第17話 借りてきた猫
ちゅんちゅん、と雀の声が聞こえた。
「……ん?」
なぜかふわふわとしていた意識が、それで覚醒する。
見知った自分の部屋──ではない。
否、見知っている。
これ以上なく。
「ク──っ!?」
クシナの部屋、という叫び声をすんでのところで噛み殺す。
そうさせたのは、傍の暖かな存在だった。
「すぅ……すぅ……」
微かな寝息を立てて、クシナが眠っている。
「なんで……?」
たしか昨日の夜は……うーん、代償に呑まれてからの記憶が曖昧だなあ。これはまたやりましたね、ハイ。
思い出せる最後の記憶は──、
『ん、いいよ。来て?』
……わあ、寝起きポワポワのクシナちゃんだぁ。
これ、「クシナには正常な思考ができない状態だった」とか判断されたら司法に裁かれるんじゃないか、俺???
どうやって責任取ればいいんでしょう……。
「…………とりあえずシャワーでも浴びるか」
昨日お風呂入る余裕とかなかったしな。
♢♢♢♢♢
「それにしても、昨日は久々に強めの代償だったなー」
上裸に濡れたタオルを掛けて、独り言。
心なし首筋とかもちょっとヒリヒリと痛む気がする。
俺が首をさすりながら二階に上がると、ちょうどクシナの部屋の前くらいの位置で、俺の部屋の扉が開いた。
もしやクシナ?と見ていれば、のそりと出てきたのはメイド服の少女、ミラ様だった。
おっふ、朝からメイド姿の推し……。
このままじゃオタクは破裂し──ん?
「あれ? ミラさ、ん、どうして俺の部屋から……」
「──ひっ」
「…………え?」
ミラ様は俺が声をかけるなり、自分の身体を抱いて跳びすさる。
怪訝に思ってよくよく見れば、その美貌には濃い隈ができていた。
妙な反応といい不眠っぽかったり、明らかに尋常ではない様子。
連れてこられた環境に馴染めなかった的なやつだろうか……。
「大丈夫……?」
「……………………だれのせいだと──」
何か言いかけたミラ様の口が止まった。
充血した目を見開いて、俺の……首元?を見ている。
「あ、あなた……それ……」
「ん?」
そっと手を添えると少しヒリッとした感覚があった。
痛くはない程度。
変に擦ったりしたかな、と首を傾げていると、クシナの部屋が開く。
出てきた幼馴染は眠そうに目を擦っていた。
だるっとした寝巻き姿で、手の半ばまで袖で隠れている。
「おはよう、クシナ」
「ん、おはよ……」
眠たそうな目つきのままのそのそと近づいてきた彼女は、俺の腕を両腕で抱きしめて、こちらの肩にぽふっと頭を載せてきた。
「んー……」
「あはは、まだ眠そうだね」
「きのう、夜更かししたから……」
「そうだ、昨日は本当にありがとね。助かった」
「すっきりした……?」
「うん。おかげでよく眠れた」
「ふふ、ならよかった……」
ぐりぐりと押し付けられる頭を、その滑らかな黒髪を溶かすように撫でる。
ふと、ミラ様の方を見ると、
「──っ、……っ!!」
口をわなわなと震わせて、顔を真っ赤にしていた。
なぜに……? 本当に今日のミラ様は挙動不審だな……へんなの。
「あたしも、お風呂入ってくる」
クシナは顔を上げて、ミラ様に流し目を送りながら微笑んだ。
「昨日はあたしも汗かいちゃったから」
「〜〜〜っ!?」
「いってらっしゃい」
「はーい」
とんとんと木製の階段を降りていくクシナ。
見送るミラ様は湯気でも出そうなほど顔を赤くしていた。
「……あの、ほんと大丈夫?」
「……………………」
「じゃ、じゃあ、俺もこれで……」
固まるメイドさんの横を通り過ぎて部屋に入る。
と、一目見て違和感。
原因はすぐにわかった。
いつもは綺麗に整えているはずのベッドがぐちゃぐちゃになっているのだ。
考えられるのは俺の部屋から出てきた少女。
……ミラ様、ひょっとして俺の部屋で寝てた?
