第14話 人斬りの鬼
「じゃ、おやすみ〜」
「────ッ」
去ろうとする鬼面の少女に向かって、ヒナタは正拳突きを見舞う。
全力で放った一撃だった
「うわっ、なに?」
しかし、鬼面の少女は刀の柄で滑らせるようにして軌道を逸らす。
その勢いを乗せた刀身が跳ね上がり、ヒナタの脇腹を横から殴りつける。
「ぐっ!?」
自身の攻撃をそっくりそのまま返された形。
鈍痛によろめきながら、距離を取る。
刀身が鞘に納められていなかったら、今ので胴が切り裂かれていたのは間違いない。
ぞっとすると同時、頭に上った血が瞬時に冷えていくのが分かった。
その様子を見て、鬼面の少女は小首をかしげる。
「やめようぜー。身共、戦うの嫌いなんだよー」
「どのっ、口が……っ!!」
「あ、悪いね。仮面で口元見えないよね、てへぺろ」
鬼面の少女は相も変わらず戯けた仕草。
「今ので実力差は分かっただろう? 夜の遠足はおしまいにして家に帰りな、見習い天使ちゃん」
「くっ……」
悔しいが少女の言うことは確かだ。
たったの一撃打ち合っただけでも分かる戦闘能力の高さ。
そこらの喧嘩殺法ではない。きちんとした武術を修めている。
五年やそこら学んだだけのヒナタの体術では敵わないだろう。
だからこそ。
──《加速》
それを覆すための才能がある。
「────ッ!」
二撃目も正面。
初撃と異なるのは、圧倒的速度。
それから攻撃の正体が拳ではなく足であること。
プラチナの鉄脚甲が鎌のように閃いた。
「おお?」
《加速》を乗せた急襲で意表を付かれ、対応が遅れた少女の足元をヒナタの脚撃が刈りとる──寸前。
「うん、無理だな」
少女がわずかに跳んだ。
当然、その程度では避けるにあたわず。
ヒナタの足が少女の足に直撃し、
「よっと」
少女が脚撃を足裏で受ける。
宙を舞う華奢な身体がぐるんと上下反転した。
(衝撃を流された──ッ!?)
先ほどのカウンターと同じだ。
力の流れをうまく逸らされている。
(でも……ッ!)
少女は空中で無防備、今なら攻撃が通る。
すかさず鉄手甲をぶちかます。
硬い激突音。
「…………っ」
その一撃は、鞘に包まれた刀身で受け止められていた。
しかし、踏ん張りが効かない宙にある少女は吹き飛ぶ。
路地裏を数メートル吹き飛んだ少女は、空中で身体を捻って着地。
鞘越しに衝撃をモロに喰らった右手を痛そうに振った。
「容赦ないなぁ」
一見、余裕に見える少女。
その手に持つ刀の、鞘が割れた。
ぱらぱらと黒塗りの木材が地面に散らばる。
「……あらら」
ヒナタは追撃を仕掛けるべく構え、
「────」
背筋が凍った。
立ち姿は先ほどまでと変わらない。
ただ自然体で佇んでいる、ように見える。
違うのは、抜き身に変じた白銀の刀身だけだ。
けれど、さっきまでとは雰囲気がまるで違った。
「少しばかり見くびっていたみたいだ」
「…………」
浮ついたニュアンスのない言葉に、知らず唾を飲む。
ひりついた暗い路地裏に──空気を裂く音が響いた。
「……っ!」
鬼面の少女が横っ飛びに回避。
その背後から、直前までいた場所を蒼銀の剣が通り過ぎる。
次いで、流星のように夜空から降りそそぐ剣の雨。
「あぶないな」
言葉に反して危なげなく避け切った少女は天を仰ぐ。
「おやおや、次から次へと。貴殿が茶髪ちゃんのバディかな」
「──そうだけれど」
ヒナタの頭上に浮かぶ、青の天使──ルイはそっけなく頷く。
それを見て、おそらく鬼面の少女は笑った。
「だよねぇ。まだ来ないと聞いてたし」
「────」
ルイは目をすがめる。
そして自身の耳を疑った。
いま、たしかに──。
