第21話 ヴィランズ・ハイヴ
──【救世の契り】地下基地〈巣窟〉。
一般人にはその存在すらも知られていない上に、天翼の守護者の追跡からも逃れている、秘匿された場所。
しかし、俺にとってはそろそろ勝手知ったる他人の家という感覚に近い。
それでも今日、隣にはいつもいてくれる幼馴染の姿はなく、向かう場所も彼女の領域とは異なる場所だった。
無機質な白い床ではない。
上に砂利が敷かれた石の路面。
視線を上げれば和風建築が並ぶ、飲屋街。
赤い提灯がテールランプのように遠くへ渋滞し、真っ昼間だというのに喧騒が鳴り止むことはない。
その享楽的な有様はそのまま階層の女主人の性格を写しているようだった。
「……おい」
「ああ」
フードを深く被ったまま路地を歩いていくと、方々から突き刺さるような視線と潜めた声が殺到する。
彼岸花の紋章。
〈刹那〉の部下の証。
彼女はここの主人──〈紫煙〉のミオンさんとは仲が悪い(良い?)のでだいぶ目立っている。
それでも手を出されないあたりは、さすがの〈刹那〉ブランドといったところか。
クシナとは身長差が15センチくらいなので、本人じゃないことは見れば分かる。
それでも、あの〈刹那〉の部下にちょっかいをかけようなどという不埒者はいないようである。
警戒していたよりは、すんなりと館の女主人──ミオンさんに会えそうで安心した。
せっかくだから、推しの敵に聞き込みをするなら上の人たちに訊いちゃうのが早いんだよな。
「こんにちはー。ミオンさん、いらっしゃいますか?」
館の前、インターホンがないので声を張り上げる。
しかし、返ってくるのは沈黙のみ。
「いない、のかな」
『その通りです、同志よ』
──低い、男の声だった。
「…………っ」
すばやく視線を巡らせるが、周りには人影は見えない。
この姿隠しが彼の天稟なのか、それとも階層主の天稟の延長なのか。
少なくとも相手の正体くらいは把握したい。
「同志っていうのは、どういうことかな?」
『またまた、とぼけるのがお上手でいらっしゃる』
変わらず相手の姿は見えない。
けれども声音が低いながらに、トーンが上がっているのは分かった。
そして声の主は上機嫌に──。
『あなたも、ミオン様の曇りなき気高さに照らされ影を祓った同志、なのでしょう?』
「…………んん?」
『ふっ、隠さずとも宜しい。仕方なく、成り行きで〈刹那〉の部下などに収まっている〈乖離〉よ』
「いや、俺は別に──」
『ミオン様との二度もの交流によってお仕えすべき真の主に辿り着いたのでしょう』
「…………」
ダメだコイツ話聞かない。
なんかよく分からんけど……ミオンさんの狂信者ってことかな?
「あの、よく分かんないんですけど、〈刹那〉の部下は好きでやってますし、ミオンさんの部下になりたいとは別に思ってないですよ」
『…………………………?』
なんだ、その沈黙は。
「あと〈刹那〉の部下などじゃありません。俺は彼女のことを尊敬してるんで」
『な、なるほどなるほど……』
あ、しまった。
ついついクシナを蔑むような物言いをされて言い返してしまった。
まずいな、どうにか良好な関係を……。
『──素晴らしいッ! やはり同志だッ!』
「……ええ?」
『尊き存在に照らされて真の道に開眼した同志よッ!』
あ〜、分かった。
この人、めんどくさいオタクなんだな。
適当に返して、さっさとミオンさんに会わせてもらおう。
「そうですね〜、同志。それで今日はミオンさんに会わせていただきに参ったのですが……」
『参拝ッ! 殊勝な心がけです、同志よ。しかし、今日は主はいらっしゃらず……ッ!』
「あ、そうなんですか。残念ですけど、それじゃあ……」
『本日の主は【救世の契り】の旗印として、【循守の白天秤】などというカスの吹き溜まりに──』
「──あ゛?」
『ん?』
「こほん、いえ、失礼……」
…………い、いけないいけない。
俺は【救世の契り】なんだから。
ちょっと天使を悪く言われた程度で揺らいでいるようじゃダメだな。
「うんうん、俺たちは仲間ですからね〜」
『ええ、我々は共に手を取り、天使を名乗る”ゴミの掃き溜め”を焼き払うことを至上の命題として……』
「──よし、喧嘩だコラァ!!」
『なぜですかッ!?』
やってやろうじゃねえかよ、この野郎!!
いと気高き天使たちのことをカスだのゴミだの言いやがったなッ!?
