第11話 近所のお兄さんじゃいられない
「──と、いうことだったみたいです」
「そう、なんだ……」
ヒナタちゃんがうちに来て事件のあらましを語ってくれたのは、デートの次の日の夕方だった。
高校の帰りにそのまま寄ってくれたらしく制服姿の推し。
めちゃくちゃ可愛くて堪らないのだが、いまは呑気にオタクしていられる雰囲気でもない。
一時間後くらいに時限式で爆発するよう心の片隅に巨大感情爆弾をセットした俺はこの場での冷静な思考を確保する。
考えるのは、この事件は『わたゆめ』の時に起こっていた出来事なのだろうか、ということ。
原作で描かれている範囲では、ない。
けれど、この時期はちょうど二章(ルイと仲良くなる話)と三章(ミラ様が襲来する話)の間に位置する頃合いだった。
ようやく活躍を見せられるようになってきた主人公ペアが鰻登りに実績を積み上げていくパート。
すなわちダイジェスト部分である。
常識的に考えて、天翼の守護者の上層部が今回の事件のように危険性が高い案件をヒナタちゃんたちのような新人にふるとは考えられないのだが……。
「…………」
俺は対面のソファで背筋を伸ばし、どこか緊張したように……まるでこちらの反応を伺うかのように様子を伺ってくるヒナタちゃんを見る。
「今更ではあるんだけど、こういうのって俺にバラしちゃまずいんじゃない?」
新聞を見てもラジオを聴いても、この事件に対する情報は載っていない。
「こんな凶悪犯の犯行を隠していていいのだろうか」という疑問を微かに感じつつも、慎重に事を運びたい支部の気持ちもよく分かる。
天翼の守護者が狙われているというのは、あまり表沙汰にしたくはないだろう。
本当に最悪の最悪の場合、「天翼の守護者を差し出せ!」なんて暴論が世に出回ったりしかねないからな。
ということで、一般通過オタクである俺にも本来はこの情報は回ってきてはいけないはずなのだ。
「それは、そうですね……。でも、お兄さんは昨日わたしが巻き込んでしまったので……」
「────」
自分のせいで、と申し訳なさそうに肩を縮こめる彼女を見て心が揺れた。
──本当に「巻き込んだ」のはヒナタちゃんなのだろうか?
だって、そうだろう。
そもそも彼女は俺とデートになんていかなければ、この事件に出会わなかったかもしれないのだから。
あり得ない話じゃない。
情報共有をする場合にもしない場合にも、どちらにもメリット・デメリットはある。彼女たちの上司がどちらの判断を取るかは、状況と相手次第であるに違いない。
そして、その人物がヒナタちゃんたちのことをよく知る相手であったならば──俺ならば絶対、彼女たちにだけは教えない。
それくらい彼女は……、
「ヒナタちゃんは、捜査チームの一人なの?」
「……いえ。でも」
力なく首を横に振った彼女は、顔を上げ、力強く俺を見る。
「わたしはわたしで、犯人を捕まえたい」
「……どうして?」
「仲間のため」
──ああ、ほら。
「天翼の守護者は街を守る存在です。でも彼女たちを守る存在はいない。だからこそ、天翼の守護者は──わたしたちは互いに背を預け合うんです」
──この子は、そう言うに決まっているんだ。
「わたしは誰かを守る姿に、憧れたんですから」
ふっと、微笑んで俺を見る天使。
「ごめんなさい」
「え、何が?」
「いえ……そうですね、急にこんな話をしてしまって?」
「めちゃくちゃ今考えたじゃん……」
「えへへ、本当のところはナイショです」
素直で嘘がつけないヒナタちゃんマジで天使なんだけど……(昇天)
「それじゃあ──もし何か気づいたことがあったら教えてください」
と、髪を揺らしてソファから立ち上がる。
