11.居場所
ダニエラはノアの背中におぶられて、森の奥深くへと運ばれていた。疲れているはずなのに、眠ることはなかった。ただ、彼の背中から伝わる体温と風の音を感じていた。
やがて森の切れ間に現れたのは、粗末ながらも人の営みの気配がする場所だった。たくさんのテントが大きな焚火の周りに並んでいる。
「着いた。疲れたか?」
「いえ…」
ノアはダニエラをゆっくりと降ろすと、テントの扉を開けた。中から数人の男が顔を出して、順々にノアと仲間同士のハグをした。
「ノア、 無事でよかった!…って、その女は?」
「世話になった人だ。今日からここで暮らす」
義賊たちは、まだうっすら雪が残る地面に下ろされたダニエラを、あからさまに値踏みするような目で見ていた。
ノアはただ一言だけ、はっきりと告げた。
「ダニエラは恩人だ。手を出す奴には容赦しない」
その言葉で、誰も何も言い返さなかった。
ノアは赤毛の中年女性に「マーサ、ダニエラの世話を頼む。いろいろ教えてやってくれ」と告げ、マーサと呼ばれた女性は「はいはい」と肩をすくめた。
ーーー
ダニエラがアジトへ来て数日が過ぎた。
寝床は干し草の上に毛布一枚、食事は野生動物の丸焼きが主で戸惑ったが、意外に快適な暮らしにダニエラは驚いた。
(自分の常識を疑う必要があるみたい)
「お姉ちゃん、字、書ける?」
マーサの手伝いで洗濯を干していると、小さな女の子が声をかけてきた。金髪に、好奇心いっぱいの瞳。どことなくアンに似ている。
「ええ、書けるわよ」
「教えて欲しいの」
「喜んで。紙と鉛筆はどこ?」
「紙と鉛筆?なにそれ」
ダニエラは「まあ」とつぶやいて、枝で地面に字を書くことにした。
「何を書きたいの?」
「自分の名前」
「そうなのね。あなたの名前は?」
「シエラ。ノアがつけてくれた」
「シエラね。Sのシエラかしら、Cのシエラかしら。たぶんSだけど…」
(間違って教えてはいけないわよね)
ダニエラは周囲を見回してノアを探した。シエラに「ちょっと待ってて」と言ってノアに駆け寄る。
「ノアさん、シエラの頭文字はSで合ってますか?それともCですか?」
「は?」
「ノアさんが名付け親だと聞いたので。シエラは自分の名前を書けるようになりたいそうなんです」
「考えたことねえよ。どっちでもいいだろ」
「よくありません!名前はとても大事です!」
ノアはダニエラの怒ったような表情に吹き出し、「じゃあSで」と言った。ダニエラはシエラのもとに駆け戻って、地面にSから始まる「シエラ」を書いた。
「あなたの名前よ。きれいね」
「…うん」
「山脈という意味よ」
「山脈って?」
「山脈と言うのはね、山がこういう形に…」
シエラは毎日ダニエラに字や言葉の意味を習うようになり、大人も含めて生徒が増えていき、いつの間にかアジトには鉛筆と紙も置かれるようになった。
ダニエラから「貴族の刺繍」を習い始める女性もいた。いつの間にかアジトには、上質な刺繍糸と布も置かれるようになった。
ダニエラはすっかりアジトの「先生」になっていた。その光景を少し離れたところから見ていたノアは、自分が微笑んでいることに気づいて、表情を引き締めた。
(なんだ…これ)
そして嬉しそうに微笑むノアを見て、歯噛みする少女がいた。
リズ。
ノアに想いを寄せる彼女は、ダニエラをじっと睨みつける。
「あんたさ、ノアに媚びてんの?」
その言葉は、明らかな嫉妬と怒りを帯びていた。
「すっかりこのアジトに馴染んで、先生気取り?」
ダニエラは困ったような表情を浮かべた。貴族たちから向けられる嫉妬は回りくどい分、いなすのも簡単だが、直接的に攻撃されるのには慣れていない。
(どう答えたら正解かしら)
「…」
黙っているダニエラに、リズの怒りは募る。
「ふん!ノアの好みじゃないわよ。お淑やかな貴族のお嬢様なんて」
「…ノアさんの好みを気にしたことはありませんし、彼の好みになろうと思ったこともありません」
リズはカッとなった。
「わざわざノアの好みに合わせなくても、自分は好かれてるって言いたいわけ!?」
「ノアさんに好かれている?私がですか?」
「とぼけないでよ!私、あんたみたいな澄ました女って大っ嫌い!」
リズは鼻の穴を膨らませて、ダニエラに背を向けて走り去っていった。
マーサが「あんまり気にしなさんな。あの子はノアに惚れてるから、あんたに嫉妬してるだけだ」とダニエラに声をかける。
「ノアはあの子のことを妹ぐらいにしか思ってないのに、諦められないんだよ。性格もきつくてねぇ…」
「私は大丈夫です」とダニエラは微笑んだ。