【救世の契り】に入って初めてくらい頭にキテるぞ、オラ。
「出てこいやァ! 今すぐ地べた転がしてやる!!」
『は? なんでキレてるんですか? 情緒不安定? ……まあ、時にはそういう時もありますよねッ! 分かりますよ、同志。私もミオン様と出会ったのはそんな──』
「同じじゃねええ!!!」
──結局。
そのあと唐突に返答は途絶え、天の声野郎は出てこなかった。
しばらく騒いだが、ギャラリーが集まってきた時点ですごすごと退散することにした。ミオンさんはいないらしいし。
……次は必ず地獄の業火で炙ってやる。
ミラ様でも連れてくるか???
♢♢♢♢♢
次の階層も精神的に向かいやすい場所ではあった。
ミオンさんの階層よりもさらに奥まったところ。
無機質なクシナの階や雑多なミオンさんの階、どちらとも違う鉄っぽい見た目の廊下が真っ直ぐに延びている。
やがてその道を突き当たりまで行くと、重々しい雰囲気を醸し出している鉄製の扉が現れた。
ノックをすると、学校のロッカー扉を閉めるような音がした。
そんな”ぶっきらぼうな工房”といった雰囲気の場所に閉じこもっているのは……。
「ツクモー? いるー?」
言いつつ、俺は扉を開ける──開けて、しまった。
「────ぇ」
その先に待っていたのは、鉄塊。
俺の瞳だからこそ視界に捉えられているほどの超高速。
その速度で、こちらに迫り来る鉄塊だった。
遅れて、それが侵入者に対するトラップであると認識する。
──やば、油断した。
全力で床を蹴ろうとするが、視界は超高速に対応できても、身体全体がついてくるわけじゃない。
頼みの《分離》も、対象を二つとも視界に押さえていないと発動できない。
いま、この瞬間に視界に入るほどに手を持ち上げる時間は、ない。
これ下手すると──死──、
「……世話が焼けるね」
ため息混じりの、呆れたような低めの声だった。
反射的に後ろに蹴り出していた俺の身体が、横からの力を加えられて、反対に向かって押し出される。
耳元を通過する風切り音と共に吹っ飛ばされた。
辛うじて受け身を取って起き上がると、そこには声の主であり恩人でもある相手が立っていた。
影法師が地面から起き上がったかのような、全身真っ黒のドレス姿──否、喪服姿。
一度しか会ったことがない、それでも忘れようのないその人の名は。
「ゼナ、さん……」
ゼナ・ラナンキュラス。
幹部の中で二人しかいない、クシナよりも上の席次を担う女性。
第二席〈絶望〉、その人だった。
──ガラァ……ン。
一瞬色々な疑問が駆け巡り、ぼうっとしていた俺は、遠くの方で鉄塊が落ちる音を聞いてハッと正気を取り戻す。
「……あ、ありがとうございます!」
助けてもらったことへの感謝の言葉と共に、頭を下げる。
「……うん」
じっと俺を見つめていたゼナさんは、コクンと頷いただけだった。
と、そこで、バタバタと騒がしい足音が鳴り響く。
「ハァーハッハッ!! ついに来たか、我が魔の城へ挑戦せんとする勇者──否や、蛮勇者がッ!!」
工房の中から近寄ってきたその声の主は、開け放たれた鉄扉からひょっこり現れた。
「いいだろう、我はその挑戦を受けて立──……お?」
その幼女、十時ツクモはむふ〜っという表情を、きょとんとしたものに変える。
それからパッと明るく笑った。
「おー、兄様! 二週間ぶりだな! ゼナ姉もよく来たのだ! ……それで、蛮勇者は?」
俺と幹部二人の間に沈黙が流れた。
くすり、と。
誰の口からとも取れない、笑い声がその場を弛緩させた。
数分後、俺は雑多な工房に招き入れられていた。
事の次第をツクモに話しているうちに、俺が気づいた時にはゼナさんはいつの間にかいなくなっていた。
……今度、あらためてちゃんとお礼をしなきゃな。
「ふむふむ」
俺の話を聞き終えたツクモが頷く。
「それで、その犯人とやらは鬼の仮面に刀を持っていたんだな?」
「うん……その言い草は、ひょっとして何か知ってる?」
「ああ、相手がとてもセンスのいい奴だということが分かるな!」
キラキラとした瞳。
……ああ、これいつもの発作か。
「ま、まあ、やっぱ分からな──」
「そんなセンスのいい奴など、一人しか知らぬなっ!」
「…………は?」
しばしの沈黙。
ツクモが首を傾げた。
「え、ツクモ、知ってるの?」
「うむ、もちろん」
彼女は自慢げに頷き、胸を張り、
「我らが第六席〈外科医〉に相違なかろう!!」
そう、断言したのだった。




