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大丈夫、直ぐ解ける呪いだから

作者: たろんぱす

ノリと勢いで読んでいただけましたら…と思います。よろしくお願いします。


 3カ月前、父が亡くなった。


 小領地と言えど我が家は子爵家で、悲しみに暮れる間もなく私は仕事に追われる事となった。

 幸いだったのは、私には婚約者がいた事だろうか。喪中は同居して仕事を手伝ってくれ、明けたら結婚しようと約束した。

 慣れない仕事に疲れた私を随分支えてくれて、優しい人だった。


 …だと、思っていた。




「は?お母様、今なんて?」


 仕事中の執務室へ後妻である母と異母妹、婚約者が一緒に入って来て母は言った。


「クラリスがね妊娠してしまったみたいなの。そのお相手がセドリック様でね…。大変申し訳ないんだけどルベルさん、家督をクラリスへ譲ってくれないかしら」


 婚約者のセドリックを見ると、気まずげに視線を逸らされた。コ ノ ヤ ロ ウ 。


「妊娠…は、わかりました」

(いや、納得はしてないけどね!?)


 話が進まないので、言いたい事はとりあえず呑み込む。


「で、でも何故家督を譲る事に?飛躍しすぎではない?」


 私がそう言うと、義母はハンカチを取り出して口元を押さえ、涙声を出した。


「何故ですって!?クラリスを愛人や未婚の母にしろと言うの!?セドリック様のご実家とは家同士の契約ですもの、破棄なんて出来ないわ!でも相手がクラリスになれば全て丸く収まるの!血の繋がった実の妹なのよ?その幸せを願って当然でなくて?まさかクラリスを独りで追い出したりはしないわよね?」


 自分の口の端が引き攣る。

 視線をクラリスへスライドすると、眉尻を下げて心配そうに水色の瞳を潤ませていた。亡き母似の地味顔な私と違って、父似の美しいクラリスはそれだけで庇護欲をそそる。くっそ可愛いなぁ、もお!

 もう一度婚約者を見る。奴は覚悟を決めた、使命感溢れる顔で私へと謝罪した。


「すまない、本当に済まない。だけど私はクラリスを愛してしまったんだ。こうなった責任は私にある。なのでルベル、君の嫁ぎ先を手配しておいた」

「っはあ!?」

「私の友人の兄の上司の幼馴染の甥が嫁を探していると聞き、私は君を推薦したんだ」

「つまり赤の他人に私を押し付けたって事?」

「家柄は保証する!持参金も要らないそうだ!頼むルベル!私達の愛に免じて!この通りだ!!」


 頭を深く下げる婚約者に馬鹿馬鹿しい、そう一蹴しようとしたらメイドがドアを開けて知らせに来た。


「大奥様、荷積みが終わりました」

「わかったわ。さ、ルベル出発よ」

「はああぁぁあ!?」


 背中を押され執務室から追い出される。廊下にいた執事が気の毒そうに近づいて来て、そっと包みを手渡される。


「お元気で…」

(お前もグルかっっっ!!)


 包みの中はパン1個。

 頭に来た私は廊下を猛ダッシュした。ワインセラーへ行き、亡き父のコレクションから高そうなワインを2本引き抜いた。パンは脇に挟む。潰れない、固いパンだなぁ!もおぉ!

 近くにオープナーもあったので、ふんだくってポケットへ仕舞う。大事、大事。


 両手に酒瓶をぶら下げて玄関ホールへ現れると、義母たちはギョッと肩を上げた。


「ル、ルベルさん、それは?」

「こんなに急なお別れですもの。お餞別はお屋敷にあるものでいいわ…。わ、ざ、わ、ざ、用意出来なかったんですもの、ね?」


 据わった目で小首を傾げると義母は「そ、そうね」と答えたが、ワインの価値を知ってる婚約者だけは口をあんぐり開けて叫びそうな顔をしていた。はんっ。


「ではご機嫌様」


 酒瓶と共に私は馬車に乗り込んだ。

 恙なく出発し、馬車は進む。自領を出た辺りで私は頭を抱えた。


「………やってしまった…!」


 次期領主として父から散々『直しなさい』と言われていた悪い癖が、悪いタイミングで悪い方向に出てしまった。

 ひっつめていた髪を解く。パサつきゴワゴワの髪を手櫛で整える。


「お父様ごめんなさい。ルベルの短気は直りませんでした…」


 屋敷を出る前に出来ることがもっとあったんじゃないの。酒瓶を掴む事でなく。


「ああ、もっと罵っておけばよかった…!」


 前言撤回、結局短気。

 両掌に顔を埋める。


「セドリック…」


 短気な私をいつも宥めてくれて、優しく穏やかで、いい夫婦になれると思っていた。

 …好きだった。


「うっ…うえ〜ん…」


 好きだったのに!結局男はクラリスみたいなお淑やかで可愛い子がいいのよ!

