第22話 人形屋敷
ツクモの言葉に、思考が停止する。
うちの、第六席……?
いや、だって……。
「でも、紋章はなかったけど?」
信じられないという表情をしている自覚があった。
そんな俺に、ツクモはびっくり箱を手渡すいたずらっ子の笑みを向けてくる。
「ふっふっふ、なにを隠そうヤツの紋様は”新月”だよ、兄様」
「……新月? って、月の?」
「その通り」
にやりと笑うツクモ。
「この地球に太陽を隠され、照らす者のなくなった哀れな衛星のことであるぞ。ゆえにヤツのローブには夜空しか見えぬのさ」
自信満々。
カッコよくてたまらないだろう? とセリフが聞こえてきそうな調子だった。
でも、それさ。
「手抜き……?」
「──ぬわぁぁぁにを言うかぁぁぁああああ!!」
秒で起立したツクモが俺の周りをちょこちょこ周り出す。
「このカッコよさが分からないなどと鈍ったな兄様! しかも言うにこと欠いて手抜きだとぉー? 兄様でなければ小一時間”痒み”を《付与》してやるところだ!!」
「おいトンデモナイ拷問しようとしてない!? いや、カッコいいけど! 作るのも楽なのかなって思っただけだから!」
「む、カッコいいならば許そう」
ちょろい……。
「たしかに紋様がないため生地を作るのは楽だ。しかしその分、特注のカッコよすぎるコートになっているからな。……まあ、そこらへんを縫製したのはヤツだが」
「ん? 最後なんて?」
「う、うむ! なんでもないぞ!」
ツクモはくるっと回って俺の前で胸を張ると、
「ヤツに話を聞くなら〈不死鳥〉のところに行くのがいいぞ。なにせ奴は大事な会議にすら来ないうつけ者だからな! 探しても見つからん! 研究室にいるかも怪しい」
そう、早口で捲し立てたのだった。
「もう21時か……。ミラ様にご飯は一人でねって言っといてよかったな」
まあ、本人は「当たり前でしょう! し、使用人ごときが私と相伴に預かろうなどと不敬にも程がありますわ!」と顔真っ赤にして怒ってたし、わざわざ言わないでも一人で食べていた気はするけど。
そんなわけで夜は更けていくものの、妹想いな兄であるところの俺はツクモの言葉に従って階層を移動していた。
向かう先はいつか訪れた円卓の部屋〈下の部屋〉である。
……変な名前だよなー。調べてみたけど「エルカネク」なんて単語なかったし。また妹様の仕業か?
暗い通路の先に見える白い光の元へ辿り着くと、変わり映えしない灰色の部屋が広がっていた。
その円卓の向かい側に──彼女は変わらず座していた。
「こんにちは、〈乖離〉さん」
「……お邪魔します」
もう夜ですけどと思いながら、挨拶を返す。
「あら、お邪魔しますだなんて。ここは貴方の家だと思っていただいてよいのですよ?」
クスクスと笑う彼女──盟主〈不死鳥〉は以前と同じ露出度の高い純白のドレスを身に纏い、包まった旗を立てかけた椅子に腰掛けていた。
しかし、前とは異なるところが二つあった。
一つは、瞼を下ろしていること。
このあいだ会った時は二回とも目を開けていた彼女は、今はその黒曜石に似た瞳を隠すように瞑目していた。
……それでも俺のことを言い当てているあたり、目を閉じていても見えているのか。それとも予め俺がくることを誰かに聞いていたのか。
もう一つ、彼女に前と違うところがあったのは、
「髪型、変えられたんですか?」
「あら」
以前は足元に届きそうな長さだったその御髪は、今は腰ほどまでで切られている。
そして、それが二つの束に分けられて側頭部で束ねられていた。
俗に言う、ツインテールだ。しかもロング。
「似合いませんか?」
「いえ……」
本来なら美貌も背格好も服装も大人びた彼女にそれが似合う道理はないのだが、その髪型がなぜか妙にマッチしているように見える。
不思議なアンバランスさの上に成り立っている、美術品のようだった。
なんだろう、この……倒錯感?
