ」

「…違いますよ」


ダニエラは静かに、けれどきっぱりと否定した。


「彼はみんなのヒーローでしょう。ヒーローが好きになるのは特別なヒロインだけです。とりえのない、落ちぶれた、心の醜い私のことなんて、好きになるはずありません」


リズはダニエラの表情を見て、言葉が出なくなる。


(本気でノアが自分に惚れるはずないと思ってるんだ。そんな女に私は負けた。ずっとずっとノアのことだけが好きだったのに…!私が一番…誰よりも好きなのに!)


リズはダニエラを突き飛ばして立ち去った。ダニエラは尻もちをついた拍子に、ドレスが破れてしまったことに気づく。


(困ったわ。刺繍でつなぎ合わせてごまかせるかしら。でも面倒ね)


母親に服を破られたことは何度もあるから、対応は慣れっこだ。だが慣れているがゆえに面倒さもわかり、ダニエラはため息をついた。


翌朝、彼女が一部だけ補修した破けた服で洗濯をしていると、アジトで暮らすケンドラが声をかけた。


「ダニエラ先生、服が破れたのかい?」

「ええ、うっかり転んでしまって。昨日、時間の許す限り補修したのですけれど」

「ノアに買ってもらいなよ」

「いけません。お代を払えませんし、何もお返しできませんから。先日もマントをいただいたのに、何もお返しできていないんです」

「ふーん」


ケンドラはそれきり何も言わずに自分のテントへ戻っていったが、昼頃になるとドレスを持って現れた。何種類もの布が縫い合わされている、パッチワークのドレスだ。


「良かったらこれ着な」

「えっ…これ…は…」

「いつもダニエラ先生にお世話になっているみんなで、布を持ちよって大急ぎで作ったんだ。だいぶん騒がしいドレスになっちまったけど」


ダニエラはおずおずとドレスを手に取って、ぎゅっと抱きしめる。


「…ありがとうございます。どうやってお礼をしたらいいのか…」

「これは、いつも世話になってる私たちからのお礼だよ」

「本当に…ありがとうございます。こんな素敵なドレスは初めて…大事に着ます…」


ダニエラの目が潤むのを見て、ケンドラはポンポンとダニエラの肩を叩いた。


「みんなダニエラ先生のことが好きだよ」


夜、ノアが新しいドレスを買って帰ってきた。流行の形で、華美にならない程度に美しい装飾が施されている。知的なダニエラに似合いそうな、深いグリーンのドレス。


「服破れたんだろ。買ってきたぞ」

「ありがとうございます。でも私には、みなさんが作ってくれたドレスがありますから。ノアさんの厚意を無駄にしたくはありませんが、私はこれがいいんです」


ダニエラは、自分が着ているパッチワークドレスを心底嬉しそうに見つめる。お世辞にも似合っているとは言えないが、ノアはしばらく黙ったあと、小さく笑った。


「そうか。ならいい」

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