 執事だって!私を支えるのが仕事じゃないの!?メイドは母の言うことばっか聞くしさ!


「うっ…ふぇ、うっ」


 泣きながらワインの封を切る。コルクを抜いて瓶に口を付けた。


「うっ、うっ…ごくごくごく、ぶはぁーー!!」


 そりゃ私はまだまだ未熟だし、頼りないかも知れないけど、頑張ってるつもりだったのに。


「ひとりよがり…だったのかなぁ」


 次から次へと流れる涙をワインで雪ぐ。


 一本空ける頃には綺麗な満月が昇ってきた。


「わぁ、きれいねー」


 もう一本のワインも開けよう。

 ふわふわする頭で、「そうだ!」と思い御者台への小窓を叩いた。


「ねぇねぇ!ねぇー!いっしょにワインはいかが?」


 小窓から御者がちらりと苦笑するのが見えた。


「すみません、私には妻と子供がおりまして。安全運転させて下さい」

「じゃーしょーがないわねー」


 コルクを抜いて再び呷る。


「…おくしゃんとこども…かわいい?」

「ええ、とても」

「そっか……そっかぁ…。わたしもなりたかったなぁ…」


 てか、やっぱり信じられない。


「つーか、その日においだすとか、なんなん!?母はわかんのよ!昔からあんまわたしのことかわいがってくれなかったし!クラリスがかわいーのもわかんのよ!あの子はかわいい!!姉の私がゆーんだから間違いない!だけどセドリックはなんなん!?ねーねー!御者さん!!男ってそうなの!?婚約者に大事にするよっていーながらさぁ!その妹くどけんの?」

