第5話 氷の微笑
「ワタシの座右の銘は『天上天下ヒナタ独尊』よ。ヒナに疑いを抱くとかアナタ、背信者ということでいいわね?」
「────!?」
ゾッとするような敵意が肌を刺す。
しかし、俺が驚いたのはそこではない。
「ちがうんだ……!」と言いかけ、言葉を呑む。
「──あ、あれ? 違わな、い……?」
どうあれ、俺が我らが天使に疑いの念を抱いたことに変わりはない。
……ああ、そっか。
「よし、死のう」
「その意気や良し。それじゃ、さような──」
「あのぉ〜、ごめんなんだけど静かにしてもらっていい?」
ルイが俺に向かってスッと指を向けた瞬間。
そこに割って入る声があった。
俺がぱっとそちらを向き、ルイが目だけを向ける。
立ち並ぶ本棚。
その一つにだらしな〜く寄っかかった少女がいた。
白手袋をした彼女は人差し指で床を指し、
「ほら、いちおココ、図書館なんで?」
「「すみませんでした」」
その一言で、俺とルイは小さくなって謝った。
君のせいだぞ、アナタのせいよ、と二人で視線で責任を押し付けあっていると、俺たちを注意した少女は片眉を上げて怪訝そうにした。
「なんかアンタら、物騒な会話してた割に仲良いね」
「「…………」」
俺とルイは顔を見合わせた後、ふいとそっぽを向き合った。
「はは、おもしろ」
けらけら笑う少女の格好はワイシャツにプリーツスカート、開いた胸元にはゆるゆるのネクタイ。
赤茶色の髪をサイドテールにまとめ、濃い赤色の目を眠たげにしている。
どう見てもギャルっぽい女子高生なのだが、違う所が二箇所あった。
首から下げられた名札と、両手につけられた白手袋である。
俺がそれを見ていると、
「あ、これ?」
と片手で名札を持ち上げる。
「そ、あーし、ここで司書のバイトしてんの。鉄輪カナン、よろ〜」
「ああ、うん。よろしく」
少女、カナンの挨拶に答えないルイ。
けれどカナンは気にしてない風に頷き、
「うんうん。──んじゃ、罰金ね」
さらっと笑顔で告げられた言葉に固まる。
「ばっきん?」
「そ。うるさくした罰金」
まさか宮殿のことじゃあるまいな、と確認するも、少女は変わらず笑顔のまま、白手袋に包まれた人差し指と親指で丸を作る。……お金のマークですね。
黙っていたルイが眉根を寄せて、
「何を勝手なことを言っているのかしら」
「やだな〜勝手じゃないって、こちとら司書よ?」
「司書の仕事に罰金の徴収なんてなかったはずだけど?」
「そりゃそうだねぇ」
カナンはルイの刺すような視線を、終始纏っている気だるげな雰囲気でやんわりと往なす。
それから一つ、頷いて。
「これはバイトに注意なんてもんをさせた分の、手間賃ってかんじかな。私への罰金〜」
ぐいっと距離を詰めて、座る俺の肩に手をおいた。
「謝ったんだから義理は通せよな〜」
「なにその反社みたいな考え方……」
そこで初めて、ルイがカナンに顔を向ける。
「アナタ、そろそろいい加減に──」
彼女がすっと身を乗り出しかけた瞬間。
「お、いい反応」
とへらりと笑い、カナンはぱっと身を引いた。
その際、大袈裟に両手をあげている。
「その反応プライスレス、ってことで今日の徴収はこれくらいにしておいてあげよう」
彼女をしばらく睨んでから、ルイはふんと鼻を鳴らして席についた。
……ひょっとして、と頭に浮かぶ可能性。
「んじゃね〜」
片手をひらひらさせながら去っていくカナン。
彼女はもう片方の手で本をピザみたいにクルクル回して遊んでいた。
……本当に司書か? あの子。
ルイはそれを見送りもせず足を組むと、心なし小さな声で、
「それで、ヒナの話の続きだけど……」
と切り出し始めた。
「あ、待って。その前に──ありがとね」
「……はあ?」
