第31話 アメがふる
「あれ? なんか静かダね?」
朦朧とする意識にするりと入り込む流麗な声音が暗い地下通路に響いた。
地べたの冷たさがじわじわと頬を冷たくしていく。
じくじくと痛む背中の感覚は曖昧だが、たぶん燃えてはいない。
幸いだったのは後ろからの爆風だったおかげでフードが取れなかったことだろうか。
下手人は俺とヒナタちゃんが吹き飛ばされた方に向かって、通路の奥からゴツゴツとブーツを鳴らして歩いてくる。
煙が晴れていくと、彼女の全貌が明らかになった。
その姿を見て、納得する。
「う、たひめ……」
歌姫〈Luv〉。
暗闇に映える地雷系ファッションの少女の表の通り名だ。
俺の声は小さかったはずだが、彼女はしっかりと拾ったらしく、キョトンとした表情で首を傾げる。
服のあちこちに付けられたゴスロリっぽいリボンがゆらゆらと揺れた。
「ありゃ、ひょっとシて君、私のファン?」
微妙にズレたイントネーションから、微妙にズレた感想が述べられる。
よくまあ自分がいきなり吹っ飛ばした相手に…………いやまあ、ファンではあるんだけども!
たぶん、ちょっと次元が違うファンです、はい。
だって俺、『わたゆめ』箱推しだし。
それは主人公陣営だけじゃなくて敵陣営もだし。
そう、この表世界の歌姫は、裏世界の犯罪組織の一員なのだ。
正確には犯罪組織というか、武器商人の一味。
その名は──。
「〈Luv〉あらたメ、ラブラーチェ・ブルートローゼだよ。よろしく、ファンくん……ファンくん? ん〜、しっくりこないナ──オタクくん!」
大変名誉(不名誉)な呼ばれ方をされながら地を転がる俺から視線を切って、彼女はもう一人の少女に目を向けた。
「それから、ヒナタちゃん!」
水を向けられた少女は呆然と座り込んだまま、目を見開いた。
「ど、どうして……」
きっと色々な意味合いが籠った「どうして」だっただろう。
それに気づいてか気づかずか、歌姫は底抜けに明るく笑う。
「そりゃ君、有名人だもん。お母様から聞いてるヨ!」
「おかあさま?」
「そ! 私のお母様、ブラッドローズ財閥の総帥ローゼリア様!」
「────」
どこかで聞いたことでもあるのだろうか?
ヒナタちゃんはハッとしたように口をぱくぱくさせた。
まあ、その道じゃ有名人だから知っているかもな。
有名は有名でもローゼリアは悪名の方だが。
曰く、死の商人。
百年前の戦時下で武器の売買によって大きくなったブラッドローズ家。
その現当主こそがローゼリア・C・ブルートローゼという女である。
──そして『わたゆめ』の、ラスボス候補の一人だ。
異能社会の秩序を守らんとする【循守の白天秤】。
その秩序を破壊しようと目論む【救世の契り】。
二つの組織のどちらもを引っ掻き回し、物語に混沌をもたらす第三勢力。
その首魁がローゼリアであり、彼女の愛娘がラブラーチェだった。
……本来ならもう少し後で出てくるはずだし、歌姫の来日も後なはずなんだけどな(n回目)。
『わたゆめ』では、彼女たちは彼女たちで魅力的な悪役だった……などと、呑気に言っていられる場合でもない。
「あ、あなたが……?」
「そう、私がラブラーチェでス! あ、ラブでいーよ?」
どう見てもヒナタちゃんの動揺の仕方は、たった今はじめて会った相手に対するものではなさそうだった。
それでも彼女は、一度深呼吸して──こちらを見た。
「……っ」
優しい彼女はズルズルと起き上がろうとする俺の方を痛々しげに眺め、その可愛らしい顔を苦しそうに歪めた。
それからラブの方を素早く見やると、
「どうしてこんなこと……っ」
悲壮感すら漂う声音で問う。
「──え? なんで君がそんなコと聞くの?」
「っ、それは……っ」
「あ、君も巻き込もうとシたこと?」
まるで俺を過剰に心配するような態度に一瞬、納得いかなそうな表情をしたラブだったが、すぐに勘違いに気づくと明るい声音で言った。
「さっきも言ったでしょ? ここから先に人を近づけないこと、それが私の仕事ナの! だから──」
彼女はぱんっと柏手を打った。
「ごめんね?」
言い終わるかどうかの頃合いで、再び爆発が起こった。
今度は俺たちと彼女の中間くらいの位置で。
「くっ」
再び爆風に吹き飛ばされる俺が地面を転がりそうになったところで、今度は柔らかく何かに受け止められる。
それは白い布だった。
天秤の紋章が散る外套がクッションのように俺を包む。
「────」
ヒナタちゃんだった。
彼女がそうした行動に出ることに疑問はない。
それより俺が驚いたのは、
「どうして、代償を……?」
俺の『接触』に気づいた上で、それを発動させないように受け止めたことだった。
後ろを見やる俺に、ヒナタちゃんは複雑な表情を浮かべる。
「それくらい、これだけ戦えば分かります」
「察しが、いいんだ」
「……あなたは察しが悪いですけど」
今度は声音に少し棘があった。
推しの感情が分からなくてしょげそう。
「いいから、あなたはこっちで休んでてください」
彼女は立ち上がり、俺を見下ろして言う。
「もう、ここで戦う理由もないでしょう?」
「それは……」
