第8話 原典と原点
白天秤ミュージアムは、ここ桜邑の担当支部──第十支部を中心に国内の【循守の白天秤】及び天翼の守護者に所縁のある資料の収集・保管・展示などを行っている博物館である。
収蔵品は約50000点にも上り、その中から1000点ほどが常設で展示されている、云々。
「そんな沢山あったんだ」
入り口の説明文のパネルを見上げながら、俺は独りごちる。
昔はこういうパネルとか全然読んでなかったからなぁ。
50000点と聞くととんでもない感じがするけど、かつての有名天使の腕章とか細々したものも含めての数らしい。
収蔵品リストとか見られたら面白いかもな〜。
「ね、ヒナ──あれ、ヒナタちゃん?」
ふと横を見ると入場時までは一緒にいたヒナタちゃんが消えている。
あ、あれ……? なんか最近、ヒナタちゃんレーダーが鈍っている気がするぞ……?
きょろきょろとヒナタちゃんを探す。
彼女はとっくに先に進んでいて最初の展示ゾーンにかぶりつくようにして見ていた。
ヒナタちゃんが瞬きもせずに見ている先には、一体の像が立っていた。
それは前に彼女と駅前広場で待ち合わせした時にも触れた、この街のランドマークの一つ、〈鉄の掟女神〉の像だった。
元・第一支部長だった彼女の像がこの第十支部の管轄地区で祀られているのは、彼女が十年前の新宿崩壊事件〈幽寂の悪夢〉で活躍したのが理由だ。
【救世の契り】でも最強である第三席の上に立つ第二席ゼナ・ラナンキュラスの引き起こした災害。
破壊の規模に反して死傷者の数が少なかったことでも知られているこの事件だが、それに一役買っているのが〈鉄の掟女神〉だった。
そして──ヒナタちゃんが彼女と邂逅したのもその事件の時だった。
「…………」
ただただ黙って、じっとその像を見上げ、たまにその周辺の彼女に関連する展示物にも目を向ける。
まるで何かのルーティーンのように繰り返している。
〈鉄の掟女神〉は〈幽寂の悪夢〉での活躍以外にも数えきれないほどの華々しい実績だけを残して、表舞台から姿を消している。
第一支部長を降りてから以降の行方は知れていない。
【循守の白天秤】が正式な発表をしていないため、いまだに世間では生死不明の英雄である。
リーブラの権力者の椅子に座り、天秤を導いているのだ、だとか。
表からは手の出しようのない悪と戦うため、今も暗躍しているのだ、だとか。
世間ではいまだにそんな噂が実しやかに囁かれている。
──それが儚い夢に過ぎないことを、俺はもう知ってしまったけれど。
櫛引ハキリ。
クシナの義母で、メサイアの前・第三席。
もう、この世にはいない人。
ヒナタちゃんがその事実を知った時にどんな反応をするのか。
原作であれば、もう少し先の未来でヒナタちゃんは他の誰でもない英雄の娘からそれを聞かされる。
──『もう、あの人はいませんよ。この世界の、どこにも』
──『…………え?』
あくまで敵の言葉。
それを鵜呑みにしたわけじゃなくとも、『傍陽ヒナタ』の心には影が差す。
……その言葉が嘘じゃないことを俺はもう知ってしまった。
今のクシナがヒナタちゃんに言うとは微塵も思えないが。
「いや、それは俺が関与すべきことじゃないな……」
ヒナタちゃんが、彼女のこれからの人生で向き合うかもしれないし、向き合わないかもしれない。
それでも俺は信じているのである。
推しが心の闇なんて払って、自分の憧れた姿に近づこうと奮起することを。
──というわけで。
俺はヒナタちゃんをそっとしておいて、少し離れたところにある〈幽寂の悪夢〉についての小さなエリアを覗きにいく。
事件の大きさに比して取り上げられ方が小さいのは、これが今だに多くの人の心に影を齎したものだからだろうな。
けれども、今の”桜邑”という街を説明するのには避けては通れない道である。
俺の小さい頃──と言っても前世を思い出した後なので、10年も前じゃないだろう。つまりはここに通ってたのは〈幽寂の悪夢〉の後ということだ。
なのに、全然覚えてない……。
特に一切の記憶になかったのが、
「流石に地上部分に関しては常識として知ってるけど──地下道かぁ」
普段は見えない部分、である。
パネルの説明と対応して、桜邑の街のミニチュアが置かれていた。
奥側の半分では中心部の第十支部を含め地上部分が再現され、手前側の半分では上の街並みを取っ払った地下部分の再現がされている。
それによれば、桜邑には地下道が張り巡らされていたのだそうだ。
実際、再現ミニチュアを見るに、いかにも「ファンタジー世界の王都の地下水道!」みたいな道路が四方八方に展開している。
「へー、現在は大部分が地下鉄や地下水道などに再利用されている……あっ」
あー、わかった。
これ、俺がルイから逃げるのに利用したやつだ。
正確にはヒナタちゃんとの初邂逅で逃げるのに使おうと思ってプランの一つに入れてた道。
事前準備でいろいろマップを調べている時に、こんなデカい地下水道があるなら通って逃げられるじゃん! となったのである。
なるほど、こんな由来があったのか……。
シンプルに都合のいい逃げ道としてしか認識してなかったから、深く考えたことなかったな。
……というか、メサイアはこの張り巡らされた地下道を縫うようにして地下基地を作ってるってこと?
