第12話 捜査網を抜け
背後で息切れしているメイドさんをおいて、クシナが俺に近寄ってくる。
「ミラ様連れてきてよかったの?」
ミラ様に聞こえない程度の声量で問うと、クシナはこくんと頷いた。
「目隠ししてローブに包んで引っ張ってきたから大丈夫」
「大丈夫???」
それは果たして大丈夫な絵面だろうか?
誘拐なんて犯罪者みたいな真似……うーん我々犯罪組織の一員だったな。ほな大丈夫か……。
「それで、わざわざどうしたの?」
「昨日、天翼の守護者が殺された事件があったらしいんだけど、知ってる?」
自然と声が固くなるのを自覚する。
クシナは不殺を貫いているが、別に【救世の契り】自体が不殺の組織ではないのだ。
もし、これに彼女が頷くようなら……。
と、かすかに不安を覚えるこちらの胸中を推し量ったように、穏やかな声音が返された。
「いま初めて聞いたわ」
「──そっか」
「露骨に安心するわね」
「そりゃね」
もしクシナが知っていようが、俺の彼女に対する接し方が変わるわけではないけれど。
それはそれとして心配にはなってしまうのである。だってウチの幼馴染、幹部でもあるわけだし。
「ただ、あたしが知らないってだけで、うちの仕業って線は全然あるわよ?」
「幹部なのに?」
「一度、幹部連中の顔を思い出してからそういうことは言うのね」
なに考えてるか謎な盟主。
そもそも来ない第一席。
新宿滅ぼした第二席。
うちのクシナ。
食わせ化狐の第四席。
チートな幼女の第五席。
集会も面倒臭がる第六席。
うちのクシナ、すごく面倒な人たちに挟まれてる……。
「なんかごめんね……」
「分かればいいのよ」
ため息、一つ。
「まあ、あたしも分かったことがあれば教えるわ」
「ん、ありがとう。用事はそれだけだよ。あ、俺も今度、特訓してくれると助かる」
「分かったわ。手心は加えないから」
「……ちょっとは加えてね」
「考えとく」
軽く会話して、俺は殺風景な訓練場を後にしようとする。
「──行くの?」
背後からかけられた言葉は、いまこの瞬間の話ではないだろう。
「ああ。少し調べたいことがあるんだ」
「そう、手伝いは要る?」
「一人で大丈夫。危なくなったら引くつもりだし」
「ほんとに?」
「……たぶん」
「ふふ、頑張ってね」
振り返らず、頷いた。
「あ、今日の夜ご飯なにがいい?」
「オムライス」
「わかった。──朝ごはんはいる?」
「あー……」
本当に、隠し事ができない子だよなぁ。
「うん、よろしく」
「わかった。火を入れるだけにしておくわね」
「いつもありがとう」
今度こそ俺は訓練場の敷居を越え、暗い廊下を進んでいく。
──さあ、〈乖離〉の時間だ。
♢♢♢♢♢
闇に溶けるように消えていく幼馴染の後ろ姿を見送って、クシナは視線を背後に戻した。
「さて、ミラ」
「……わかっています」
メイド姿の少女は、ぐっと膝に力を入れて立ち上がる。
「本番、ですわね」
その肩は僅かに震えている。
緊張と、恐怖だろう。
「まずは”範囲”を絞ることだけを意識する……といいかもね」
「適当な教えですわ」
そんなことを言われても、と小首を傾げるクシナ。
「だって、あたしは初めからできたもの」
「化け物……」
「はいはい、死ぬ気で頭を回しなさい、化け猫。でないと死ぬわよ」
「信じがたい鬼ですわ」
適度に気持ちがほぐれてきたらしいミラを促す。
文句を言いながらも彼女は目を閉じた。
「あのざ……男に対する優しさを他にも回そうとは思いませんの?」
「……そうね」
少し考えてから、考える必要もないなと思い、そのまま口にする。
「イブキに優しさを向けているんじゃなくて、イブキに向いているのが優しさなの。他に向ける分なんて初めからないのよ……少ししかね」
クシナは見知った金髪によく似た髪色を持つ少女を見た。
「ほら、集中しなさい。死なない程度に助けてあげるから」
その紫水晶の視線は、瞑目しているメイド少女には届かなかった。
♢♢♢♢♢
【循守の白天秤】の最上階に程近い一室。
「副支部長」
一人の天翼の守護者がデスクの前に立って、恐る恐る声をかける。