意味が分からないと首を傾げるルイ。
彼女に対して俺は少しだけ笑いかける。
「俺がさっきの子に絡まれてるから、守ってくれようとしたんでしょ?」
「────」
カナンが俺の肩に手をおいて初めて、そこまで大した興味を見せなかったルイが明確に動いてくれた。それは多分、自惚でなければ俺のためだ。
最近美人と行動してばっかで忘れがちだが、俺は昔からやたら女性に絡まれるからな。今日もここへ来るまでとか随分と女の人に絡まれて大変だったし……。
誤解されがちだけど優しいルイのことなので、そういう部分を汲み取って動いてくれたんだろう。
と、納得していると、
「は、はあああああああ!? ち、ちがうからっ!!」
ルイが今度こそガタッと立ち上がり、大声を上げる。
なぜか顔を真っ赤にしている。
「ちょっ、シー! 静かに!」
慌てて止め、辺りを見回す。
遥か先の本棚から、お金マークの白手袋がのぞいた気がした。
♢♢♢♢♢
「ヒナの警戒心が緩んでいる、ということ?」
「まあ、そういうことになるのかな?」
仕切り直しまして。
改めて事の次第を丁寧に説明する俺に、ルイは軽くため息をついた。
「最初からそう言いなさい。『ヒナタちゃんは本当にヒナタちゃんなのだろうか』なんて真理への叛逆を述べられたから、てっきり背教行為かと」
「過激すぎない? ……いや、今更でしたね」
「ええ、そうねっ」
「胸を張ることなのだろうか……」
首を傾げつつ、まとめる。
「とにかくね、男に対する距離がちょっと近いんじゃないかと、お兄さん心配になっているわけですよ。だから君の意見も聞いてみたいなと思って」
俺がまっすぐ目を見据えると、ルイは何故かつい〜っと視線を逸らした。
「そ、そう」
「うん。君は普段からヒナタちゃんとバディを組んでるわけだし。付き合いも、傍にいた長さで言えば一番長いだろ?」
彼女は外の景色を見ていた。
それからしばらくして、ぽつりと。
「ワタシには、分からないこともあるわ」
意外なことを、意外な声色で言った。
分からない、と言いつつも確かな暖かさを感じる声音だった。
「ワタシはヒナの、親友だから」
そうしてこちらへ視線を向け直す。
「アナタはヒナの兄のような存在で、それから……。……だから、アナタにしか見えないものもあるのよ、残念で悔しくてたまらないけどね」
どうして微笑んでいるのか、なんてそんな野暮なことは聞けないくらい。
空をバックに見るルイの微笑は美しかった。
その微笑は瞬く間に溶けて消えてしまう。
「そうね。だとすれば、アナタの懸念を払う方法が一つだけあるわ」
「っ、それは?」
ルイは俺を指さした。
「デート、するのよ。ヒナと」
きょとんとする俺。
それからジワジワと染み入る言葉の意味に狼狽える。
「でででデート!?」
そんなもん、百年祭とその前に2回しかしたことないぞ!?!?!
そのどっちも乱入者’sに阻まれたしなぁ……!
乱入者その①は知らん顔で突きつけた指をずずいと押し出す。
「家でとか近場でとかじゃないわよ。それから仲の良い兄妹分としてでもない。きちんとおめかしして、男女としてデートをするのよ……!!」
やけに熱の込められた言葉。
「そういう状態でしか探れないお互いの気持ちは、きっといっぱいあるわ!」
……そういえば、と場違いにも思い出す。
さきほど周りを見た時に目に入った本棚の中身。
──全部、少女漫画だったな……。
眼前で熱く語る氷の少女がまさかその熱に当てられたとも思うまいが……まあ、きっと気のせいだろう。うん。そんなの『わたゆめ』になかったしな。
こうして俺はヒナタちゃんと”男女として”デートに行くことになった。
流石にヒナタちゃんに断られるかもしれないけどね……!