「さっ、さぁ。私には無理ですが…」

「でっしょー!?ああー!また腹立ってキタァ!!」


 ワインを一口飲み、そうだパンがあったんだと包みを開ける。千切ろうとしても無理で、齧っても歯が立たない。パンにセドリックの顔が被って見えて無性に腹立つ。


「このヤロー!」


 苛々してオープナーの封切りナイフを思いっきりパンに突き刺した。

 え…気持ちいい。


「あは、あはは、あははははは!!」


 胸が高鳴るまま、どすどすと繰り返し突き刺してやる。穴だらけになったパンに親指を突っ込むと、やっと引きちぎることが出来た。

 大きめのかけらを口に詰め込む。


「はまーみろ!へどりっくぅー!!」

「あの、お嬢様着きましたよ…」


 馬車はいつの間にか止まっており、控えめにドアが開けられた。


「へぇーい」


 ぐてんぐでんの頭で馬車から降りると、目の前には煌々と灯りが灯るお屋敷が聳えていた。


「あっかるぅーい!」


 キャッキャとはしゃいでいると、暗がりからひとりの男性が姿を現した。夜空に溶け込みそうな宵闇色の髪は月がとても映える。顔は三重にぼやけて見えてよくわからない。


「本当に来た!ははっ、募集してみるもんだな!」

「えーと、はじめましてぇ。ニースししゃくりょうのぉ、ルベルでぇーす!」

「オレはアーシュ。呪術専門の研究家だ。よろしく」

「へー」


 手を差し出されたので、反射的に握手した。


「呪術の実験に付き合ってくれる人を探してたんだよね…ってうわ!」


 握った手に影が落ちない様にアーシュは手を明るいとこまで挙げる。


「何で血まみれ?」

「えー?ほんとにぃ?ぜんぜんいたくなーい!すごーい!」


 パンを刺している時に何度か手が滑った気がするから、それかもしんない。


「何で君そんなに酔っ払ってるの?」

「え、きいてくれるの?きいてきいてー!じつはね…」


 私がご機嫌で話始めると、アーシュはそのまま手を引き、屋敷へとエスコートを始めた。されるがまま導かれる。


「うん、それで?」

「そのまま追い出されちゃったの!しんじらんないでしょ!?」

「それでヤケ酒か。ルベルはセドリックが好きだった?」


 アーシュの質問に、優しく微笑むセドリックが浮かぶ。


「すき…」


 ほろっと涙が溢れ落ちると、アーシュが冷たい何かでその涙を拭き取った。


「なに?」

「持ってみる?」


 手渡されたのは石だった。ツルツルに磨かれた真っ黒い石。

 涙が付いた部分を触ると、手に残る乾きかけの血が溶け交じった。


「大好きで憎い、彼の名は?」


 回らない頭で聞かれるまま答える。


「セドリック」

「君の嫌いな生き物は?」

「ウシガエル」

「呪術成立だ」


 黒い石は禍々しい光を放ち掌で溶け消えた。

 四重にぼやける彼の顔が、ニタリと笑った気がした。





「いや、ちょっと待ったあぁぁあーーー!!!」


 掛布団を跳ね除け、勢いよく起き上がった。

 はぁはぁと上がった息を整えて、窓の外へ目を向ける。燦々と降り注ぐ日差しが暖かい。


「え、夢…?」


 そしてゆっくり視線を巡らすと全く見覚えのないインテリア達が目に入った。白を基調とした高級そうな家具だ。


「何処ここ」


 思い出せ、思い出せ…!

 追い出されて、酔っ払って……っ!


 記憶の糸を掴んだ所でノック音がし、ベッドの上で飛び上がる。物音を聞いたメイドが「失礼します」とドアを開けるのに合わせて、私は勢いよくベッドから飛び降り平伏した。


「申し訳ございませんでしたあぁぁ!!」

「きゃあぁ!?えっ!?何事です!?ちょ、誰か…誰かー!」





「で?何の騒ぎなわけ?」


 騒ぎを聞きつけて呼ばれたのは、色白でシルバーフレームの眼鏡を掛けた切長の目の男だった。宵闇色の髪で全体的に冷たそうな印象だ。


(この髪色!多分この人だ!)

「昨日は大変失礼致しました!」

「あ、酔いが覚めたんだ」


 再びガバリとふかふかの絨毯に額を沈める。そしてそのまま、昨夜の恐ろしい出来事を訪ねた。


「で、ですね!私、昨日…昨日、なんか?婚約者を?ウ、ウシガエルにしたような…?しないような?そんな願いを言ったような?なんか変な記憶があって………お願いします!してないと言って!!」

「したよ」

「いやあぁぁあ!!」

「“妹は蛇になぁれ⭐︎”だって」

「っっっっっ!?」


 待って、それは記憶にナイッ!!


「くくっ。ベロンベロンだったもんね」


 顔面蒼白になった私を男は面白可笑しそうに見下ろした。ニタリと目を細めると、頭脳派な見た目なのに全然スマートじゃない。不気味な類。コワ。


「それで君、オレと結婚するつもりで来たって?」


 お願い。もう一回気絶させて…。




 身支度を済ませて改めて朝食の席に着く。配膳を受けながらお腹は正直でぐぅぐぅ鳴っていたが、顔は生真面目を保つ事に集中する。


「記憶が飛んでるみたいなんで、もう一回自己紹介するね」

「は!ご配慮痛み入ります」

「オレはアーシュ・マレディオン。モディク伯爵ってのをしてる。モディクの称号は国立呪術研究所所長に付ける爵位だ」

「は、伯爵様でございましたか。存じ上げずに参りまして誠に申し訳ございません」

「何その喋り方」

「は!父が公の場で話す時はこの口調でと言っていたので」

「騎士か。変だよ。不自然だよ。普通に話して」

「承知しました」


 やっぱ変なんじゃん。父め。


 ソーセージの載ったプレートが目の前に置かれる。あくまで視線はアーシュに向けたまま真顔で、視界の下方にあるソーセージの存在感を捉える。じゅる。

 お腹がぐうぅ〜と一際大きい音を立てる。


「国立呪術研究所ってのは、古代の失われた呪術…今で言う魔術だね。古魔術とか言ったりするんだけど、その術式が使われた遺物の解析や、現代への復古・活用を目的とした機関なんだ」


 なんか話長そうだな。

 そう思っていると、メイドさんがデザートの配膳も始めた。

 え、ちょっと!それってイチゴ!?イチゴじゃない!?やだ、大好き!!いーち、にーい、さん。3個?もう一声!!


 私の眼圧を受けたメイドさんが、温い笑顔でイチゴを5個配膳してくれた。

 すきっ!!