「いや、馬鹿か。そんなわけないだろ」
オタクくんの妄想が出てしまったぜ、危ない危ない。
俺は一笑に付して、適当なシャツを見繕いはじめた。
♢♢♢♢♢
「じゃ、あたし今日はちょっと出かけてくるから。夕飯は自分でね」
クシナはそう言って、午後にはうちを出ていった。
俺は彼女を見送って振り返り、
「今日はミラさんは一緒じゃないんだね」
「……訓練は毎日やっているわけではありませんし」
手で片腕を押さえながら、斜に構えたミラ様が不機嫌そうにする。
「……お茶、出しなさい」
彼女はソファに座ると、ぼそっと命令した。
さっきよりは普段通りだが、ちょっとぎこちない、というか遠慮がちな感じである。
そんなメイド様の要望を叶えるべく、急須を取りにいく。
お湯を沸かしながら、俺は昨夜の出来事について考えていた。
眠そうにしながら受け入れてくれるクシナ──ではなく、そのさらに前のことだ。
ヒナタちゃんとルイの捜査は上手くいった。
それを追跡するのも上手くいった。
でも、殺人鬼を捕まえるのは上手くいかなかった。
脳裏に浮かぶ、抜き身の刀を構える鬼面の少女(セーラー服を着ていたから多分、少女)。
例によって知らない人物である。マジで転生知識役に立ってない……。
でも絶対俺が知っている原作よりさらに後に出てくるよ、あの子。
なにせ、今のヒナタちゃんとルイは相当に強い。
俺が読んでた頃までの『わたゆめ』の中でも後半に差し掛かっていた頃の強さを誇っている。
少なくとも物語前半で身につけていていい強さではない。
その彼女たちを、ああも容易くあしらう達人。
それこそ支部最強のリンネ先輩や、うちのクシナと遜色ないクラスだ。
……いや、たぶん後者に関してはクシナの方が強いけど。
どっちにしろ後半のボス格級の強さを誇っているのは間違いない。
その彼女がこの時期から主人公ペアに絡むことになるなんて……どうしたもんかなぁ。また俺のせいなのかなぁ。
「はあ……」
考えるべきことは他にもある。
それは例えば、彼女が去り際に残した「味方を疑え」という意味深な言葉。
味方、ってことは天翼の守護者だと思うんだが。
彼女の言を信じるなら、内部に裏切り者がいるってことなのかな。
俺は背後のソファで携帯をいじっているミラ様を──いやいじってないなアレ、なんで真っ暗な画面見てんの? こわいんだけど。
……まあいいや。
言ってしまえば、ミラ様だって俺たち【救世の契り】からしてみれば【循守の白天秤】に属する敵である。
彼女の場合はクシナが完璧に抑えているらしいので問題ないわけだが……。
天秤側にもこうやって敵サイドの人間──あの鬼面少女──を引き入れている人間がいる、ということになる。
それも、その人物は鬼面少女の手綱を握っていない……いや、握った上で仲間を殺すように仕向けているのか?
なんのために?
考えられるのは……嫉妬、とかだろうか。
にしても、そんな短絡的に殺人鬼を引き入れて仲間を──。
「…………っ!」
仲間。
そうだ、仲間──ではないとしたら?
俺は今度こそ、勢いよく振り向くとミラ様の傍による。
「ミラさん!」
「ひゃあ!? なんですの? 私のことも襲いますの!? このケダモノッ!! 燃やしますわよッ!?」
「違うよ!? なに言ってんのっ?」
涙目で自分の身体を抱きしめながら叫び散らす高貴な令嬢様。
やや面食らいながらも、俺は真剣な態度で彼女に向き合う。
今日まで、俺はミラ様から負の感情を向けられているのを感じ取っていた。
そのためクシナはともかく、俺は積極的に彼女から何かを聞き出そうとしてこなかった。
ただ、今は違う。
彼女にしか訊けないことがある。
「少し訊きたいことがあるんだ。正直に話してもらうよ」
「…………っ、だ、だれがあなたなんかに……」
弱々しく、俺を睨みつけるミラ様。
申し訳ないけど、重要事項なんだ。
今回ばかりはちょっと強く出させてもらおう。
俺はソファの背もたれに少々乱暴に手を置く。
「〜〜〜っ!?」
挟まれた令嬢はメイド服のあちこちを抑えると、顔色を伺うように俺を見上げた。
そんな彼女に顔を寄せ、
「へえ?(この家の)主人に逆らうんだ?」
凄まれたメイドは、顔を真っ赤にしてみるみる涙目になり──。
「───ご、ごしゅじんさまぁ」
…………んん?




