第24話 知ってる
ルイがその人影を見つけたのは、しょうもない軽犯罪を犯した人間を拘束し、空に飛び立ってすぐのことだった。
彼女は天翼の守護者の隊服だった。
けれど、それは妙な話だ。
天翼の守護者の巡回路はある程度決められている。
通学の時間だから積極的にそっちを回ってみる、とか。
今日はイベントがあるから人が流れそうな場所にすぐ行ける場所にしておく、とか。
そういう対応は自由だが、基本的には組まれたルート通りに回るのが、一番効率がいい。
当然、ルートにも穴はあり完全に都市の全域を守り切れるわけではない。
それでも、この桜邑は【救世の契り】の拠点がある(と目されている)場所だ。
日本で最も厳重に警邏されている区域の一つにもなろう。
そんな統率の取れた群れにおいて、逸れた動きをするものはすぐに分かる。
この夜にルイが見た人影はまさにそれだった。
(ここはワタシたちと隣の区間との中間地点。どちらかが一時的に立ち寄ることはあっても長時間このルートを歩き続けることなどありえない)
ルイは眼下の大通りを見渡す。
誰も彼女が歩いていることに違和感を覚えている様子はない。
それはその女が天翼の守護者であること以上に、彼女の立ち居振る舞いが関係していた。
(随分と、堂々と歩くものね)
相当、肝の据わったペテン師だ。
普段ならばルイだって軽く流していたかもしれない。
──普段ならば、だが。
この「味方に裏切り者がいる可能性が高い」状況下において、アレを素通りすることなどあり得ない。
そして、この時のルイの行動原理を上増しするのは、もう一つ。
(……どこかで見たことがある、気がする)
圧倒的な既視感。
もはや、どこかで顔を合わせたことがあるレベルだった。
やはり、第十支部の誰かなのだろうか。
(でも、ワタシの関係者が、不正……?)
やはり腑に落ちない。
元々交流は限りなく少ないはずで、印象に残る隊員などそう多くはない。
だってヒナタが明るすぎるので。
そのため、今のルイは「久々に街で出会ったものの名前の思い出せない小学校の同級生と対面してしまった時」の気分なのだった。
まあ、彼女が顔を覚えている小学校の同級生などヒナタしかいないのだが。
とりあえず、人通りが少なくなってきたところで目の前に降り立って確認する。
その上で、敵であるようなら容赦無く叩き潰して捕まえる。
できれば、ヒナタの助けは借りたくない。
彼女がショックを受けるような自体にはしたくないのだ。
そうしてゆっくりと、確実な追跡を続けている最中。
ルイはいつのまにか見覚えのある場所まで自分がやってきていることに気づいていた。
「……図書館」
それほど長く追跡したわけではない。
もとより巡回ルートからも近かっただけ。
それでも日中きたばかりの場所だ。
なんとはなしに意識する出来事も少なくない。
『ルイ?』
心臓が跳ねた気がした。
「────っ」
昼間、図書館で呼ばれた時にも同じ感覚に襲われた。
間違って音量が最大のままラジオをつけてしまったみたいだった。
実際には図書館の中でそんなに大きな声を出していたわけではなかったのに。
そして、呼ばれたのが自分の名前であると理解すると、一瞬天地が逆さまになったように思えた。
よく分からないけれど、足元からひどく落ち着かなくなる。
なんだこれ。
あの人、ついに顔だけじゃなく声にまでデバフの天稟を授かったのか。
そんなばかなことを考えていると、
「…………ぁ」
先ほどまで路上を歩いていたはずの天翼の守護者がいない。
ルイの視界から、影も形もいなくなっていた。
(しまった──っ!!)
慌てて辺りを見渡す。
ここはそれなりの大通り。
まっすぐ進んでいる限り、遮蔽物はそれほどない。
ならば脇道かと、いくつかの交差点が目に入る場所まで飛ぶ。
しかし、四方に視線を巡らせるも、それらしき姿は見えない。
(まさか……撒かれた!?)
夜空を駆ける尾行だ。
よもや気づかれたなどとは……。
一瞬、昨夜も自分を追ってきたらしき男の顔が浮かんだが、今はそれどころではないと思考の隅に押しやろうとしたところで、
「そう、いえば……」
その顔に紐づいて、ある記憶が引き出される。
彼に呼びかけられて、すっかり忘れてしまっていたが、あの時に考えていた。
今日の図書館は随分と混み合っていた。
休日とはいえ、昔はああまで人が多くはなかった。
いても、最初に彼を案内した時に語ったように「老人ばかり」のはずだ。
なら、どうして今日は若い女ばかりがいたのだろう?