「オレはこの古魔術遺物の可能性やロマンにぞっこんなんだけど、最近成果が芳しくないとかで経費削減されたわけ。それで副業で簡単な古魔術を利用した商品を売り出したら、裏御婦人・御令嬢界隈で大ウケしてさ。最初に売ったのは定番の媚薬。効果は8時間しか持たないんだけど、夫婦とかも盛り上がるって安定の売り上げなんだぜ」


 れっれれれ練乳!!練乳も!?掛けてくれるの?あっあっそんなに…!くぅ〜…すきっ!!!


 テーブルの下で熱く拳を握る。


「で、次の商品として開発したのが、君も昨晩使った相手を別の生き物に変えちゃう呪い石。と言っても解呪は超カンタン!恋人じゃ無くても親兄弟、家族でも大丈夫なんだけど、まぁ愛し愛されてる相手とキスをするだけなんだ。この“愛”を感知する魔術式が中々難解でね〜。そのまま切り取って流用してるんだけど、どうしてこんな術式になるんだかもーさっぱり。で、商品化にあたっての問題はその後で………ねぇ、きいてる?」

「へ?あ、はい!」


 いかんいかん。

 呪術研究所所長様はロマンにぞっこん、媚薬が大ウケ、キスが難解。大丈夫、大丈夫。聞いてた。


「まぁいいや。この愛を感知する魔術式と別の生き物に変える魔術式を同時に組み込むと、どうしても呪い返しが発動しちゃってさ。症例増やしたいから実験に協力してくれる人を探してたんだ。…けどどういうわけか叔父が「嫁を探してる」って勘違いしちゃったみたいだねえ〜」

「はぁ。…あの、頂いてもよろしいですか?」

「………どうぞ」

「いただきます!もぐっ!…う〜ん!美味しい!!……………………えっ!?呪い返しって何!?」

「遅」


 キリッとした知的顔全面に呆れを滲ませて、伯爵所長様はサラダを食んだ。


「んっ!?実験!!??結婚はっ!?」

「だから勘違いだよ。因みに酔っ払ってベロンベロンだった君は契約書にサインして、既にオレの実験体になったよ。酔いが醒めてからでいいと言ったんだけど。ま、君が呪い石を血塗れにして呪いが発動しちゃったってのもあってね」


 伯爵所長様は不謹慎にもニタリと笑んだ。


「呪いをかけられた相手が呪いを解くと、呪い返しが発動する。契約上君は経過観察される立場にあるので、呪い返しの程度を観察させてくれ。ここにいる間は衣食住は保証するし、無事終了した暁には十分な報酬も用意しよう」

「ま、待って!私、妹も呪ったの!?…そんな、お腹の子供はどうなったの!?」

「?妊婦?それはない。一つの術式には“対象は1人”と組み込んである。イレギュラーがあれば呪いは失敗。そのまま呪い返しが飛んでくるはずだ。だが君は未だ呪い返しを受けていない」

「妊娠、してない?……はあぁ?妊娠してないぃ!?」


 ソーセージを切ろうとしていたナイフを勢いでパンに突き刺す。そのままぐりっとパンを抉った。

 伯爵所長様は頭を傾けて不思議そうに言った。


「昨夜も思ったが君は短気だな。本当に領主だったのか?向いてなかっただろう」


 ぐさっ。

 沸騰した頭が瞬間冷却された。嫌味ならともかく、自然体で本当に不思議そうに言われると、言葉が胸に深く突き刺さる。


(そうかもしんないけどさ、わかってたけどさ。でも…)


「だからって嘘ついてまで追い出さなくたっていいじゃない!向いてないから代わってって言ってくれれば良かったのに!!もういい!どうでもいい!!カエルだろうが蛇だろうがなんでも返って来なさいってのよ!!」