その前に座す副支部長・信藤イサナは──コミックのような目が描かれた面白アイマスクをして、背もたれに寄りかかっていた。
……寝てるような気もするが……たまに音楽に合わせるように揺れたりしてるので起きているような気もする。
「ん、なに?」
やっぱり起きていたらしい。
面白アイマスクをクイッと片手で持ち上げると、琥珀色の瞳が部下を捉えた。
部下の天使は手に持つ紙の資料に目を落とす。
「最近ずっと司令室の夜勤を担当しているでしょう。本日以降のシフトも見たのですが……」
手に持ってるのは、ここ最近の司令室で不寝番を勤めている天使の表である。
日中の間は適度に色々な名前が羅列してあるのだが、夜間になると途端に「信藤イサナ」の文字が激増している。
しかも副支部長権限で自分で入れまくっているというのだからタチが悪い。
「あー、大丈夫大丈夫。こうやって適度に寝てるし」
「寝て……? いえ、いくら何でもそれでは足りないでしょう」
「ぐう……」
「ほらぁ!」
「冗談だよ、ジョーダン」
「まったく……。うちの支部はここまで人手不足ではありませんよ」
と、ため息をつくが、イサナは真剣な表情で部下を見据えた。
「なにせ、もう四人目だ」
言われた部下は神妙に視線を下げる。
そう。天翼の守護者内ですら情報統制がなされているため、知る者は多くないが、謎の襲撃者による天使の殺害はこの間の一件が初めてではない。
……それを知る者の中には事件の全貌を開示するべきだと主張する者も当然いたが、イサナは「考えがある」の一点張りでそれを跳ね除けていた。
「初動が遅れたとはいえ、この2週間近くで随分としてやられている」
「ご自分を責められる必要はありません」
「──いや、責めるよ」
感情のうかがえない声音でそれを否定したイサナは、しばらく天井を見上げてポツリと呟いた。
「ま、君の言うとおりかもね」
「副支部長……」
ようやくこの背負いすぎな副支部長が分かってくれたか、とほっと肩の力を抜──。
「お言葉に甘えてシフトを半分くらいにしよう」
「まだ多いです!!」
♢♢♢♢♢
ヒナタは自室のベッドの上で目を開けた。
アラームを止めて、スマホを手に取ると『19:00』。
『ヒナタ〜、ご飯よ〜』
「はーい……」
しょもしょもとした声で返事する。
──ヒナタは学校から帰ってすぐ、ベッドに飛び込むようにして3時間ほど睡眠を摂っていた。
これが、ヒナタがルイと共有した策である。
名付けて『あらかじめ寝ておけばいいんだよ!』作戦である。
ちょっと脳筋すぎないかしら……と困ったような顔をするルイを巻き込み、ヒナタはここ数日、この作戦を決行していた。
みんなには内緒でルイと二人、深夜の街角で落ち合う。
帰りは早朝の4時くらいで、そこから追加で睡眠を摂って学校へ。
これが最近のヒナタの生活スタイルである。
ちなみに当初は否定よりの立場だった相棒は「ふたりきりで夜の冒険だね!」と言ったら、急に乗り気になった。
というわけで、ヒナタはこっそり家を出ていく。
駆け足の彼女の脳裏に過ぎるのは、数日前の昼間の出来事。
今回の事件に関する情報がないかと、見回りがてらに聞き込みをしている時にある情報を得たのだった。
それは事件のあった日、その一帯で「五分ほどのわずかな間だけブレーカーが落ちた」という話である。
これがどれほど事件に関係しているかはわからない。
けれど、無関係ではなさそうだ。
なぜなら、事件当時「被害者の天翼の守護者と連絡が取れなくなった」という情報は確定しているのだから。
これをヒントにして、ヒナタとルイは砂漠でダイヤモンドを探すような無謀な調査をしている。
「頼んだよ、ルイちゃん」
街を疾走しつつ、ヒナタは夜空を見上げた。
♢♢♢♢♢
「坊や〜、良い子だ、ねんねしな」
裏路地に鈴を転がしたような歌声が響く。
声の主は踊るようなスキップで路地を渡っていく。
その身を包むのは黒いセーラー服と、漆黒のコート。
「今日もいい月だなぁ」
鬼面越しに空を見上げ、少女は言った。
月明かりに照らされた銀鈴が、少女に合わせるように楽しげな音を奏でていた。