「わたしには、ありますけど」
「待って、ダメだ……っ」
俺の弱々しい静止を振り切って、ヒナタちゃんは再び煙が薄れていく通路を歩いていく。
「けほっ、ここはちょっと戦いにクいね〜」
遠くのシルエットが顔の前を払うような動作をした。
──その、さらに奥だった。
「アンタはおおっぴらに戦っちゃいけないんだから、しょーがないっしょ、お転婆お嬢様」
「およ?」
通路の先からやってきたパンツスーツの影がフリルドレスのシルエットに並ぶ。
つい最近聞いた覚えのある声だった。
その記憶を手繰り寄せるより前に煙が晴れる。
そこに、錆色の髪をサイドテールにまとめた司書さんが立っていた。
「さ、追加依頼『お嬢の護衛』。とっとと済ませよっか」
彼女──カナンは白手袋をクイと引き上げ、薄い笑みを浮かべた。
♢♢♢♢♢
「え〜、なにその『メンドくさ』みたイな感じ〜。弾けてなイよ、傭兵ちゃん!」
「弾けてんのは一人で充分だわ」
「つまラない子!」
地下道に似つかわしくない明るい掛け合いを繰り広げる少女たちに、ヒナタは知らず奥歯を噛み締めた。
(もう、なにがなんだか全然わかんない)
羽落としの犯人である鬼面の少女を追っていたはずなのに、一度は助けてくれたお兄さんが自分の前に立ち塞がった。
その動機は理解できたが──胸がずきんと痛む──今度は彼と自分を不意打ちで新たな敵が襲ってきた。
その正体が今日あったばかりの世界的歌姫であったことの消化もできず、さらには能力の見当もつかない新たな敵がもう一人。
そして後ろには──、
(おにいさん……)
自分の、せいだ。
自分が弱いから、彼は自分を守るために止めにきた。
自分が弱いから、彼は自分を守るために傷ついた。
自分が弱いから──彼は彼女にするように背中を預けてくれない。
(ああ──)
なにをやっているんだろう。
仲間を守ることもできない。
この街に暮らす人たちを守ることもできない。
大事な人たちを守ることもできない。
思えば昔からそうだ。
天稟を授かれなかったからと諦め彼に助けられて。
インターンで親友に守られ心に傷を負わせ。
強敵を前に、また、彼に助けられて。
誰かに助けられてばかりだ。
あの白い翼に憧れたはずの自分は、いま何をやっているんだろう。
じりじりと焼けるように、背中が熱い。
分不相応な夢に翼を灼かれる愚人のようだ。
焼け焦げ、真っ黒になったこの翼で、一体自分はどこへ飛べるというのだろうか。
(こんなこと、考えてる場合じゃないのにな)
目の前には、多分いままで自分が戦ってきた強敵たちと遜色ない実力を持つ相手が立っている。それも、二人も。
短い攻防で察せる範囲では、歌姫ラブの天稟は恐らく爆破系。
先ほどまでの攻撃も火炎流というよりは爆風というイメージが近い。
攻撃的で近づきにくい、厄介な天稟だ。
もう一人の……ギャルっぽい人は天稟はまるで分からないけれど、歌姫の護衛役を任されているからには彼女も護衛対象と同等かそれ以上の力を隠し持っているに違いない。
リラックスしているようでいて隙のない立ち居振る舞いは戦場に慣れていることを容易に感じ取らせる。
(──たりない)
今の自分の力では足りない。
力が欲しい。
どんな敵が相手でも、誰にも傷を負わせずに制圧できるだけの力が。
──おなかがへったな。
雨の匂いがした。
「うへぇ、雨降ってきちゃってルよね〜」
歌姫が嫌そうに顔を歪めた。
「ここ地下っしょ? 雨漏りとか心配だし手早く終わらせちゃいますか」
護衛が手慣れたように彼女の前に出た。
ヒナタは──、
「…………はぁ」
顔を伏せ、全身を脱力させる。
ゆっくりと姿勢を落としていき、獣の如く地に伏せた。
──その姿はまるで、どこかで目にした陰鬱な殺人鬼のように。
ゆらりと足を踏み出す。
転瞬。
歌姫の真横に白き閃光が輝いた。
「アレ?」
「お嬢──ッ」
間一髪のところで割り込むカナン。
彼女はいつの間にか手にしていたライオットシールドで、ヒナタの拳を受け止める。
「痛いな」
カナンは一瞬、自分の腕を見て眉を顰めた。
視線を鋭くして舌打ちする。
「でも軽い。当てて衝撃ぶつけるタイプ?」
「…………」
ヒナタは答えない。
代わりに素早く地を蹴り、その場から離れる。
爆炎が散る。
「いやお嬢、あっついんだけど」
「そのための盾デしょ〜?」
「それはそれとしてね? ──あとあの子、強いよ」
「うン、それは分かってた……でも」
どこか悲しそうに、あるいはつまらなそうに。
「さっき会った時と違って、あんまり弾けてなイね」
姫が小首を傾げた。
それをじっと見つめながら、ヒナタは口の中で呟く。
──まだたりない。
ゆらゆらと体を左右に揺らしながら、幽鬼のように佇む。
──おなかがへったなぁ。
──おいしかったな、らーめん。
脳裏を過ぎる、つい先刻のご馳走。
まだ敵であることも知らずに、呑気に歌姫とお話をしながら食べたそれを思い出す。
──さっきしょっぱいものたべたばかりだし。
──あまい、あまい、あめだまがたべたいな。
ゆらり、ゆらり、少女の身体がゆれている。