「まぁ、愛し合う者たちに掛けたのだろう?大丈夫、直ぐに解けて返ってくるさ」


 大丈夫とか言うな。泣くぞ。そして空気読んで。


 私は鼻を啜りながら、イチゴを美味しくいただいた。




 翌日。


 蛇とカエル。天敵同士だが、伯爵所長様が言っていた通り向こうは愛し合うふたりだ。本能に負けない真実の愛でちゅっとして、いつ呪いが返ってきてもおかしくない。

 私は生きた心地がせず、ハラハラして1日を過ごした。




 翌々日。


 呪いはまだ返ってこない。ハラハラするの飽きた。こういう所も短気なのはいただけないなぁと思う。


 伯爵所長様に暇だと愚痴ったら、呪い返しの瞬間を近くで観察したいから助手の補助でもしてるか?と訊かれた。するわ。


 仕事場の呪術研究所はめちゃ近。馬車を用意して乗り込んだり、降りたり時間かけてる間に徒歩で着きそうなくらい。


 貰った仕事は呪い石のベースになるスモーキークォーツをひたすら布で磨くこと。

 何かしてると気が紛れて良い。




 翌翌々日。


「もー!早くちゅーしてよおぉぉ!!」


 いつまでたっても私の恋心が昇華されないじゃないのよ!!


