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12.母

ノアの仲間たちと一緒に野生動物を串にさして焚き火を囲む中、ダニエラの心だけがどこか遠くにあった。


元気な子どもたちの笑い声も、今日はどこか薄れて感じる。


(お母様、どうしているかしら…)


アジトには親子連れもいる。母親が子どもを叱ったあとに、泣いてしまった子どもを抱きしめる様子を見て、久しぶりに母の顔が思い浮かんだ。


あの錯乱した目、震える声。それに連なる、焼けつくような痛みの感覚。


そしてまだ自分が幼かった頃、朗らかで美しかった母の姿と、クッキーの匂い。


(保存食は十分あったはずだけど…ああでも、家賃の集金がそろそろ来る頃だわ…戻らなきゃ、家賃を払えないとお母様が家を追い出されてしまう)


夜が更けたころ、皆が眠るのを待って、ダニエラはそっとアジトを出た。


(確か、このけもの道を通ってきたはず)


だが都会育ちのダニエラに、深い森は手に負えなかった。


(あら、ここはさっき通ったような…)


(ええと、月はあっちだから…)


(迷った…わよね…これは…)


そのときピシッと枝の折れる音がして、ダニエラはビクッとして振り返った。月明かりに照らされた木立の中、ノアが立っている。赤い瞳が獣のように光る。


「様子がおかしいと思ったら…どこ行くつもりだ」


ノアはあっという間にダニエラとの間合いをつめた。赤い瞳が彼女を射すくめる。


「ここでの暮らしが不満か?」

「いいえ!ただ母の様子を見に行きたくて…」

「はあ…」


ノアはため息をついた。


「お前を殴ってた母親じゃないのか?顔に傷をつくってたの、母親のせいだろ?」

「…」

「それに、家から救い出してほしいと言ってたじゃないか」

「でも…でももうすぐ家賃の集金があるんです。お金が払えないとお母様は家を追い出されてしまいます。家の中に隠していたお金があるから、せめてその場所を伝えないと…」


ノアはしばらく無言だったが、やがてため息混じりに肩をすくめた。


「俺も行く」

「でも…」

「お前ひとりじゃ、森から出ることも、アジトに戻ることもできねえよ。今も迷ってだろ、どう見ても」

「確かに…そうですね」


ーーー

たどり着いたあばら家の扉には、鍵もかかっていなかった。


中に足を踏み入れると、かび臭さとどんよりした空気。床には保存食の空き容器が乱雑に転がっている。


ダニエラは汚い家の様子を恥じ入りながら、ノアに「外で待っていてください」とお願いした。


ゴミを避けながら、母親の部屋に向かって歩いていく。


「お母様…?」


彼女がためらいながらそう呼びかけると、ガタガタと音がして部屋のドアが乱暴に開いた。


「裏切り者!!おまえ、フィリップを奪ったね!?そうでしょう!?あの人が返ってこないのはお前のせいでしょう!?あの人はわたしのものなのよォォ!!」


エイメリーはダニエラの首を掴み、首に親指を食い込ませる。


「ぐっ…がっ…」


ダニエラの身体はすごい力で壁に押し当てられ、物音で異変を察知したノアが家の中に入ってきた。


「おい、落ち着け! ダニエラを離せ!」

「許さない許さない許さない!この女の味方ならお前も敵だ!許さない!」


ノアが彼女を取り押さえ、暴れるエイメリーに薬を打った。ダニエラはノアの腕を掴む。


「お母様に何をしたんですかっ?」

「鎮静剤だよ」


母の意識が薄れるまで、ほんの少しの時間だった。


「2時間くらいは寝てるはずだ。仕事でよく使ってるが、副作用が出た奴は見たことねぇ。心配すんな」


ダニエラはノアに手伝ってもらいながら母をベッドに寝かせ、できる限り家の片付けと掃除をして、床下に隠していた現金を取り出してテーブルの上に置く。


(本当はローガンが帰ってきたときの学費として貯めていたお金だったけど…ごめんね、ローガン)


ダニエラは大家と母親に「当面の家賃を前払いする」と手紙を書いて、家を出た。ノアはダニエラが家を出てから、そっと「何かあれば義賊ノアが助ける」と流麗な文字で追記した。


ーーー

ノアとダニエラはけもの道を戻っていく。


「もう戻るなよ。あんな母親のとこへ」


ダニエラは、しばらく何も言わなかった。そして、ぽつりとつぶやいた。


「今は良くない母親かもしれませんが、病気のせいなんです。昔は楽しい人だったんです」

「そうやって過去にすがってたら、いつまで経ってもお前は救われない」


ダニエラの無表情を、ノアは苦しげに見守っていった。親指の跡が残った白くて細い首に手を伸ばそうとして、手を引っ込める。


「どんだけ思い出がきれいでも、あの母親がお前にしてきたことは帳消しにはならねえだろ」

「…」

「目の前にいる母親を、公平に、公正に、ひとりの人間として見てみろ。軽蔑するならしたっていいんだ」

「親を軽蔑するだなんて…」

「そりゃ辛いよ。クソみたいな親から生まれた自分を否定したくもなる。だけどそうしないと前に進めないこともあるんだ」


そう言ったノアの横顔は、どこか遠いところを見ていた。


(ノアさんも、家族のことで辛い思いをしてきたのかしら)


だがダニエラは、それ以上聞けなかった。聞けば自分のことも話さざるを得なくなる。


母親の元に戻ったのは義務感からだけで、心底母親を心配していたからではないこと。何度も母親を捨てたいと思ったこと。すべてをさらけ出すことになる。


けれど、自分が思いやりのない人だと思われるのは嫌だった。

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