超未来、不良系異能バトル
西暦3600年代。
人類は、いくつかの大きな戦いを乗り越え、遂に完全な平等と、そして「超能力」あるいは「魔法」を実現していた。
あくまで、15世紀以上前からは超常的に思えるだけで、その37世紀の「現代人」からすれば当然の科学、物理なので、あくまで「永久機関」と呼ぶべきか。
容姿、体格、障害。
それらを全て数値化し、利点・不便さを算出。
それらによって増減する「ポイント」……仮に「PP」として、それにより多少増減する「超能力」を扱える。
それは、意識のみによって発火、念力、時間操作、催眠術、さまざまなことが可能となるが……数世紀前に想像されたものと違い、自在にその内容を調整できる。
例えば、世界全体の時間停止のみ、という能力だけの場合もあるが、基本的には少しの時間加速と、催眠・発火・寒冷・放射能の耐性などで他の能力からの耐性を得て、残りの分で、容姿や能力を弄り、好きに生きる、というものが基本となっている。
もちろん、政治家と庶民のような、権力の格差もない。
金持ちと貧乏人のような財力の格差も、そもそも生きるのに食事も住居も、金どころか衣服以外のあらゆる物質が不要となっている。
衣服だけは、容姿に含まれる上、倫理規定により全裸にはなれないため、物質として必須というより、体の一部となっているが……そこだけは、イチジクの葉の時から進歩していない。
それはともかく。
国籍も、民族も、性別も、思想……は、平等主義を前提としたものになっているが、ほとんどの格差はなくなり、人々はコロニーさえ要らず、宇宙で過ごすことが可能となった。
なにせ、熱も酸素も自ら生成できる。
宇宙服や防護服がなくとも放射能や隕石などあらゆる危険から身を守れる上に、ロケットどころか宇宙エレベーターさえ要らずに、噴射や念力で宇宙を自在に飛べるし、ワープすることだってできる。
そのシステムの中心となる『永久平等機関』の設立、及び宇宙空間での完全生存が可能となったため、現在の太陽系には再び、人類の大半が集まったが、それでも宇宙コロニーの建設ならいざ知らず、重力にも囚われない人間単体なら、何兆人集まっても過密になることはない。
誰一人不満を持たない世界が実現していた。
……しかし、それは完全なディストピアとは違う。
全人類が同じになる平等ではなく、不平等にならないよう、あらゆる個性をそのままに、それに加えて無限の希望を与えることで、千差万別の、しかし格差はない平等を実現しているのだ。
空を飛びたければ空を飛び、強くなりたいなら大柄に、アニメのような髪が良ければ、どんな染髪よりも完璧な色合いに、病弱でもいくらでも活力を得て、愛したければ何度でも告白できる。相手によってはフラれるが、自身の精神力を強化することだって可能なのだ。何より、無限の能力で、いくらでもアピールできる。
そんな世界の、火星と木星の間の宇宙空間、小惑星帯で。
また一人の“現代人”がいた。
宇宙空間を、炎を噴射しながら移動する若者。
今時珍しい、生の赤髪を、空気抵抗ではなく噴射の反動でたなびかせ、目標へ突撃する。『フレイム・ラッキーマン』である。
──例えば16世紀前から、ここまでネーミングが変わるのか、と思われるかもしれないが、これに関しては他称がそのまま正式名称になっているだけだ。
今の時代、どう名乗ろうと、そもそも「永久平等機関」はPPによって位置も情報も全て把握できるので、戸籍や名前などは必要ない。
よって、本人の名乗りや、あるいはニックネームなどがそのまま「本名」となる──
そんな彼が向かう先は、『ウッド・ボット』と呼ばれる大男。
これまた珍しい、生まれつきの体格だが、この時代、重要なのは外見ではない。
その男が剛腕を振るうと同時に、皮膚から現れた大木の根がフレイム(略)マンへ襲いかかる。しかし、当然……この時代、被虐趣向も一般的だが、普通に抵抗する文化もあるのでそれはそれとして……ただで食らうわけもなく、自慢の炎で迎撃する。
だが、木には炎、というのは17世紀も前に廃れた考えだ。
たいていの樹木は水分を持っているため、そう簡単には燃えない……
……のだが。
その樹木は囂々と燃え上がり、その身に火を点けた。
大男、ウッド・ボットの方こそ被虐趣向だったのか、といえば、そうではないと言い切れないが、間違いでもある。
この時代、体格も性別も能力もあらゆる格差が無くなっている。
どんな勝負も、最悪、相手と同じか、それを対策した能力に切り替えれば、それで勝てる。
普通の勝負は、それの切り替えも含めた読み合い勝負だが、それとは別の、自分の決めた能力を変えずに戦う、意地の張り合う、タイマン勝負なんかもある。
それが、これだ。
21世紀どころか、36世紀の時代錯誤な争いだが、それでも譲れぬものがあり、例え圧倒的な不利勝負でも、燃えやすい乾木で挑むのだ。
例え幼稚と言われようが、生まれる時代を間違えたと言われようが!
勝利を信じて突き進み、その先の栄光を掴み取るのだ!
なお、勝負には負けた。
当然、ウッド・ボットの方が、である。