「いや、深さ的に──このさらに下か。すごいな」
まあ、彼女がこちら側にいたと知った今なら、それも可能なのかと納得してしまうのだが。
と、得心しつつ、背後の英雄像を見ようと振り返る。
「あ」
「……なにしてるの、ヒナタちゃん」
背後に、いつのまにか天使が一人。
桜邑マップパネルの前で腕を組んでいる俺に、彼女はスマホを向けていた。
構えられたスマホの横からひょい、と顔を出しつつ、どこか焦ったような表情でヒナタちゃんは視線を彷徨わせた。
「いやぁ、そのぅ、お兄さんが真剣な表情で何か考えてるからカメラに収めておこうとか考えていたわけではなくてですね……あ、ほら、そこ!」
と、ヒナタちゃんが指を差すのはパネルの隣。
『撮影可能』マークのキャプションが貼ってあった。
「ああ、マップの写真?」
「そ、そうです!」
なんだ、そうならそうと言ってくれたらよかったのに。
「ごめん、邪魔だよね。退くね」
「いえ! お兄さんを除けるくらいならマップを退けます!」
「本末が転倒してるよ???」
優しいなぁ、ヒナタちゃんは。
なんてほっこりしているうちに、そそくさとスマホをしまったヒナタちゃんが俺の隣に並ぶ。俺が見ている展示を見ると、きょとんとした。
「街の全体図ですか」
「うん。時間はまだまだあるし、向こう見てていいんだよ?」
向こう、とユースティティアの方を示すも、ヒナタちゃんは照れくさそうに笑った。
「いえいえ、すみません、年甲斐もなく熱中しちゃって」
「まだ15歳でしょ?」
思わず、くすくすと笑う。
するとヒナタちゃんは、ちょっとむっとした表情でバッグのショルダーベルトを握り込む。
「わたし、もう大人ですから!」
「大人はそんなこと言わないんじゃないかなぁ」
「そ、そんなこと言うと……」
ほっこりしている俺に、彼女は意を決したように手を伸ばしてきた。
「え、なっ」
「…………っ」
そのまま俺の手を握り──指を絡める。
頬に熱が集まるのが分かる。
それ以上に顔を俯かせるヒナタちゃんの耳は真っ赤だった。
「こ、こんな繋ぎ方だってできちゃうんですからっ」
「────」
思わず息が止まり、心臓が止まり、息の根が止まった。
しかし至近距離で天使の祝福を受けていた俺は一度だけ許された蘇生によって現世への帰還を果たす。
こうして俺は転生者という称号に加えて帰還者というトーマスみたいな称号を手に入れることにも成功したのだった。
「──はっ!?」
俺いま何考えてた!?
ていうか、この状況なに!?
なんで俺がヒナタちゃんと手を繋いで──……デートだからか。
え、俺推しとデートしてるの?
「あの……っ」
俺の思考回路が迷走しているうちにヒナタちゃんから鳴き声のように声が漏れる。
それで、少しだけ冷静になる。
そうだ、俺がデートに誘ったんじゃないか。
……だったら、さすがに今日くらいは責任取らなきゃな。
「ヒナタちゃん、つぎ行こっか」
「っ!」
俺は彼女の手を握る手に力を込める。
ヒナタちゃんがパッと顔をあげて俺を見た。
その顔はやはり真っ赤になっていたけれど、照れを誤魔化すような俺の下手くそな笑顔に、ふっと綻ぶ。
「はい」
静かに答え、ヒナタちゃんがもう一度俺の手を握り込む。
そこで俺は気づいた。
彼女の手は柔らかかったけれど、彼女の闘い方に則るようにしっかりとした骨格が感じられる。
──わたし、もう大人ですから!
さっきのヒナタちゃんの主張が思い返された。
……そうだな、もう天翼の守護者なんだ。
彼女はもう、小さい頃に見つけた最初の夢は叶えてるんだよな。
「ねえ、ヒナタちゃん」
「はい」
ゆったりと歩きながら問う。
「君の、いまの夢ってなに?」
「わたしの、夢?」
「うん。天翼の守護者の夢を叶えた今の君が抱く夢」
その尋ね方で、彼女は俺の言わんとすることを理解したようだった。
少し考え込むようにしてから、彼女は来た道を振り返る。
その瞳が映す先は、英雄の像。
「誰かの優しさを信じて、小さな子供の頑張りを認められて、みんなを笑顔にする。そんな天翼の守護者になることです」
「……そっか」
ああ、解釈違いとか、馬鹿なことを言ったな。
根っこの部分は変わってない。
真っ直ぐに「誰かのために」と前へ進む『傍陽ヒナタ』に変わりないんだ。
「ヒナタちゃんは昔から変わらず、ヒナタちゃんなんだね」
すっと胸の揺らぎが消えていく気がした。
♢♢♢♢♢
「ヒナタちゃんは昔から変わらず、ヒナタちゃんなんだね」
そう、お兄さんに言われて。
わたしの胸の奥が揺らいだ気がした。
いや、確かに揺らいだ。
──ああ、ようやく”妹”から卒業できると思ったのにな。
繋がれた手をそっと、盗むように見る。
きっと彼にとってはこれも、親愛の証でしかないのだろう。
男女としてではなく、兄妹分としての。
すうっと熱が冷めていく気がした。
……違う。
──やっぱり、このままじゃダメなのかな。
身体の、自分でもどこかわからない場所に、その熱が吸い込まれていく気がした。