 朝食の席で、伯爵所長様が私の雑な物言いに眉を顰めながら、話しかける。


「君の婚約者と妹は愛し合うもの同士だったんだろう?なぜ解けない?本当に愛し合っていたのか?」

「そんなの、私に訊かれてもわかりませんよ…」

「それもそうか」


 肯定されるとそれはそれで、蚊帳の外感が出て傷つくじゃないの。

 伯爵所長様は呪い返しの瞬間がちっとも訪れなくてがっかりして、私の気持ちなんてどーでも良さそうだけど。


「まさか………セドリック喰われた!?」


 一つの可能性にハッとするも、伯爵所長様は静かに首を振った。


「いや、死んだら呪いの印が消えるはずだ。それもないだろう?」


 呪い印。後から説明されたのだが、呪い石を持っていた方の掌に小さく禍々しい魔法陣が二つ並んで刻印されていた。

 翌日は包帯ぐるぐるでわからなかったが、巻く包帯が減った今、その刻印が未だ消えていない事が確認出来る。


「えー、考えても全然わかんない。もう私、一回家帰って見てこようか?」

「実験体、君の短気で短絡的な頭では到底真実に辿り着けないだろう。オレが人をやって調べさせる」

「実験体って呼ぶな」


 たった3日で遠慮の無い関係になったものだわ。


「そもそも実験体が行ったらオレも行かなきゃいけないじゃないか。オレと部下の監視下から出たら契約違反で呪われるんだぞ」

「なんでいつも呪いなのよ」

「趣味と実益。効率いいだろ」

「世界で一番無駄な効率!」

「あの、ご歓談中失礼いたします旦那様」


 そこに執事のお爺ちゃんがやってきた。朝食中であって、決して歓談中などでは無い。


「どうした?」

「それが、庭に蛇が現れたと報告が」

「「!!」」


 今一番ホットなワード「蛇」「カエル」の蛇が出たとあって、2人同時に立ち上がる。


「お、お待ちください!!それが、巨大で禍々しい蛇だとの事で、庭師始め使用人一同避難をはじめております!!どうかご主人様も避難を…」

「いや、確認しなければ。実験体!」

「勿論行くわ!!」


 お屋敷を飛び出すと、剣を構えた護衛がずらりと並んでいた。その向こうには体長10メートルはあろうかという…


「黒い、蛇……」


 全身漆黒の鱗に覆われた蛇が人を丸呑みするかの様に口を開け鎌首をもたげていた。


「巴蛇!?異国の魔獣が何故!?」


 伯爵所長様はポケットに手を入れると、指の間に呪術式の刻まれた宝石を挟み取り、構えた。


 黒蛇は舌を出しシャーと声を出すと揺ら揺らした首を私へとひたりと止めた。水色の眼に刻まれた瞳孔が縦に細まる。

 目が合うと全身雷を撃たれた様に痺れた。


「そんな、そんな……まさかクラリス、なの?」


 黒蛇の鼻先が縦に揺れる。


「下がるんだ!ルベル!!」


 伯爵所長様の必死な声をスルーして、私は黒蛇へと飛びついた。


「美しいーー!!!」

「「「「は?????」」」」


 呆然と動きを止めた伯爵所長様と護衛達をさしおき、私は抱きついて黒蛇に頬擦りした。


「何これ!めっちゃ綺麗!!美人!!いや美蛇!!なんて美しいの!?ツルツルしっとり、でも柔らかくほんのり温かい!手触り気持ちいい〜」


 ブラックオニキスの様に輝く鱗を丁寧に撫でる。


「おい、実験体?」

「あぁ、たまんなーい!もうおねーさまがちゅーしちゃう!ちゅ、ちゅ、ちゅ!!」


 硬質な鱗にキスの雨を降らせると、その黒く艶めかしい身体が小刻みに震え出した。


「クラリス?」

「実験体!呪いが解けるぞ!!」

「えっ!?」


 蛇の鱗がパキパキと剥がれ黒い靄になって上空へと舞い上がる。そのまま黒い塊は私に向かって落ちてきた。

 だが、私の体に着く寸前にそれは透明な粒子に分解され、空気に溶け消えて行った。


 てっきり呪い返しが来ると思っていた私は、首をこてりとかしげて伯爵所長様を見た。


「どゆこと?」

「わからん」


 それだけきっぱり言うと伯爵所長様は顎に手をあて、ぶつぶつと独り言を呟き始めた。


 蛇がいた所へ再び視線をうつすと、そこには辺りをキョロキョロし、自分の身体を触って確認するクラリスがいた。


「クラリス!」

「お姉様!」


 お互いぎゅっと抱きしめ合う。

 ああ、美しい姉妹愛。めでたしめでたし。





 …とはいかないわけで。


「この度は我が家が大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ございません」


 ひとまず移動した伯爵家の応接間で、クラリスに倣い私も伯爵所長様へ深く頭を下げた。


 私の婚約がクラリスに代わったあの日、クラリスは事前に何の説明も受けて無かったらしい。


「母とセドリック様の計画でした。セドリック様は、その…」


 ちら、と横目で私を気遣いつつ言葉を紡ぐ。

 私が気付いていないだけで、セドリック様はずっとクラリスが好きだったんだね…。言い難いよね。


 気にしてないよ、と見えるようにすまし顔で紅茶に口をつける。


「村に下りる度に領民に手を出し、火遊びを楽しんでらっしゃって。私が気付いて止めに入ると『クラリスも可愛がってあげるね』なんて頓珍漢な事を言い出すあんぽんたんで」

「げっふうぅぅ!!!」

「あ、お姉様!?大丈夫ですか?」

「汚いな」


 なななななっ!?


 クラリスは労る様に私の背中を撫でなが、話を続ける。

 なでなでが沁みる…。


「己の優男顔をよく理解した上で女性を口説く、いけすかない男でした。私が申し出を断り、お姉様に告げると伝えた日が、正にあの騒動の日でした。母は私を次期領主にしたいとずっと言っていましたから。母と2人コソコソ計画をたてていたのでしょう。ですが私に女遊びがバレてヤバいと思ったのか、直ぐにお姉様を追い出してしまったのですわ!」


 怒った顔で話すクラリスも大変可愛らしい。


「話し合いの席を!と言おうと思ったのですが、お姉様が怒って出て行ってしまって…。頭が冷えたら帰宅されるだろうと、セドリックの家(伯爵家)との婚約破棄書類の準備をして寝ましたら、朝には蛇でした」

「……ゴメンナサイ」

「実験体と違って冷静な妹だな」


 すごい、話拗らせたの私のせいじゃん…!お酒暫く止めるっっ!!

 そして伯爵所長様、さっきから一言余計!!


「ドアと身体の太さが同じくらいで、お屋敷から出るの大変でした。でも、ふふふっ。メイドも執事もお母様も目を合わせる度気絶して面白かったぁ。セドリック様なんて、後ろに一回転して慌てて外に飛び出して行ったわ」

「!そうだセドリック様!カエルだった?!」

「カエルでしたわ。人間と同じサイズの、でっかいカエルでした」

「へ?」


 人間と同じサイズのウシガエル…?

 うわ、なんか想像したら鳥肌が。


「セドリックの部屋で、モディク伯爵様へお姉様を送る、とやり取りをした手紙を見つけまして。しかも変身したのが、お姉様の一番好きな動物の蛇や嫌いなカエルでしょう?これはもう向かった方が早いのかな、とこちらへ参りました」

