第26話 月夜の暗闘
大変お待たせしました……!
今後のスケジュールについては後ほど、活動報告にて!
「さて。問診は終わったし、患者からの質問も一段落といったところかな」
〈外科医〉は部屋の奥へと上機嫌に歩いていった。
その先には大きな作業机がある。
右には普通よりも大きな鋏や針山、巻かれた糸などが。
左には何かしらの絵──それか図?──が描かれた紙束が並べられている。
さらに左側にあるデスクライトを、〈外科医〉が点ける。
すると暗闇が晴れ、机の奥の全貌が明らかになった。
壁一面に、反物の巻物と、様々な色の糸がずらりと収納されている。
少女は巻物──ではなく、糸の束のいくつかを人差し指でとん、とん、とんと叩いた。
やがて一つの束に指を当てて、彼女は頷く。
「これがいい」
そこからは一瞬だった。
少女はするりと糸の束を引っ張り出す。
濃い赤色の糸が、血潮のように流れ落ちる。
彼女は羽織っていたローブを台の上に広げ、椅子に腰掛けた。
針に糸を通してからは、一心不乱に手を動かしていく。
それはまるで俺がいることなんか忘れたかのように……否。
ひょっとしたら、本当に忘れているのかもしれない。
いま、この瞬間は。
……ほんの数分にも満たない間のことだったと思う。
彼女は糸切り鋏に手を伸ばした。
そこで俺は口を開く。
「代償は、それでおしまいですか?」
糸切り鋏を手に取った彼女の動きが、人形のように静止する。
「バレても構わないとは思っていたが、まさか一度で見破られるとはねえ」
しゅ、と静かに糸が切られた。
「貴殿、医者の才能があるんじゃないか」
「……ないと思いますけど」
「いーや、あるとも」
「はあ」
医者の才能(多義語)すぎるだろ……。
まあ、でも。
「縫合、ですか? 確かに医者っぽいですね」
「…………」
「…………?」
振り向かないまま、彼女は言った。
「身共、縫合って言い方、きらい」
「ええ……?」
「ていうか縫合きらい。斬ったら斬りっぱなしがいい」
「…………」
そっかぁ……。
ひょっとして、斬ったもの縫い合わせるの嫌だから布縫ってるの……?
この医者にだけは絶対にかかりたくないですね……。
こほんと咳払いして、〈外科医〉は振り返った。
「まだ何か身共に訊きたいことでも?」
どうやら代償を言い当てて揺さぶりをかけようとしていたのはバレバレだったらしい。
仕方なく、俺は誘導のままに口を開く。
「次は、誰を狙うんですか?」
医者の榛色の目が細められる。
それから──ふっと笑った。
「実はもう、身共の仕事は終わっているんだ」
「…………」
こちらの疑念を察しているだろう、少女はニヒルに肩をすくめる。
「泡を食って武器を動かそうとする間抜けを炙り出すのが身共の役目だったからね。〈紫煙〉に引き継いだ時点でもう終わっているんだよ」
〈外科医〉は静かに席を立つ。
「これ以上は優先度が低い小者ばかり。あの盟主だ旗手だと己を騙る女の治療法を試行錯誤する方がよほど有益だね」
多方面にひどい言い草だ……。
「だから身共はもう手は出さん。──それで?」
彼女は覗き込むようにして俺を見上げた。
「これだけ応えてやったんだ。貴殿の予後を診させてくれたまえよ」
「────」
視線が絡み合う。
榛色のように見えていた瞳は近づくと仄かにオーロラがかっていて、やはり彼女の神秘的なまでの美しさを際立てていた。
その眼が、まるでヒトを見る目をしていないことを除けば。
「さあ、真実を知った貴殿はどうする? 味方の邪魔をするのか? 敵の手助けをするのか? 悪性か? 良性か?」
「俺は……」
黒いセーラー服姿の少女が、腰元の刀に手を伸ばした。
だから、俺は一切の嘘偽りなく言葉にする。
「俺は、敵の邪魔をしにいきます」
医者の──カスカの手がぴたりと止まった。
「……ほう?」
「俺たちが追っている本当の敵も、推したちが追っている本当の敵も、共通の相手なのでしょう?」
俺は胸を張って言う。
「だったら、本来関わるはずのない推しを遠ざければいい」
正史への修正。
それが、ヒナタちゃんとの共闘でもルイとの対峙でも変わらぬ、俺の一貫した目的であるのだから。
「──ふむ、よかろう」
カスカはくるりと踵を返した。
そして、作業机の上の黒い布をこちらへ放り投げる。
慌てて受け取るそれは、さっきまで彼女が羽織っていた真黒の外套。
「な、なんですか?」
「広げてみろ」
言われるまま広げると、そこには先ほどまでなかった真紅の刺繍が施されている。
その柄は──彼岸花。
「患者への餞別だ。元々かなりのオーバーサイズだから着られるだろう」
「通信妨害ができるローブ、ですか?」
「そうだ。そして、妨害ができるだけじゃなく──傍受もできる」
その言葉の意味を察して息を呑む。
医者は嗤った。
「正義の味方がどこにいるか、自分で勝手に調べをつけるんだな」
♢♢♢♢♢
走る、走る、走る。
こんな時、あの主人公みたいに疾く駆けることができたらいいのにと思う。
こんな時、あの相棒役みたいに空を翔けることができたらいいのにと思う。
「はっ、は……っ!」
暗い地下道をひた走る俺は、一直線に図書館へと向かってかけていた。
理由は、もらったこのローブ(の、正確にはフードの部分)でヒナタちゃんと本部との通信を聞いてしまったからだった。
ルイちゃんが休憩で別れてから戻ってこない。
ひとまず最後に通信した地点まで追う。
近隣の図書館で、怪しい動きがあるとの情報を得た。
その三つだけ分かれば、ほとんど確定したようなものだ。
ルイはいま図書館にいる。
そしてヒナタちゃんは彼女を追って、その近くへとたどり着いているはず。
ルイの方は問題ない。
だって、彼女の居所にはミオンさんがいるから。
あの人なら、ルイを悪いようにはしないだろう。
だって、クシナがなんやかんや信用しているような人だし。
だから、いまここで俺が見つけなきゃならないのはヒナタちゃんの方だ。
「えっと確か……ここ!」
地下道の狭い階段を駆け上がると、薄暗い裏通りに転がりでた。
見上げると、目の前に高い時計塔が立っている。
それを確認して、思わず頷いてしまう。
「よし、正解!」
この前、天使ミュージアムで旧地下道の模型を見といてよかった……!
