1話
貴族と貧乏の共通点はどちらもすごく暇であること、って誰かが言ってた記憶がある。
「うーーーん、退屈だわ、帰りたい…」
令嬢にはあるまじき大きなため息を吐き、私は飲んでいた紅茶を机に置いた。
そう、私はとても暇である。
誰もが羨む黄金色のドレスを着て、サラリーマンの給料何年分ものアクセサリーを身にまとい、貴族御用達の闘技場のVIP席に座って。どこからどう観ても貴族の格好でニナリー・アーストンは脚を組み、不機嫌を露わにした。
「どうして私にこんなにつまらないものを観覧させるわけ?人間同士の戦いなんて、ちっとも面白くないし、不快だわ。ほら、あの今戦ってる人、血を流してるじゃない。本当に不快よ。どうにかならないわけ?」
そう心底退屈そうに、そばにいる近衛騎士に文句を垂れた。
長い睫毛に囲われたどこまでも透き通ったサファイアの瞳に不機嫌の色を隠さずに綺麗な薄桃色の唇。誰もが羨む黄金色の髪の毛。
ニナリーは側からみれば誰もがうらやむ公爵令嬢だが、本人はどこまでも時間を持て余し退屈そうにしていた。
勉強だって運動だって彼女に出来ないことはまずない。近衛騎士があれやこれやと新しいものを用意してもすぐ習得してしまうので、彼女が夢中になって没頭するものがひとつもなかった。
「お嬢様。忌憚なく申し上げます。この闘技場で行われているのは奴隷たちが命を懸けて戦う本気のデスマッチであります。これは貴族の中でも最上級の遊びであり、快楽。これが楽しめないとなると…なにがお嬢様を喜ばせることが出来るのか、私には到底思いきません。」
ニナリーの近衛騎士であるサヴァルは眉を下げ申し訳なさそうに話しかけた。
「…ふん。これが楽しめる大人たちの気がしれないわ。血の匂いも不快だし、観衆の興奮しきった声も汚らしい。帰るわ。馬車を用意して。」
ニナリーはそうサヴァルに告げ、コツコツとヒールの高い靴を鳴らし、闘技場の階段を降り始めた。
「あ…お待ちください!お嬢様!これからこの闘技場の一番の目玉である戦いが行われます!なんでもお嬢様と同い年の少年であると伺っておりますが、それがもう我ら騎士団から見ても、無駄のない動きで…
「会場にお越しの皆様、お待たせいたしましたあああああーー!!!これより本日のファイナルマッチを行いまああああああす!!!」
サヴァルが言い終わる前に会場にアナウンスとものすごい歓声が響いた。
「…!!うるさっ…なんなのよ…。」
ニナリーは、キーーンとなる耳に手を当てながら闘技場の中央を観た。
その途端彼女は目を大きく見開いた。これまでの試合では髪も髭も伸びきった薄汚い服を着た奴隷たちが死に物狂いで争っていたが、この試合は特別らしく、騎士のような衣装を着た2人が剣を持ち、向かい合っていた。
そしてーーーそのうちの1人は自分と同じくらいの少年だった。
「あの子は、奴隷ではないの?」
少年は、それこそ立派な服を着ていたが、容姿はさらに美しかった。燃えるような赤眼を持ち、髪はニナリーよりも光を纏った黄金色であった。ニナリーが今まで見た人間のどの人物より美しかった。
「ああ、彼は容姿がとても美しいだけでなくこうして闘技の大トリを務めるほど剣の実力があるので、奴隷という身分ではありますがきれいに着飾っているのです。これまでに8試合ほど闘技歴がありますが無敗ですね…まぁ、負けたら死んでいるので、生きて今日の試合に望んでいるので強いのは当たり前ですが。」
「ふぅん。どうでもいいけど、あれほどの容姿なら変態な大人たちがいくらでもお金を積んで買い取って玩具にするのではなくて?」
「はい、その通りです。彼は貴族たちの間で
購入希望がたくさんあることから今日この闘技が終われば彼を含めた奴隷たちの即売会が行われます。」
「へーぇ。奴隷即売会とは、本当に気持ち悪いわねぇ。あの子も気持ち悪い連中に買われて、気持ち悪いことをされ続ける人生ならここで負けて死んだ方がマシかもしれないわね。」
ニナリーはそう他人事のように嘲笑った。
「いいえ、彼は負けません。あの燃えるような赤い眼を観ると何やらものすごい意志を感じます。ああいう目はよっぽどの野望がある人間にしかできません。こんなところで終わるような人間ではないでしょう。」
「野望…ね…」
"野望"などニナリーには到底縁のない言葉で、
少しだけ空虚な気持ちになった。
「確かに、あの眼は少しくらい、私を楽しませてくれるかもしれないわね。そうね、今まで奴隷などくだらないと思っていたけれど、汚らしい連中に汚されるくらいなら、あの子がこの試合に勝ったら、私があの子を買うことにするわ。」
「……えっっ。まさか、お嬢様…。彼を買うおつもりですか…?」
「2回も言わせないでくれる?まぁこの試合で勝ち、生きていればの話よ。」
恐らく彼女ほど奔放で、気まぐれな性格のお方はいないだろうーーー。
悪魔のように悪い笑みを浮かべた彼女を見ながらサヴァルはそう思った。
2人がそんな会話をしているうちに会場の真ん中では、少年よりもはるかに大きな男が血飛沫を出して倒れ込んでいた。
そして肉塊となった男の隣で、止まない歓声の中、剣を鞘に戻した少年は、返り血を拭いもせず、無表情のまま、その場に立ち尽くしていた。
圧勝だった。
思わずよそ見をしているうちに少年は勝ってしまった。
その少年を見つめたニナリーは、サファイアの眼を揺らし、釘付けになった。
ニナリーは知らない。
彼との出会いは自分の退屈だった人生を大きく変えることを。
運命などと陳腐な言葉では言い表せないほど
胸が焼けるような感情を他人に向けることに
なることを。