「クラリス凄い!!お利口!」

「この短気が蛇が好きとは意外だ。てっきり嫉妬して“殺り合え”という意志かと思っていたぞ」

「ヒトを鬼の様に言うのやめてもらえます?」


 クラリスはそっと私の手を握って、心配そうに首を傾げた。ミルクティー色の髪がふわりと揺れる。


「お姉様、私は領主はお姉様がいいと思っています。必要なら私がずっと補佐します。だからお家に帰りましょう?お母様と使用人たちには私が言い聞かせますから、だから」

「いや駄目だ」


 伯爵所長様がすかさず拒否する。


 そうなんだよなぁー。あぁ…。


 私は左の掌を見た。そこにはもう一つの刻印がきっちり残っている。


「こいつ…ルベルとは呪術が解けるまでオレの監視下にいるという契約を結んでいる。そもそも何で妹が領主では駄目なんだ?明らかに君の方が優秀だろう」


 ひでぇ。ひでぇよ、思ってても言わないでよ。


 クラリスは口を不機嫌に曲げて目を眇める。


「お父様は前妻様と前妻様似のお姉様を深く愛しておられました。私の母とは完全政略結婚でしたから。そんな父に、私はそっくりなのです。顔も、趣味も嗜好も」


 むすっとして、クラリスはそんな事を言った。


 つまり、なんだ。どういう事だ?

 私が母似で、クラリスが父似で、どうした?


「ですから、私が支えてでもお姉様にはニース領に居ていただきます」


 伯爵所長様はニタァと不愉快な笑みを浮かべて、クラリスに言った。


「残念だったな、こいつはオレの実験体だ。大人しく君が領主になった方がいい」


 あ、これ呪い返しが不測の事態になったから、今後の研究を想像して楽しくなっちゃってる顔だな。三日で随分理解度が上がってしまった。




 その後、マレディオン家とニース家によるセドリック捕獲作戦が実行された。

 森の中の程よい水辺を張って、呆気なく捕獲。呪術研究所の温室で飼育されることに。

 私やクラリス始め、セドリックの家族や愛人達1人残らず呼び出してキスをするよう説明した。私達は勿論両親、兄弟もドン引きしてキス出来ず、妻の座を狙う愛人のキスでは呪いは解けず…。


「愛とは難しいものなのだな」


 と伯爵所長様談。

 今日もセドリックは真実の愛を温室で待っている。


 彼の呪いが解けないと私の身柄も解放されないわけで、私は領主の座を泣く泣く妹に譲り、本格的に呪術研究所で助手としての勉強を始めた。


「そうそう、愛を感知する術式だがな、どうやらかけた本人の愛の大きさに比例して変身後のサイズに影響があるらしい」

「へー」

「…君本当にあんなクズ男が好きだったんだな。不気味なほどデカいカエルにするくらい」

「うっさいわ!!可哀想っぽく言うな!」


 それとかけた本人が解けば呪い返しが来ないとか、なんとか言っていた。そう言われても、もう私にセドリックの呪いは解けないだろう。本当スマン…。


 一応解呪の研究もしているらしいので、キス以外で解けるといいなとは思っている。

 どの道呪い石はお蔵入り。新しい商品開発に乗り出した。


「と言うわけでルベル、この呪いの実験に付き合ってくれ」

「は!?嫌だよ!」

「大丈夫、直ぐ解ける呪いだから」

「信用出来るかーーー!!!」





〈前ニース子爵〉

 ルベルの父。煌びやかな顔の持ち主で、生前はよくモテていた。本人はホッと落ち着く顔が好きで、ルベルの母はその実直な性格も含めてストライクゾーンだった。


〈ニース子爵の前妻〉

 ルベルの母。素直な性格だが少々短気。夫の事は「あんな派手顔と結婚したら将来嫉妬だ浮気だと大変だわ〜」なんて他人事だったのに、何故かいつの間にか渦中に。想像より幸せな最期を迎える。


〈ニース子爵の後妻〉

 クラリスの母。「田舎だと美人だよね」と言われる顔立ちで、少々コンプレックス。ニース子爵には昔から憧れを抱いていた。前妻亡き後、派閥内政略結婚でお鉢が回ってきて飛びつく。本当は男の子も欲しかったが、子爵から「子供は2人いれば十分」と言われてしまう。切ない。娘が夫似で大変嬉しいが、最近冷たくなってきて凹む。悲しい。


〈セドリック〉

 ルベルの婚約者。カエルになった。いつかカエル好きの女性が現れてキスされることを夢見る。誰か「カエル好きの女性は、人間セドリックには興味ないんじゃ…?」と言ってあげて欲しい。




ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
なんかいろいろ笑わせてもらいました! まぁそうちょっとね領主ってより現場が向いてるんじゃないかな?笑 蛇大きすぎて妹ちゃんめっちゃ愛してますよね^^ クラリスと伯爵所長様はバチバチにやり合ってもらって…
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