「余計な時間も、余計な殺しもするつもりはなかったんだけど」
増援にも反応を示さず少女だけを警戒するヒナタとその相方。
天使のバディに相対して、少女はこの夜、初めて構えを見せた。
それは居合の構え。
「鞘がないから格好がつかないけど、寝かしつけてあげようじゃないか」
腰を落とす黒セーラーの少女。
対峙する白い隊服のヒナタとルイ。
「ここで捕まってもらいます」
「眠るのはアナタの方よ」
両サイドの動きだしは同時──ではなかった。
鬼面の少女の後ろから音もなく迫る、蒼銀の長剣。
(柄頭をぶつけて眠らせる)
呵責なきルイの奇襲。
それが少女まで残りわずかと距離を詰めたところで、
「────」
少女が黒の制服とコートを翻して反転。
銀閃が円を描いた。
無音。
ルイの長剣は少女の両サイドを通り抜ける。
「なっ!?」
新人とはいえ天翼の守護者の特注の武器。
それが、真っ二つに斬られていた。
対象が意識の捕捉から外れたせいで《念動力》が切れ、剣の残骸は路地裏に転がる。
「──まったく、油断ならないなぁ」
少女の鬼面から、ピシリと音が響く。
彼女は片手でそれを抑えた。
その隙にヒナタとルイは少し身を寄せる。
『ヒナ』
『うん。あの刀、触れたらマズそう』
『多分、天稟ね』
小声で情報を共有する。
その二人の前で、ゆらりと黒装束の少女が揺れた。
──次の瞬間、鬼面が、二人のすぐ目の前まで迫っていた。
「は?」
「まずっ、ルイちゃん!」
少女は構えを終えている。
ヒナタは慌てて《加速》を発動させると、ルイの服を掴んで後ろに引っ張る。
「ヒナ!?」
刀身の範囲内にヒナタだけが取り残され、銀閃が払われる。
(……っ、一か八か!)
両手を交差させて刀を受ける姿勢を取る。
そうして身を縮こまらせたヒナタの背後から──風が吹いた。
風は、赤い吹雪を運んできた。
「っ?」
刀を振り抜いていた鬼面の少女が、わずかに吐息をこぼす。
それは困惑の色。
自身の振った刀身が、ブレーキとアクセルを交互に踏んでいるように下手くそな軌道を描いていたからだ。
「下がって」
「────!」
その声を聞いて、ヒナタは思考を挟まず飛び退った。
思わず、振り返る。
視界には呆然と背後を見ているルイと、その奥から流れくる赤い奔流。
そのさらに奥に立つ、黒いローブ姿の長身。
ローブには赤い彼岸花の紋章があしらわれている。
「〈乖離〉、さん」
「〈乖離〉!?」
ヒナタとルイが同時に驚愕の声をあげた。
「ふぅむ」
仮面越しの思案げな声に、慌てて向き直る天使二人。
少女はいつのまにか構えを解いて刀を気楽にぶら下げていた。
いまだ周りを浮遊する赤い紙吹雪を警戒してか、彼女は動く素振りを見せていなかった。
鬼面が不可思議でたまらないといった風に傾げられる。
「貴殿、【救世の契り】だよねぇ」
「……見ての通り、かな」
「どうして天使ちゃんたちを庇うのかな?」
「……さあね」
天使を挟んで交わされる会話。
傍目にも、〈乖離〉が言葉を選ぶようにして喋っているのがよく分かった。
それが意味するところは──?
「まあ、いいさ」
「…………っ」
二人の考えがまとまるより前に、鬼面の少女は踵を返した。
「元々そこの天使ちゃんたちは標的じゃないしぃ」
「逃すと──!」
「違うね。見逃すんだ、身共がね」
食い下がるヒナタに、すげなく返される答え。
彼女は一瞬立ち止まると、
「味方を疑え、とだけアドバイスしておくよ」
意味深にそう呟く。
それから少女は再び陽炎のように揺れ、姿を消した。
──残されたのは三人。
太陽のような天使と、雨のごとき天使、そして彼岸花の使者だけだった。