「────」
思いたった瞬間、ルイは旋回。
(違う可能性はある……けれどっ)
相棒に倣って自分の勘を信じてみることにした。
自分は方向感覚は少し弱いかもしれない。でも。
「見えていれば、辿り着ける──!」
闇夜に聳え立つ図書館に向かって一直線に飛び出した。
♢♢♢♢♢
女は、暗い通路を歩いていた。
絨毯の敷かれた床が、女の足音を掻き消している。
背の高いシルエット。
点々と配置された窓から差し込む月明かりだけが、彼女の服装が純白であることを教えてくれていた。
彼女が本来下ろしている長髪は白い軍帽の中に仕舞われ、一目見て髪色を窺わせない。
静かに、密やかに、女は突き当たりの扉を押し開けた。
扉の向こう側は、明るかった。
既に深夜に近づこうかという時間帯にも関わらず、蛍光灯が点灯している。
目が慣れてくると、一面に広がっていたのは書架だ。
整列された書籍に沿って、中央部に向かって歩いていく。
やがて辿り着いたそこは受付カウンター。
その前で忙しなく動き回るのは、十人にも満たない女性たちだった。
その身に纏うは白の隊服。
そのうち、片手を腰に当てて指示を出していた女性──少女が振り返る。
「ん〜? お姉さん、遅刻ぅ? こっちは対価払ってんだからさぁ、ダメだよ。社会人でしょ。ほら、違約金出せ〜?」
彼女は白手袋に包まれたもう片方の手でお金のマークを作りながら、上目遣いに睨んでくる。
「わりぃわりぃ、綺麗なお星サマに見られてるもんだからよ。撒くのに時間かかっちまってさァ」
詰め寄られた女は、帽子のツバを押し上げながら不敵に笑う。
その人を化かす狐のような笑みに、少女は不満げにする。
「はあ、バレたってコト?」
「ちげェよ。ちっと勘がいい奴がいたってだけだ。マークされそうになって撒いたんだ。正体まではバレちゃいねえ。今ごろ元気にきらきら星してるだろうさ」
「そ。なら、いーけど。アンタも公僕らしくもっと慎重な行動ってヤツを心がけたら?」
「ハッ」
責め立ててくる少女の言葉に冷笑を返し、彼女の横を通り過ぎる。
「いいから”本棚整理”の指示出しに戻ってくれや、”司書殿”」
「了解であります〜、”天翼の守護者殿”」
皮肉混じりに言い合う二人。
彼女たちの前で、受付カウンターの奥へと白服──天翼の守護者の隊服がひっきりなしに入っては出てを繰り返している。
その手には往復する度に、山積みの本。
通り過ぎざまに積まれた一冊を手に取る女。
他の本と変わらない表紙をまじまじと見て、
「……これが兵器の保管場所とは、恐れ入るね」
それを開いた。
その中には、ミニチュアサイズの剣が一本入っている。
「このちいせェのが使用者の力をさらに引き出すってんだから、いつ見てもわかんねェな。一体、どういう仕組みなのかねェ?」
「あ、取っちゃダメだかんね? 取り出した途端、でっかくなるから〜」
「わぁってるよ」
窪みに嵌め込むようにして保管されているそれを確認して、女はパタリと本を閉じた。
それを確認した司書の少女が、
「じゃ、今日で残りの武器は全部お渡しってことで。あとは隠し部屋の数点なんだけど、そっちは後金を受け取って──」
つらつらと喋っていた言葉を止める。
ダルさを隠そうともしなかった赤銅色の目が、しっかりと見開かれていた。
その視線が射抜くのは──、
「……なんのつもりかな? 図書館は禁煙だぞ〜?」
女が手に持つ、煙管。
「おう、知ってる」
いつのまにか女の手から”本”はなくなっていた。
空いた片手で白い軍帽を取る。
その下から蜜の滝のように零れ落ちる金色の長髪。
はっきりと見えるようになった目元には紅のアイライン。
「で、オマエは吾のこと、知ってる?」
司書の少女の顔色は変わらない。
けれど、明確に目の色が変わる。
「【救世の契り】幹部、〈紫煙〉ッ」
「お、正解。化野さんちのミオンちゃんだぞ〜」
余裕綽々に笑顔を浮かべる女──ミオン。
対峙する少女はすばやく周囲に目を走らせるが、
「……あーね」
先ほどまで本を運び出していた天翼の守護者たちは地面に倒れ伏していた。
多分、死んではいない。眠らされている。
ということは……。
「アンタ単独での潜入、と。ひょっとしてここ最近の『羽落とし』はアンタらの仕業?」
「そういうことだ。オマエで残りあと一人。いざ尋常に勝負してやってもいいが、悪夢を見たくなきゃ大人しくしとけや」
「一対一ならウチにもワンチャンあると思わない?」
「ハッ、ねェよ。結果は見えて──」
「───なら、一対一対一はどうかしら?」
睨み合う両者の頭上から降りしきる美声。
二人の首筋に、ひたりと蒼銀の刃が添えられていた。
「ワタシも知ってるわ、アナタたちのこと。参加資格はあるわよね?」
書架の上で、美しき指揮者が腕を掲げた。