クシナなら全部覚えられたんだろうけど、俺は半分くらいしか覚えられてなかったから、ここで合ってるか心配だったんだ。
あの時計塔の上なら、図書館のある地区が一望できる。
それだけ視野が確保できれば、俺の目なら彼女を見つけられる……!
「ちょっと無理しなきゃだけどな」
覚悟を決めて、俺は時計塔の壁面を《分離》を駆使して跳び上がる。
いつもならこの高さだと十回近く能力を使う必要があるんだけど……。
「九回! 運がいい……!」
あっという間に頂上まで辿り着いた俺は、街並みを視界に収めようと振り向いて──、
「ああ、ボクも運がいい」
背後から、銀鈴を転がしたような声がした。
「お尋ね者が自分から舞い込んできてくれるなんてね」
知っている、声だった。
トーンは高く、されども落ち着きを払った声音。
ついこの前、言葉をかわしたばかりの推しの声。
「リン──ッ!?」
「おっと、動かないでくれよ」
かち、と背後で金属音がなる。
「その様子だと、ボクの正体はお分かりかな?」
俺はゆっくり両手をあげる。
「……夜乙女リンネ」
「大正解」
「っ、〜〜〜っ! ……っ!!」
夜風にそよぐその立ち姿を目に焼き付けたい衝動と、今この瞬間にも死ぬかもしれない恐怖が入り混じる。
何より俺は、はやくヒナタちゃんを見つけなきゃいけないんだ……!
「〈乖離〉君だね?」
「はい、そうです!」
「な、なんか元気だな。状況は理解してる?」
「リン──あなたの指先一つで俺は死にます!」
「う、うん……たしかにそういう態度にもなるか……?」
ちょっと悩ましげな反応をしてから、
「まあ、いいや。今ボクは急いでいるんだ。君にはすこし訊きたいことがあるんだけど、それは今度署で聞くことにするよ」
あ、まずい、コレこのまま意識オトされるやつ!?
「ちょ、ちょっと待っ……」
「悪いね」
こうなれば一か八か──と動く、ほんの一瞬前。
「では、身共も謝っておこう。悪いな」
「────」
「────ッ」
背後を風が通り抜けた。
ぱっと後ろを振り向くと、そこに翻る夜空のごとき漆黒のローブ。
「これは身共の患者でね。経過観察中に手を出されるのは困るんだ」
たなびくセーラー服の赤リボン。
美貌を覆い隠す赤鬼の面。
そこに、先ほどまで俺を問い詰めてきた医者がいた。
「なん、で……?」
「付けてきたからに決まってるだろう」
彼女は振り返らずに肩をすくめる。
そして、その肩越しに──。
「……君が、最近の件の犯人かな?」
時計塔の斜め屋根の、少し離れたところ。
切り揃えられた銀髪を揺らして、鋭くこちらを見つめる小柄な天使。
黒い軍服に身を包む彼女は、白銀の長銃を構えて黒ずくめの医者に問う。
「いかにも。【救世の契り】幹部〈外科医〉。お飾りで第六席に置かれているしがない医者さ」
どこか戯けた響きを持つ自己紹介がなされた。
しかし、そこに含まれた意味は重い。
風が止んだ。
「紋章がないけれど?」
「新月が身共の紋章なんだ。見えづらくて、すまないね」
「そうかい。でも残念、今日は──」
黒の天使が片手で天を指す。
そこに浮かぶのは、白い月。
「満月。狙いがよく見えるよ」
「それはお互い様だろう、夜乙女リンネくん」
銃口が向けられ、刀の鯉口が切られる。
正義のエースと、悪の幹部。
桜邑屈指の実力者がぶつかり合う激戦は、誰にも知られることなくひっそりと幕を開けた──。
──で、唯一知っている俺は普通に逃げた。