いずれにしろ、
「よく、似合っています」
「あら。嬉しいですよ」
……って、違う違う。
なんかこの人の放つ不思議な空気感に呑まれていたが、ここに来た理由を思い出す。
「ここに、〈外科医〉さんはいますか?」
「おりません」
きっぱりとした否定だった。
「……どこにいるかは?」
「それも分かりません。あれは勝手気ままな少女ですからね」
「そう、ですか」
ツクモからはここに来てみれば分かる、と言われたんだけどな。
「ふふ、そう気を落とさないでください」
「え?」
「そう遠くないうちに来るでしょう」
ちょっと落ち込んだような俺を見越したように、彼女は悠然と微笑んだ。
「本日はまだ来ていませんからね」
──その瞬間だった。
〈不死鳥〉の姿が、ブレた。
俺の視界でブレて見えたのだ。
驚愕する頃には既に彼女は椅子から一歩立ち上がった場所にいた。
いつのまにか、その手には銀製の旗が握られている。
「やれやれ、直すのも大変なんですよ」
盟主が呆れ混じりの口調で首を振る。
そのタイミングに合わせるようにして、彼女が座っていた玉座もまたズレた。
首の辺りから斜め真一文字にズレたそれが滑り落ちる。
石工像を倒したような音があたりに響き渡り、玉座の後ろに人影。
「治すのは身共専門外なのだよ」
黒いコートを靡かせた、鬼面の少女が刀を無造作に引っ提げて立っていた。
彼女の方に顔を向けて、盟主がため息をつく。
「貴方は医者でしょうに。ちゃんと修繕もしてくださいよ」
「身共は切開・切除が専門でね」
鬼面の少女──〈外科医〉は流麗に構えを取る。
「貴殿のような悪性腫瘍を早く斬りたくて仕方ないんだ」
「何度も聞きました。でもオペの許可は一度も出していません」
「ライセンスがないモグリなものでね。勝手に斬らせてもらおう──と、思っていたのだが」
〈外科医〉はふっと構えを解くと、こちらに顔を向けた。
「面白い客人がいるじゃないか、院長殿」
「〈刹那〉の部下の〈乖離〉さんです」
盟主は「ああ」と思い出したように言って、
「〈乖離〉さん、こちらがお探しの第六席、〈外科医〉の朽花カスカですよ」
〈外科医〉の方へ手のひらを向けた。
……急に水を向けないでほしいな。特にこの流れで。
「あー、どうも。ありがとうございます……」
既にだいぶ話したくなくなっているんだ、こっちは。
と、ゲンナリしているのを知ってか知らずか、〈外科医〉の声のトーンが一段高くなる。
「ふむ、医者を探していたのか? 切創か? 刺創か? それとも腫瘍か? なんでも斬るぞ?」
矢継ぎ早に尋ねられ、俺は一歩身を引いた。
「あー、と……問診、ですかね?」
「なるほどな」
ふむ、とひとつ頷く鬼面。
「では、診察室に案内しよう」
彼女はそれだけ言って踵を返してすたすたと歩いていく。
向かう先は、部屋の全面から延びている通路のひとつ。
付いてこいということだろうか?
警戒しながらも後を追おうとすると、いきなり蚊帳の外に放り出されたはずの〈不死鳥〉が柔らかく微笑んだ。
「お気をつけて」
「……はい、お騒がせしました」
「いえいえ」
……診察室に行く人間にかける言葉じゃないだろ。
♢♢♢♢♢
目的地には意外とすぐに辿り着いた。
その間、無言のままだったので俺としては大変助かる。
まあ、無言でもこれから聞くことをおさらいできたから全然いんだけどさ。
なんで天使を斬っているのか、とか。
誰か仲間がいるのか、とか。
……いるなら、それはどんな人なのか、とか。
自分でも下手人を前にここまで冷静でいられるとは思っていなかったので、少しびっくりしている。
……なんか、あれかも、俺ってあくまでヒナタちゃんやルイみたいに原作で好きだった子たちが”推し”なだけで、彼女たち以外の天使は別に推しというわけではないみたい。
もちろん嫌いじゃないけど、推しへの愛情とは比べ物にならないからな……。
とあまり知りたくなかった自分の冷たさに驚きつつ。
特に案内もなく無言である部屋に入っていった〈外科医〉のあとに付いて部屋に入る。
さっきのツクモの工房での経験から少し、いやかなり警戒していたのだが、
「────」
そこは、人形が並べられた部屋だった。
普通のぬいぐるみも多いが、一番多かったのは日本人形。
ホラーでよく見る市松人形もあれば、ひな祭りの愉快なバンドメンバーたちも並べられ、ちょっとした人形屋敷である。
「裁縫が趣味でね」
こちらが足を止めた訳を察したのか、部屋の主が言った。
「あらためて幹部第六席〈外科医〉、朽花カスカだ」
くるり、と振り返った彼女は己の鬼面に片手をやった。
そして、驚くほどにあっさりとそれを外す。
けれど、本当の驚きはそこからだった。
「…………まじか」
鬼面の下から覗いたのは、亜麻色の髪がよく似合う異国美人。
ハーフというわけでもなさそうな、北欧系の美少女だった。
それも超絶、美少女である。
……これ、ひょっとしてルイに匹敵するクラスでは?
そんな少女は静かに鬼の面を置いて、一礼する。
「──以上が、執刀医の自己紹介だ」
そして、顔を上げる。
「では早速、裏切り者にメスを入れるとしようじゃないか」
美しい顔に、酷薄な笑みが静かに浮かんでいた。