玄関の方に向かう道すがら、ヒナタちゃんは可愛らしく片腕でマッスルポーズをしながら、俺を見上げた。
「それと、危なくなったら必ず助けに行きますから」
「──ありがとう」
それでは、一礼して隣の家に帰っていく推し。
彼女を見送ってドアを閉めた俺は、なんとはなしに己の手のひらを見つめる。
「…………」
ヒナタちゃんを俺の手で今回の件に巻き込んでしまったかもしれない。
そう思うと同時に、ヒナタちゃんなら自分から飛び込んでいったかもしれないとも思う。
どちらもあり得るのだから、これ以上考えてもそれはしょうがない。
だから今の俺はこの胸に渦巻く気持ちのまま行動するしかないのだ。
──やっぱりヒナタちゃんは変わらない。
俺が推したあの『傍陽ヒナタ』の力になる。
原作で描かれていないというのは不明瞭であると同時に、だからこそ自由が効くという意味でもある。
推しの敵になったので許されてこなかった介入が、今ここに至っては許されるということだ。
「となれば早速、動こうかな」
俺はぎゅっと手のひらを握りしめた。
♢♢♢♢♢
というわけで、俺がやってきたのはお馴染みCafé・Manhattanです。
裏路地にありながらも、そこそこの人気を誇るこのカフェには今日も結構なお客さんがいた。
無言でにこにこしながら注文を受けてはカウンターに戻る……と忙しくしている店主の馬喰ユイカさんに会釈。
お客さんがいるため話しかけてくるようなことはなかったけど、ふわふわ笑顔で小さく手を振ってくれた。
それから二回、右目だけでウインクしてくれる。
全国津々浦々のユイカさんファンが狂喜乱舞するに違いないそれは、俺たちにとっては秘密のサインの一つだった。
奥まった座席の方を覗き込むと、”裏”につながるドアの周辺だけはうまく人避けがなされている。
さっきのサインはこの「今ならいけるよ〜」の合図である。
最初は緊張したものだが、いまではすっかり慣れたもの。
するっと体を向こう側に滑り込ませて、【救世の契り】の地下基地〈巣窟〉へと降りていく。
集会場のような広場を抜けて、幹部ごとに独立した階層へと足を踏み入れる。
向かう先は当然、うちの上司の階層。
そこは殺風景な戦闘場だった。
そこで──、
「はァ……ッ」
揺れるメイド服。
人間の身体じゃありえないくらいの速度で移動した少女は、鹿のように軽快に飛び跳ね、中空で横蹴りを繰り出す。
正面に構えたローブ姿のうちの上司──クシナはギリギリまで動かず。
「雑」
そんな一言で白いニーソックスに包まれた細い足首を、片手でずらした。
瞬間、蹴りを繰り出したメイドさん──ミラ様の身体がものの見事にくるんと一回転する。
「うぁ!?」
わずかに立ち位置を動かしたクシナの横を、自分の勢いに流されるまま通り抜ける。
地面に転がる悲鳴を上げるも、ぱっと顔を上げ──、
「その上、遅い」
クシナの右手が彼女の視界を覆うように突き出されていた。
「…………っ」
思わず固まり、地に転がったまま動けなくなるミラ様。
彼女を見下ろしてクシナはため息をついた。
「あの子の天稟を使ってその程度とは呆れるわね。加速の取り柄を『速い』しか活かせてないわよ」
「く、うぅ〜っ」
クシナが手を退けると、悔しげに歯軋りしながら立ち上がるミラ様。
彼女を背後に置きつつ、クシナが振り返った。
ふっと優しい笑顔を浮かべて、小首を傾げる。
「それで、わざわざこんなところまでどうしたの、イブキ?」
「うん、ちょっとね」
──これ以上色々な事件に踏み込むなら、もう『近所のお兄さん』という立場にばかり甘えてはいられないから。
俺は基地に入る時から被っていたローブのフードを取り、クシナたちに歩み寄った。




